年頭の鎮守さま10.23地震で被害を受けた ムラの鎮守さまは、関係者の念願と努力で、昨秋に再建を得た。
晴れやかな心もちで、深夜の二年参りに社参したのであったが、元旦の朝、やはり足はここに歩んでいた。
←クリック拡大
再建の鳥居をぬけて、雪の参道を登ることになる。

←クリック拡大
広い境内は、新雪におおわれて清浄な空間が醸されていた。
石灯篭も、狛犬も雪の綿帽子をいただいている。

←クリック拡大
しばらくここに佇むと、
山色清浄身 の一語がうかんで来る。
この言葉は佛語である。何で元旦の社頭でこの語が浮かぶのかと、いぶかることもあろうが、三郎次には、ごく自然な成りゆきのこと。
中山・林興庵の本堂正面にかかげられている偈文に、この語があった。宗門の言葉であるから、読み解くことは困難である。が、念頭を離れない言葉となっていた。
こうして雪の中に独り立ち続けると、小さな社殿は消えてゆく。背後の雪の里山が大きく浮かぶのである。

←クリック拡大
何もない境内、ここは清浄な空間と、おまつりに ご神降を迎えるばかりの小さい社殿とその広場であって、ムラの鎮守さまの御神体は、背後の里山なのである。春夏秋冬と彩を変えて、ムラのわれらが登れば、大きく包みこむ不思議を宿している里山こそ、ムラの鎮守さまの御神体と感じてくるのである。
山色清浄身 の佛語は、そのままムラの鎮守さまの思想と、不思議な思いが三郎次の中に募るのであった。
魚沼の自然の中に幾百千年と生をつないできたムラ人には、神仏不分離であって、これが引きついで来たムラの思想として、三郎次もまたムラの一人としての元旦を迎えたのあった。
→ ( 関連記事へ )

0