2012/2/10


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たとい私が人々の言葉や御使いたちの言葉を語っても
もし愛がなければ、私はやかましい鐘や、
騒がしい鐃鉢(にょうはち)と同じである。



たといまた、私に予言する力があり、
あらゆる奥義とあらゆる知識とに通じていても、
また、山を耕すほどの強い信仰があっても、
もし愛がなければ、私は無に等しい。



たといまた、私が自分の全財産を人に施しても、
また、自分のからだを焼かれるために渡しても、
もし愛がなければ、いっさいは無益である。




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愛は寛容であり、愛は情け深い。
また、ねたむことをしない。
愛は高ぶらない、誇らない、不作法をしない、
自分の利益を求めない、いらだたない、恨みをいだかない。
不義を喜ばないで真理を喜ぶ。
そして、すべてを忍び、すべてを信じ、すべてを望み、
すべてを耐える。



愛はいつまでも絶えることがない。
しかし、預言はすたれ異言はやみ、知識はすたれるであろう。
なぜなら、私たちの知るところは一部分であり、
預言するところも一部分にすぎない。
全きものが来る時には、部分的なものはすたれる。



私たちが幼な子であった時には幼な子らしく語り、
幼な子らしく感じ、また、幼な子らしく考えていた。
しかし大人となった今は幼な子らしいことを捨ててしまった。



私たちは今は鏡に映してみるようにおぼろげに見ている。
しかしその時には、顔と顔とを合わせて見るであろう。
私の知るところは、今は一部分にすぎない。
しかしその時には、私が完全に知られているように、
完全に知るであろう。



このようにいつまでも存続するものは
信仰と希望と愛と、この三つである。
このうちで最もおおいなるものは、愛である。




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              「コリント人への第一の手紙〜第13章」より
 
            




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