2013/1/30

2013プチポンカレンダー エピソード  福島の猫たち

すでにご存じの方も多いと思いますが、改めて震災とプチポンとのかかわりを
カレンダーに登場の猫たちの紹介を兼ねて記させていただきます。

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2013年 卓上カレンダー


カレンダーに登場する14匹のうち、10匹が福島の被災猫で1匹(ジュリアン)が岩手の被災猫です。

福島出身の10匹は、2011年5月〜6月にレスキューした猫たちで、全員が福島県南相馬市から。
9匹は旧警戒区域の小高区から、1匹(むぎちゃん)は「にゃんこはうす」近くの鹿島区の山道で保護しました。

このうち、直接保護したのは

1月登場の「はく」、3月登場の「サイモン」、5月登場の「はつ」、10月登場の「ちゅん」。
はく、はつ、ちゅんの麻雀パイから名前をとって付けたのは空蝉さん。
サイモン命名はサヴァさんが。

このコたちのことは、森絵都さんの著作「おいで、一緒に行こう」の『5月28日』の出来事として書かれています。

この日、山班としてとあるお家に立てこもるシニアの方を迎えに行くのがミッションでしたが、
(その方は、ご自分の猫を見つけるまでは「ここを動かない!」と言っている方でした)
途中、一本道をとぼとぼと歩く猫(はく)を見つけ、保護し、保護チラシを道の先の家に貼りに行ったら…10匹以上の猫が前庭にいて6匹保護。そのうちの1匹(ちゅん)を車内で捕獲器からキャリーに移し替える際、ハンドルの下に潜り込まれるというアクシデント発生。急遽、森さんのご主人たちだけで目的の家に行ってもらい、そこでさらに3匹の猫を保護。後に合流して犬を1匹保護。

プチポンの限りある資金で福島の被災猫をどこまでケアできるか。そもそも、福島へ行くことができるのか。

当初は他団体が保護した猫を預かることだけを考えていたのですが、金沢の里親さんが「ねこさま王国」を紹介してくださり、ありこさんと電話で話して「一緒に行きませんか?」という誘いを受け、今にいたります。

岩手も被災県ですが、2004年に梅吉とシャム吉という2匹の猫を今も警戒区域の双葉町の方(当時は浪江町在住)へ譲渡したことがきっかけで、「東北で猫保護活動をしている者が何もしないでいるわけにはいかない」と、決して余裕はなかったのですが関わることに決めました。

余談ですが、梅吉とシャム吉は完全室内飼いで里親さん宅で大切にかわいがられて暮らしていましたが2011年3月11日の地震と原発事故で、家に取り残されることになってしまいました。すぐ帰れるものと、避難場所の集会場へ行ったところ、さらには小学校へ、そしてさらに遠くへ、遠くへ…。里親さんご家族はほとんど着の身着のまま、行き先も告げられずに集団避難。私たちと連絡が取れたときは、埼玉アリーナからさらに神奈川へと避難したときでした。

「ごめんなさい、置いてきてしまいました」

それを聞いて、文字どおり目の前が真っ暗になりましたが、里親さんの苦しみは相当なものだったはず。日に日に状況が悪くなっていくなか、結局私たちはどうすることもできませんでしたが、里親さんは地震で割れた道路や検問をかいくぐり、どうにか自宅へ戻ることができました。隣町の大熊町のご友人がやはり家に置いてきてしまった小型犬を連れ出しに帰り、無事だったということを聞いてから、「いても立ってもいられなくなって」、大変な思いをしての帰宅。3月11日から3週間が過ぎようとしている頃で…梅吉とシャム吉も無事でした。押し入れを開けて、ストックのフードを食べて命をつないでいたそうですが、血尿を出していて、あと一週間遅れていたらダメだったかも…とメールをいただきました。

*****

福島から連れてきて、残念ながら亡くなった猫もいます。
飼い主さんが判明して、迎えに来てもらった猫もいます。

カレンダー登場の福島被災猫10匹は、今は預かりさん・里親さんのもとで幸せに暮らしています。

同じ盛岡市内へ。
山形へ。青森へ。埼玉へ。茨城へ。

あの3.11から最初の3ヵ月間。
現地へ向かう動物ボランティアも少なく、情報のないまま土地勘のないところでどんなふうにレスキューをしたらいいか。混乱していたと思います。

レスキューは今も続いていますが、当時の様子は最悪でした。

はく、はつ、ちゅんがいた敷地は、台所から引きずり出したであろう人間の食べ物が散乱していました。
マヨネーズの容器に、キムチの袋にすら牙をたてたあとが。

食べられるものならなんでもいい。とにかく、食べ物はないか。そして喉の渇きを潤す水は…。

ありえない飢餓状況に置かれた犬や猫たち。

ただただ、呆然とするばかりでした。こんなことがあっていいのか。

保護後、まだ子猫だったはつは高熱を出したり、状態は決してよくありませんでした。

全頭を連れ出せず、残してきた猫のことが気がかりで、私はその家にしばらく通うことになるのですが…。

情けないことに場所を見失ってたどり着けなかったり。
見渡す田園風景の道の真ん中で地図を広げるわけにもいかず、急場しのぎに車を寄せた家にギリギリの状態で生きていた犬(サリー)がいたり。
はくたちがいた家に捕獲器を仕掛けたら犬(エスパー)が入ったり。

努力と頑張りが実を結ぶどころか、いったい自分は何をやっているのだろうとおのれの非力に打ちのめされたり。

どちらかというとつらいことが多いレスキューかもしれませんが、しょせん、自分にできることなどその程度のもの。「あの時ああしていればもっと違った結果が出せたのではなかったか」は、考えても仕方のないこと。何もかもが自分の思いどおりにいくはずがない。そう思うことは天に対してあまりに不遜ではないか。

けれど、自然の理(ことわり)にあってはそうだとしても、どう考えても原発事故は人災ではないのか。人間の間違いが、動物に及ぼしてしまったこと。そのことに私たちは責任があるのではないか。

犬や猫は野生動物ではない。もとは人に寄り添って生きてきた伴侶動物なのだから。

無関心であってはならないのだと、一人ひとり行動を起こさなければと思うのです。


その後の猫たち。

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左・はく 右・ちゃと

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蓮華ちゃん

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シュックランくん

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ルークくん

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ハンドル下に潜り込んだちゅんも、「なずき」ちゃんと名前をつけてもらい、
お膝の上に。お布団へもぐりこんでくることもあるそう。


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先住猫とネコ団子のサイモン(まんなか)

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写真の左手奥のほうに、ルーク(つかさ)、ちゃとたちが津波から逃れた高台があります。
手前のビニールハウスはひしゃげた枠組みだけが今も残ります。
(写真は2012年2月末撮影)

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2011年5月保護のはく、はつ。

差し出した飲み水のボウルにふたりで顔を突っ込み、息つく間もなく飲み干しました。

飢えも確かに耐えがたいでしょうが、水が飲めない喉の渇きのほうが相当つらいのではないかと、
かかりつけ獣医の先生がよく言います。「外にいる猫たちはどうやって水を確保しているのでしょうね…」と。


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ふっくら、まあるくなったはくちゃん。


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タグ:  ペット 被災



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