年毎に迎えている八月十五日である。
今日の新聞には
64回目とあった。それは終戦記念日のこと。
でもこの日は終戦記念日だけではない。お盆の日でもある。
お盆は祖霊を迎える日として、特別の日であった。
ご馳走を食べて、気持ちのくつろげる日との印象は、子どものころからの記憶であって、三郎次には
70回を越える八月十五日となった。
この日の記憶はそれだけではない。コシヒカリの記憶がある。
コシヒカリが魚沼に広まるころ、昭和30年代の田植は晩かったので、稲の出穂も遅れていた。お盆までには、なんとか稲穂を見たいものと念じながらの、田んぼ仕事であった。
コシヒカリの稲穂を撫ぜわたる風にあたりながら、祖霊との相饗のくつろぎがお盆の八月十五日との記憶も、すでに
50回くらいになろうか。
今年の八月十五日は、正午に町の合図で、戦没者慰霊の黙祷があった。
このとき三郎次は、町の戦没者慰霊碑を訪れていた。
← クリック拡大
この日の戦没者慰霊碑には、昨年も一昨年も訪れていた。33戸の三郎次のムラで、この碑に刻名された戦没者は9柱を確かめられる。戦場に赴いて帰ることのなかったムラの先輩の名に指をあてて、一人ひとりをなぞったのである。三郎次の無念を伝えながら、手をあわせたのであった。
八月十五日の追憶
台湾の暑い夏の日の記憶
今日の新聞の「 日報抄 」には、90歳になる戦場経験者の言葉を載せていた。「正義は或る日突然逆転する。・・」と書かれていた。
「正義」をかかげた戦場に赴かされ、「悠久の大義に生きる」としてそのままムラに帰れなかった人たちに背負わされたものは何であったのかと、この問いが念頭から消えることのないのが八月十五日である。

1