8月の末に、父親と分かり合いたくて話をした。
わかっちゃくれなかったよ。
自傷も甘えで、生活保護貰って病院通うのも甘え。
家にいて、仏壇を守れ?
俺とお前は親子なんだから?
おかしいじゃないか。
小さい頃からあんたが怖くて今でもそうだと言ったじゃないか。
トラウマはなんなんだ。
誰を憎めばいいのさ。
わたしはACの親子同士。
アルコール中毒症の祖父は優しかったぞ。
いつも愛情をくれたのに、あんたは.........
最終的に言われたのが、早く寝ろ!このクソガキ!!
忘れたくて次の日の朝、ODして、良二が救急車を呼んでくれて...
人だかりの中、救急車に乗せられてからは約2日間意識はなかった。
気付いたら病院。
腰を拘束され、尿道にカテーテルを入れられ
目を覚ました。
救急車が病院に来たとき、ひいが、シュウが嫌な予感がして、見てしまった。
ひぃは外泊するつもりだったのに、急いで外泊をやめた。
シュウはハジメがナースステーション内で、死にそうな人が繋がれる、機械を付けられ、ピッ、ピッ、ピ、っという心拍音を聞いてしまった。
そして、閉鎖病棟に連れて行かれるのを見たから...
シュウが毎日新聞の死亡覧を読み続けた。
あと、一時間遅ければ、命はなかったらしい。
心臓も止まりかけていたと。
意識が戻っても、5日間腰を拘束されたまま、エンショアを少しずつ飲まされ
面会が出来るようになってから、ひいとシュウに面会したとき、やっと二人が安心した。
ひいの前で泣いた。
どこに帰ればいいのかわからなかったし、いつまで、いさせられるのかもわからなかった。
シュウの前でも同じ話をした。
シュウも帰る場所がない。
寮を出た訳だから。
保証人も、家族が兄姉がなってくれないから。
そして、随分入院が続いた、ひいは、帰りたくない居場所へ帰らなければならないと...
あんしんして、帰る、居場所がない人が
たくさんいるのね。
わたしだけじゃないし、わたしは救われているんだ。
帰る場所を探してくれる相談はクライマリーや姉とドクターと相談。
でもさ
本当に
わたしたちが帰る場所ってあるのかな
わたしだけじゃなくて、ひいの安心して住む場所が見つかってほしい。
シュウの住む居場所が見つかってほしい。
早く仕事に行かなきゃと思うのに、会社の職員の面会で10月のシフトは未定にしておくよ、なんて
躁鬱も激しいのに、不安だって強いのに、出掛けれるのは、すぐ傍のコンビニだよ
記事が支離滅裂になりましたが...
今日は少し調子がいいです。
昨日はイライラMAXでしたが...
今は
わたしが眠くなるまで、話を聞いてくれる人がいてよかった、と、思うし
生きててよかったと
人に感謝と。
姉や知人にすまない気持ち。

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