会場をめぐると九十の蔵元が自慢の逸品の試飲をすすめてくる。たまらない状況である。九十蔵五百銘柄はとてもであるが、すすめられるままに口にするならば大変なことになる。用心に越したことはない。
お酒は好きだがアルコールに弱い三郎次は、このような会場では滅多に酒を飲まないことにしている。出陣の準備は会場の利き猪口を片手に、片手にはやや大きめのマグカップである。お酒は口に含むだけで、飲み込まないことにしている。酒を吐くためのマグカップ持参が毎年の参加姿勢である。口のなかに静かに酒を含む。しばらく口内の酒を舌でさばいていると、辛い酒にほのかな甘味がういてくる。口の中に五色の幡がなびくのか、七色の領巾をまとうた天女の舞いなのか、味わいの遷りを楽しむのが三郎次流である。
蔵元がすすめてくる試飲は、おおむね吟醸酒。やたらに飲めることではない高級酒である。華やかなフルーティな香りを漂わすお酒もあれば、いわゆる吟醸香をおさえて落ち着いた味わいをたのしめるお酒もある。

吟醸酒はすごいと、そればかりをたのしみ続けていると、なにか味わいが平坦で単純ににかんじられてくる。新潟の酒が一様に 淡麗 ≠ニある。辞書をみても、端麗があって淡麗はみえない。新潟の酒にあてた造語であろうか。スッキリ爽やかで、飲みあきせずに水の如く飲めるお酒の形容であるらしい。
その新潟の 淡麗 ≠ネ酒の火付け役となったのか代表となったのか、「 越乃寒梅 」も試飲できた。酒の味わいをあらわす言葉は甘辛と香りだけでなく、「こく」とか「まるみ」とか、「きれい」「上品」に「のどごし」「すべり」などのとてもとても様々な表現があるらしいが、そんな語彙にとぼしい三郎次は「越乃寒梅」を口にして、たださすがとしか云い様がなかった。
「
日本酒度は? 」と訊ねると、「+7です」と返ってきた。それでは大辛になるはずとしては辛みを感じない口あたりである。「辛みは+−だけでなく、酸度との兼ね合いです。蔵の杜氏の造りで、辛口酒にもその辛さをおさえた穏やかな味わいになっている」と、蔵の方の説明であった。
さすがなお酒があれば、すごいお酒もある。「 八海山 」は地元魚沼の酒であるから、ふれる機会も多い。落ち着いたあじわいでたのしめるお酒である。頚城の「 雪中梅 」は、魚沼では滅多に飲めない酒である。数年前に口にした切か。
この「雪中梅」をいただくと、数年まえの記憶がよみがえってくる。甘味のたのしいお酒である。「さすがに」と「やっぱり」の思いである。甘味が、さっぱりとしたと言おうか、さわやかなと言おうか、決して負担にならない甘味は美味しさである。日本酒度は−3度とのこと、それでのキレのよさは、ここでもさすがとしか言い様がなかった。
寒梅も雪中梅もマグカップに落ちないで、三郎次の喉に落ちた。

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