私立高校に依存しない高校のあり方  私立中学・高等学校について

 徳島県が、私立高校に依存せずに高校教育拡大を乗り切り、その後の数次の制度改変を経て現在にいたるまで、高校生の95%が公立高校に通っているという事実は、「私立高校がなくても、高校教育は成り立つ」ということを示すものである。
 今後、ますます生徒数が減少していくので、多くの都道府県で、公立高校と私立高校の定員を協議の上で策定しているが、「公立高校の枠を増やすべきだ」という声が増していき、そして現にそうした声が強まっているのは事実である。
 そこで気になるのが、次の3つの点。
 第一に、財政支出によって公立高校の経費の大半が賄われているのだから、その分を補助金化して高校バウチャーとすれば、どのようになるのだろうか。たとえば幼稚園や保育園については「公設民営」論が議論されることがあるが、高校についてはなぜ積極的な議論とならないのだろうか。公立高校教員はあくまで「公務員」なので、柔軟な労務管理も可能となるわけだし、言葉は悪いが「組合対策」として、大阪維新の会が取り組んでもおかしくない話でもあるのだが。
 第二に、「高校間格差」はどの程度まで容認されるのかという点について、コンセンサスがないことである。バウチャー制度を取り入れると、どうしても学校間格差は広がっていくだろうし、そのための受験生の競争も上位層において激化することは、過去の経験から想像がつく。
 第三に、「高校に通う」ということが、小中学校のように「とりあえず全員が公立高校に通う」ことを前提とし、それに飽き足らない人が私立に通う(教育学の間では「公立から逃避する」なんて言葉が使われることがあるが、すでにそこに価値判断が入り込んではいないか?)、というシステムは、ほんとうに好ましいのだろうか。「好ましさ」の指標はどこに求めればいいのだろうか。

 そういうことを考える上で、私学率の高い京都や大阪と、徳島とを比較することは、重要だと思う。しかし、高卒学歴ということについては区別することができず、しかもその後の生活によって高校での学習の影響は消えていくだろうから、私学の多い少ないがどのような影響を個人や社会に与えているのかはなかなか測定できないだろうし、そうなると、その逆しかないのかもしれない。

 ちなみに、徳島県に宗教系の私立高校がないということは、「キリスト教教育」も「仏教教育」も、教育機関を経由しては行われてはいないということでもある。
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