始めの失敗
関西空港の書店で買った一冊の中国事情案内書「孔健著・日本人は永遠に中国人を理解出来ない」を読んでいる間に全日空NH159 便は2005年10月30日北京空港に向けて降下を開始、入国・税関申告書に記入して配布されたビニール袋に入れて着陸を待つ。上空から見る中国の大地は乾いていてイタリアや日本のそれとは大いなる違いを感じる。はじめての中国入りだ。心の内は緊張が高まり、これから始まるビジネス旅行に不安と期待が同居している。時差一時間、12時20分定刻通り北京空港に到着した。日曜日の昼下がりにもかかわらず空港は各地からの到着便でごった返していた。人の流れに乗って到着からイミグレ検査を受け税関検査場に進んだ時、「ハタ」と気付いた。持っていたはずの肝心な書類入れカバンが無いのである。手にしているのは検査済みのパスポートの入ったビニ袋のみ。全身から血が引くのを感じた。私は、すぐにイミグレに戻り始めた。しかし、警察官らしい制服を着た女性に制止された。上ずった声で書類カバンを入国手続き所に置き忘れた事を言った。係官は「後戻りは出来ない。遺失物取り扱い所で待機する」ように指示された。やがて、全日空の地上乗客係の中国女性が現れ、何処にも見当たらない、と言う。私は青くなって、そんな筈はない、入国検査場以外に有りえない、と何度も主張したが中国側は「無い」の一点張り。北京の滞在先と引受人名を記録した後、仕方ないのでロビーに行ってイタリアから合流するイタリア人F氏を探した。彼の顔を見た時は仏様に出会った様な想いだった。事実彼に抱きついて抱擁し事の事情を手短に報告した。何故なら書類カバンの中には現金を始め全ての必需品が納まっている。出迎えの韓先生(北京・精華大学教授)を探していると先生から石田さんーと大きな声で名前を呼ばれた。カバンが空港内のトランク・クレーム所に届いた、との事。私はホッとする。係の女性に熱くお礼を述べてカバンを受取る。お礼にチップを渡そうとしたら拒否された。出迎えは韓先生と彼の従弟の二人で車で来てくれた。謝謝!! それにしても私とした事が情けない失態を演じてしまった。これからはショルダーベルトを付け肩からカバンを背負う事にする。良く考えてみると余りのも緊張しすぎて注意力が散漫になっていた事だ。サー注意! 注意! と自分に言い聞かせて13億人の首都北京市に向けて7人乗りのMr. Kou のフオード車は高速道路にあがりスピードを増した。

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