高校教育義務教育化の可能性 in 1979  読書メモ(09.6〜)

 トヨタ財団の研究助成報告書に、「高校教育義務化の可能性に関する基礎的研究」というものがある(1979年、研究代表者=潮木守一)。各章の執筆者は、潮木先生をはじめ、藤田英典、江原武一、米川英樹、麻生誠、秦政春、宮崎和夫、という面々である。
 第6章には、高校教育についての有識者にコメントを求めたその回答がそのまま収録されている。現役の高校教員や校長、官僚、大学教員など28人+共同研究者の中から3人。その内容は多様かつ多彩で、今読んでも十分通用する。ということは、30年以上、「希望者主義」と「適格者主義」をめぐる高校教育を取り巻く状況は大して変わってこなかったということでもあり、それどころか、その問題は大学にも派生し、より状況は進行していることを実感する。
 たとえば、ある大学の先生の寄稿は、「高校」を「大学」に置き換えても、まったくもって通用する。きっとこの先生は、まさか30年後、大学が高校と同じ状況に陥るとは、当時は予想だにしなかったことだろう。以下、長文ながら引用する(pp.255-256)。

「正円尊重主義の清算を」(大学教官)
 昭和54年度の高等学校等への進学者は1,537,000人で、進学率は史上最高の94.0%を記録した。ほかに専修学校、各種学校等への入学者が43,000人(2.6%)いるので、中学校を卒業してなお勉強を続けたい者には、いわゆるヨコの格差さえ問わなければ、教育を受ける権利がほぼ完全に保障されていると見てよい。
 もっとも高等学校への進学が、「なお勉強を続けたい」ためかどうかは、率直なところはなはだ疑わしい。中学校を卒業した子どもにとって、進路といえば高等学校のほかにまず考えつかない。授業はどんなにつまらなくても、そこに行けば同性や異性の仲間にめぐりあえることができる。十分ではないまでも体育館やグランドがあって自由に利用できる。運が良ければ甲子園やインターハイの舞台も踏めるかもしれない。いずれ就職するにせよ、高等学校ぐらいは出ておかないと相手にされないし、大学に進学するならなおさらだ。せっかく気楽なモラトリアム期間を楽しまずにすます法はない。こうして高等学校は、若者が成人社会の仲間入りをするために欠かせないイニシエーション(=成人式)の場になりおおせた。今日の高等学校はかつてのエリート教育機関とはこと変わり、希望者のほとんど全員を収容する大衆教育機関である。これからの高等学校を考える場合には、まずこの明確な事実を認識してかからなければならない。
 したがって、これからの高等学校は当然、希望者主義を前提とすることになる。ことの是非はともあれ、進学率が94.0%に達した現在、適格者主義を採ることは、現実問題として考えられない。ただし、希望者主義を採る高等学校は、教育段階として高等な(傍点)学校を意味するのではなく、多様な能力・適性・関心を備えた満16歳から満18歳までの若者を収容する「高等学校」という名前の教育機関であることを心得ておく必要がある。
(後略)
1



コメントを書く


名前
メールアドレス
コメント本文(1000文字まで)
URL





AutoPage最新お知らせ