色々な意見を読んで回り、響鬼ファンが井上脚本に不安を感じる理由が何となく分かって来た(^^;
今まで仲良しこよしだった鬼さんたちを仲たがい(ライダー同士のバトル)にされるんじゃないかという不安が大きいように感じられる。
確かに、井上脚本は劇場版でも7人の鬼同士をバトルさせている。
それを観て、TV版のテコ入れ策に必要以上に拒絶反応を示しているのかも知れない。
この問題は結構難しい。
平成ライダーになってからやたらと目立つ仮面ライダー同士のバトル。
でも、実は昭和の歴代ライダーたちも、「お互いに分かり合えるまで」は多かれ少なかれバトルをやっている。
ストロンガー客演時の先輩ライダーとか、V3だってライダーマンとさんざんぱらぱら戦ってる。
いくら宮内さんが「ライダー同士戦うのはうんたらかんたら」と言っても、実は説得力なかったりして(爆)。
それでも最後には互いに理解し合って共闘する流れは全く違和感ないし、仮面ライダーも人間である以上、感情の揺れ動きがあって至極当然だと思う(もちろん本筋に無関係なバトルは必要ないが)。
問題は、「響鬼」って作品は、そういう人間関係の構築とか成長とかって段階をすでに越していて、普通なら最終回で迎えるべき「大団円」の所からドラマがスタートしてることだと思う。
それは恐らく、ドラマの芯を「明日夢の成長物語」にしてしまったがためだろうが、私はこの作品の主人公はやっぱりタイトル通り「響鬼」であるべきだと思うし、正直、半年かかっても成長がほとんど感じられない明日夢くんよりも、ライダー同士のバトルや共闘の方がお子さまの関心を引けるのかなと。
もちろん、現実に目を向ければ、人間なんてそうそう簡単に成長できるものじゃないし、明日夢くんが半年かけてもあまり変わり映えしないのは当然だと思うけど、「男子三日見ざれば刮目すべし」ということわざが日本にはあるわけで(意味が分からない人は検索してね)、ドラマの中の半年と現実の半年が同じスピードじゃ見ていて退屈なのは当然だ。
29話までの響鬼が好きだったファンも実はそういうことに気付いているから、今までのほんわかまったりの雰囲気をぶち壊されるんじゃないかと強い懸念を抱いているのだと思う(もちろんそれだけが理由ではないだろうが)。
ただ・・・どうなのだろう?
「仮面ライダー」という作品に「ほんわかまったりな雰囲気」は本当に必要なのだろうか?
私がずっと響鬼を観て来てどうにも収まりがつかないのは、戦闘場面に危機感が感じられないことだった。
人助けのために命の危険を冒す鬼たち。
確かに、童子や姫との戦いでも何度も危険な状態に陥っているし、鬼たちの中には戦闘で重傷を負う者もいる。
けれどその「重傷を負った姿」は決して視聴者には見せない。
せいぜいが四肢をやられて香須実さんに手当てしてもらう程度である。
そして、主人公(というか視聴者の「目」としての役割を担っているはず)の明日夢くんにも見せない。
これは一種の表現手法であるのだろうが、それが魔化魍が「身近に迫った危機」として実感できない一番の理由かも知れない。
最も、私の場合はこれに「都会での戦闘場面」が加わらないと実感に乏しいという、決定的な致命傷があるのだが(^^;)
少なくとも、響鬼の世界観とは180度ベクトルが違うと思われる井上脚本が、これから半年でどう風呂敷を広げてそれをたたむのかが楽しみだったりもする(すごいイジワル(笑))。
何しろ、ハンパじゃない大きさの風呂敷を今までは1年かけて広げていたのに、それを半年で広げるんだから、急転直下、ものすごい勢いのジェットコースターになるだろう。
覚悟してしっかりしがみつかないと、振り落とされるだろうな、きっと。

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