新潟の酒が一躍人気になって、地酒ブームに乗ったのはいつからだったであろうか。
寒梅・雪中梅がその火付けの大役を果たしていたことは紛れもなかろう。八海山・久保田・〆張鶴もつづいてこの世界に君臨している。このような銘酒に三郎次などが近づけるおりは滅多にない。この日の蔵元めぐりの試飲は口福であった。
淡麗辛口の評価がひろまると、どの酒造蔵の酒も同じようなタイプに揃ってしまうようで、この日の会場めぐりではどこの酒も、口に含むとみなおなじに美味く感じるから、欲しい酒に迷ってしまう。
馴染みのある蔵元さんのコーナーに寄ってみると、社長さんご夫妻が揃ってと云うか、二人だけの出展で奮闘されておられた。新潟の酒が淡麗辛口の評判に乗りおくれまいと奮闘しているとき、この小さな蔵元の酒に違和感をおぼえていた。あまりスッキリ系ではなかったのだが、なじむと穏やかなぬくもりようなものを感じると思えた。やみくもに時流の味を追うのではなく、自分の蔵の味を大事にしたいと、当時まだ若かった蔵元ご主人の弁であった。あいかわらず小さな蔵であるが、愛着をおぼえる蔵のことである。
今回の「 酒の陣 」での 見つけ ≠ヘこのお酒である。
山廃酒は2・3年前のこの会場ではよく見かけたような気がする。初めて山廃酒にふれたのは十数年前のことであろうか、変に酸味の濃いお酒とおもえてなじめなかった。それ以来近づいていなかったのだが、2・3年前にこの会場に広まっていた山廃酒には、味わいの面白みを感じることができた。酒が変わったのか、自分の口が変わったのか。
その山廃酒は、今年の会場にはあまり見かけない。どうしたことであろうか。古酒も以前よく見かけたことがあったのだが、これも消えたのであろうか。

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