昨年の狛江市民まつりで会った
沖縄の方は勝連の出身だった。「 勝連あまわり ですね 」と声をかけるだけで笑顔をかわすことになっていた。
勝連の
「 肝高の阿麻和利 」は、首里からはなれた東海岸に突出した半島の英雄であった。琉球王国時代の儒教的道徳観によって悪賊として断罪された立場におかれていたのであるが、新潟県出身の田島利三郎の「おもろそうし」読解きで、地域を興した英傑の評価をえて現代によみがえったのである。
阿麻和利は現代の地域おこしの象徴として、勝連・うるま市の人たちのこころに意識づけられようとしている。
阿麻和利にたいする儒教的道徳観の束縛を解いた田島に、越後の草莽の国学の伏流をみて、魚沼の関矢孫左衛門を追う書込みにもなっていた。その三郎次在所の魚沼にも、象徴的に「 肝高の阿麻和利 」を追うとすれば、どのようなことになろうか。
こんにちのNHK大河ドラマの「 天地人 」の直江兼続が、にわかにこころの内によみがえろうとしている。兼続が魚沼の出自であることは、やはり魚沼人の気持ちを躍らせるものがあることは確かである。だが人気のドラマに踊らされて、ブームのように皮相の兼続を追うことは、在所魚沼の足下の泉を掘ることにはなるまい。直江兼続と上杉景勝、どのように己の胸のうちに据えるならば、深く泉に掘りあたることになろうか。
ようやく沖縄から離れて、魚沼に立ち戻ることになれそうです。

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