「
ソデ」 のことは心残りながら、宿題に留めて、そで坂(
とび坂)の峠を下りることにする。
そこが宇賀地かと思えば、ところの名称は新道島である。ここは宇賀地なのであろうか。魚野川左岸のこの地には土地名称のみが残って、集落は右岸の段丘上に移っている。
江戸時代初期、高田藩は近世魚沼の村々を八組に分けて支配した。
(
川口・中林家文書 貞享二年「高田領魚沼高付新検」 )
つまり 小千谷組 川口組
堀之内組 小出組
浦佐組 六日町組
塩沢組 十日町組
である。
川口組での記録によると
新道島は川口組の村として、天和二年検地高・
新藤島村百十五石九斗三升余に書上げられている。宇賀地郷の村々の多くは堀之内組に属したのであるが、新道島が川口組に属したのは、川口地域と同じ、中世の上川郷であったからと 『堀之内町史』 の説明にある。

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