昨夜は、中山の観音さまのお祭りであった。
小さなお堂でのささやかなお祭りであった。
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ご本尊の観音さまは、かすかに微笑みながら なにか侘びしそうです。
いまは
臨江庵境内の一隅にたたずまれる観音さまであるが、かっての旧地は
さんご山 だつたのである。
関越高速道の開通は、ちょうど さんご山 のトンネル口が お堂のところに当たって、山を下りられた。(
林興庵境内の観音堂:左 )

お堂の扁額はお堂の内と外に掲げられている。
江戸時代、文化・文政期の中山 林興庵住持であった
古範禅師の筆になると伝えられるのだが、二面ともそうなのか、私には判らない。
古範禅師は
「北越雪譜」の鈴木牧之との交流が知られ、
良寛禅師とのふれあいもかいま見られるのであるが、そのことはおってまたふれることにして、ともあれ江戸時代のこの地域に文化的な影響をもたらしたご住持さまであった。
そしてまた、この地域は古い観音信仰の邑であった。
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村のなかにせり出ている
観音さまのお山 が
さんご山 だったのです。
古く観音さまが、ムラ人の夢を担われたように、こんどは さんご山 のお花畑が、
地域の人たちの夢を紡ぐようにと、
ささやかな兆しに汗を流しました。

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