2月11日午前1時51分。
昨年12月15日から急性肝炎で入院していた母が他界した。
84歳と4日の生涯だった。
その前日、仕事中に医師から連絡を受けて相方と共に病院へ行った時には、酸素吸入しながらもまだ意識があり、自力で手を動かしていて、僅かながら意思の疎通も出来た。
「(相方が)一緒に来てるよ」と言ったら口元に薄く笑みを浮かべた。
苦しい?と聞いたら首を横に振り、良かったねと言ったら頷いて、また明日来るからねと言ったら、うん、と返事もしていた。
自宅に戻ったその夜中、再び病院からの危篤の知らせに急いで駆けつけたが間に合わなかった。
医師には生前の本人の希望で延命措置はしないで欲しいと伝えてあったので、その最期は苦しむことなく静かに心臓が止まったと看護師さんが教えてくれた。
生前、自分が死んだら父の時と同じにして欲しいというのが母の願いだったので、同じ葬儀社に同じ火葬式プランを依頼した。
偶然にも3日前から相方が長期連休に入っていて、病院や実家、葬儀社との打ち合わせなど全ての場面でずっと一緒にいてくれたのが本当に心強かった。
母は娘婿である相方をとても気に入っていたから、もしかしたら相方が冬休みになるこのタイミングを待って、相方に私を託して逝ったのかも知れない。
相方と私、たった2人の親族に見送られて母は旅立った。
母が一番のお気に入りだった茶色の帽子を被せ、棺には父の写真と大好きだった姑(父方の祖母)の写真を入れた。
2月の中旬とは思えないほど暖かく天気が良い日だった。
今、母の遺骨は私の自宅にある。
ずっと実家に置いていた父の位牌と写真も持って来た。
いずれは父の遺骨がある納骨堂に母も連れて行くつもりでいるが、まだそこまで気持ちの整理がついていない。
いい意味でも悪い意味でも母の存在は大きかった。
絆の強さも思い出の多さも感情の複雑さも、正直、父とは比べ物にならない。
3年前に父が亡くなって一人暮らしになった母は、寂しさと心細さから私との同居を望んでいたが、その願いは叶わぬままとなってしまった。
だから、せめて今はもう少し傍に置いておきたい。
広々とした実家と違って、狭い我が家はホコリっぽくて母は嫌だろうけども。

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