経済学から見た教育論争  教育のはなし

 古雑誌の中から、WEDGEの2011年12月号が出てきた。

 原田泰「経済の常識 vs 政策の非常識 大阪W選挙の争点 教育論議には根拠が足りない」
 少し前の記事になるが、論点の提示がシンプルなので、メモ代わりに書いておく。

(1)大部分の大阪府民の感情は「教師がきちんと教えていないのではないか」というものであり、公務員という安定した身分に高い待遇を受けているのにきちんと仕事をしていないという見方は、教育改革が公務員バッシングの一環として出てきているためである。とすると、最低評価の教職員を分限免職の対象とするという条例案は、他の府の職員の待遇と比してあまりに厳しい。

(2)生徒の学力評価と教師の評価とを結びつける考え方は、そもそも生徒の学力の大きな部分は、子ども自体の素質と家庭環境で決まるのであって、学校のできることはそれほど大きくはないのだから、問題である。ただし、成績の低い学校に人と金を投入するという方針は橋下知事(当時)は示しており、これはイギリスのブレア政権が行ったことである。

(3)しかし、評価が難しいから評価しないというのはおかしい。生徒の成績の向上と教師の評価とを結びつけることが難しいのであれば、公立高校の無償化、35人学級制、教員養成課程の6年制化などの政策についても、子どもの学力向上との関係を実証的に議論されたことはない。これは教育関係者の思い込みに基づく議論に過ぎない。

(4)教育が政治の恣意を嫌うのであれば、教育も思い込みを捨て、証拠に基づく教育政策という考え方を受け入れるべきである。(以上)

・・・この話の土俵に乗るとすると、どうも、組織論とか経営学とか、そっちの方面からのアプローチが、この議論にはフィットするような気がする。
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