19〜20日の他出は、バスで山形県と福島県であった。
山形の米沢では、上杉神社などに訪れたが、ここでの話題は後にまわして、この時期 三郎次にはやはり稲のことになる。
一行は十数人で、農業関係者なのだが、行く先の田んぼをのぞこうとする者はいない。
車中でも稲のことは話題にならないのであるが、道の駅「 あぐりの里 」に出品する野菜のことで、話がかわされていた。川口町の農業事情が移る状況がこの車中にも見えるのである。
しかし、田んぼが基幹であるあることは、まだまだ放擲できないと思っている三郎次は、時代の移りにおくれているのであろうか。車窓にながれる田面と、背後の山並みに目を奪われつづけた道中であったことは、いつものことである。日本の稲作の広まりは、山とのかかわりの中に拓けたことが念頭にあるからだ。
会津にまわると、昼食事は定番のごとく喜多方のラーメンであった。ここの駐車場に隣りする田んぼに、ようやく近寄ることができたのである。

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会津 喜多方 7/20日 )
この稲が何稲なのか 見定める目の確かさを、三郎次は疾うに失ってしまったのだが、コシヒカリと見当をつけてみた。
たまたまこの一枚の田で、会津の稲を語るのは乱暴にすぎるのであるが、草丈が小さい。川口の稲よりも出葉が0.8葉ぐらい遅れている感じである。日数にして約一週間の違いであろうか。
車窓からみる
東北の稲の色は斑であると、先年の旅行にも感じていた。山形の田の色も、こんなに濃くてよいのかと思うほどの稲もあった。
帰路の新潟県にはいると、田んぼの様子が一変している。まぎれもないコシヒカリの色あいが広がっている。(
新潟平野 )
山形路は、小国町から入って、永井、南陽、米沢と過ぎたのであるが、走行の車窓から見た稲の色が濃い。しかも田んぼごとの色の濃淡が違って、斑の田面が広がっていた。作付け品種の多様が、田面の色の違いとなっているのであろう。
山形県の稲の事情を知る立場にないが、この地は はえぬき が主力品種であろうか。 どまんなか、ひとめぼれ なども作られているかと思うが、いずれもコシヒカリよりも早生で、10日ほども先行した生育かと思う。19・20日の旅程では、車窓に見る稲はすでに幼穂形成期を迎えていたであろう。穂肥も打って、色が出かかった稲もあるのかもしれない。
会津はコシヒカリの産地である。まだ幼穂形成期の前の色の濃さである。
新潟平野の稲の色は、目に慣れた色合いで、車窓から望んで気持ちよい眺めになっていた。しかし、その新潟の稲も車が進むと微妙な変化に気づくことになる。黒崎あたりまでは、穂肥による色の変化は感じられないが、長岡近辺では色の出かかった稲もみえる。川口では、まだ穂肥まえの色あいであった。どの田んぼもコシヒカリの色なのである。

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