来るべき総選挙と、その先にある「教育改革」を見通す。  教育のはなし

 大阪維新の会が、国政進出するにあたり、国会議員や首長経験者を集めて公開討論会を開いたそうだ。その最初の議題が「教育について」であったと知り、これからいろいろとかまびすしくなるな、と思ったので、備忘録として久しぶりにブログにエントリーしておこうと思う。

 大阪府の教育改革については、今年の教育系の学会でいろいろと話題になっているのだが、どうもすっきりしない。出版されている著作の多くは、批判的な立場からの緊急出版的なものだが、これも効果的な反論になっているとは思えず、むしろ「こういうバカなことをいうから教育学者はダメなんだ」と橋下氏の恰好の餌食になりそうな話をしているな、とも思う。
 そしてこれに対して、政治評論家やエコノミストをはじめとして、教育に感心があったがそれまで直接手を突っ込むことができずにフラストレーションを溜めていた層が、この改革を支持し、さらに推進するように求めているように見える。
 こうした動きは今回に限ったことではなく、戦後ずっとあったことなのだが、自民党文教族が緩衝帯となって、教育政策の自律性を担保してくれてきた。しかし、文教族が93年選挙で打撃を受け、さらに高齢化が進んできたことで、教育政策が直接政治的アジェンダとして取り扱われる機会が増えてきた。
 教育改革を声高に主張して、実際にいろいろと法改正をした直近の例として、安倍内閣がある。今回、維新と安倍氏は連携姿勢を強調しているらしいので、この路線の延長に、大阪府の教育改革を位置づけたあたりに、今後の日本の学校教育政策の流れが置かれると予想しておくべきだろうか。民主党内でも前原氏あたりと近いというし、彼も安倍氏と立場の近い人だから(なぜ一緒にならないんだろう?)いいとして、ただ、維新と公明が接近というけれど、公明党はどこまで新保守主義を
 安倍内閣の教育政策といえば、教育基本法改正と教員免許更新制度が有名だが、前者はさておき、後者は現場にとっては迷惑千万であって、これで学校教育がよくなったとはお世辞にも言えない。
 大阪府の教育改革は、財政難の中で、競争原理の導入による経費削減の方針を示したことと、既得権者としての教師、とりわけ教職員組合を狙ったというのは、新自由主義的改革としてわかりやすい上に、保守主義的・家父長主義的な観点からのセーフティネットの整備も一定伴っていると考えると、十分に国民の支持は集まるだろうし、実現可能な政策だろう。

 それにしても、だ。
 選挙の候補者を、塾で養成したり、公募したり。
 「私の考え方にそぐわない人は、来なくて結構。出て行ってくれ」ということを、後からやるんだろう。政治って、そういうものではないし、教育というのも、そういうものではないと思うのだが。

・・・というのを、テストの採点をしながら考える。
 「5.15事件」の正解率が半分もないことにため息をつきながら、勇ましい言論が好まれるという時代がかつてもあったのだが、申し訳ないことに、日本の社会科教育は、小学校社会でも中学校社会でも、20世紀の日本をきちんと教えられていないので、そりゃ、竹島や尖閣で覚醒したナショナリズムの受け皿に、わかりやすい歴史観が好まれる。「歴史教科書問題」「自虐史観」うんぬんのときもそうだった。
 歴史というのは、政治というのは、そんなわかりやすいものではない、ということが、歴史を学び政治を学ぶ意味なのだが、そういうことをわかりやすく教える方法を、もっともっと突き詰めていかないといけないのだろう。

 以上、思いつくままに。
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