本居宣長などの江戸時代の国学が、地方の文化に注目することで、それに呼応するように地方にも学問が広まることになる。その地方の文化は、庶民的な日常生活のなかに受け継がれた伝統的・習慣的な要素が濃い。ここに日本的な要素をたしかめようとしたのが国学であろう。
素朴な日常性を見つめることは、自らの足下をみる。そこを掘り下げることで汲むべき泉の発見がある。伊波普猷の立場を単純に国学思想の継承とみることはできまいが、沖縄の地域文化から、本来の沖縄のありようをみいだそうとする姿勢は、田島利三郎を受け継いで、国学の思考の影響をみることになろう。
そこに「 肝高の阿麻和利 」の発見と、よみがえりを可能にしたのである。
今日、日本の各地に「 地域起し 」の機運が盛んである。
地域からの発見がなく、ただよその成功事例などを真似して、地域の実情などにかかわりない地域おこしに取り組むことは、 足下深くから泉を汲むことの放棄である。表層の単純な賑わいをとり戻すことが地域おこしとするなら、深く根を張って、歴史的に耐えうる地域振興とは遠いものになろう。
各々の地域にとっての「 肝高の阿麻和利 」とはをみつけねばならないと思うのです。
本来の日本を識る。地域の足下に目を向けた江戸期の国学が、やがて地方から日本を変えるエネルギーを起していた。草莽の国学が明治戊辰の変革とのかかわりを、魚沼の地域にも確かめたいのである。
」から知恵を汲むふかくほるこ行うと、政策を誤りかえって地域が衰退する場合もある[ 兼続 ?]
⇒ 田島利三郎

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