田植えから一週間、稲苗が立ち上がってきた。この間、晴れの日も雨の日もあったが、晴れでも雨でも田んぼ周りの作業は残っていた。この春の雪消えの遅れで、土手の修復に手がまわらないままに田植えだけ済ませてしまっていた。その土手修復に晴れの日よりも、
雨で湿った土を盛りながら積み上げるのが仕上がりのよいことを、山田にかかわった子供のときから教えられてきたことなのだ。


山田の耕作放棄は祖先に申し訳ないと思いながらも、今日の事情ではやむないことにしてしまった山の道である。しばらくぶりで通ってみた。杉木立と青葉の山は、その祖先から受け継いだ山である。見上げるとホウの葉が白い花をつけている。
ヒラには笹の葉が開きはじめている。山のウツギがあでやかにピンクの花をつけるのも、田植えの終えたこの時期である。

雑木の茂みの先に、白い花房が浮かんでいる。
あんにんご≠ゥな?。あんにんごの花は田植え前に終わっているはずなにと考えてしまう。

家の前のあんにんご≠ヘ、田植の前に可憐な白い花が咲いていたのに、今はもう小さな粒々の実が枝先の房になっている。山の春はやはり遅かったのかと、こんな違いに驚いていた。
山栗の葉の茂みをよく見ると、花房が立ち上がっている。まだ白くないのは花が開いていないからであろう。

見上げるとさまざまな若葉が重なり合う木々の繁みがあるが、樹木の名前をあまりにも知っていない三郎次である。子供のころに遊んだ記憶が、どんぐり≠フ木であり、すべて焚き木となるぼよ木℃G木であった。そのぼよ木≠ニ薪木にするころ木$リりを経験しなかった世代なので、木の名前を覚えないでしまったようである。

その繁り合う木の下で、古い落ち葉の下から新しい命の葉が伸びていた。昨年秋のどんぐり≠ゥら芽生えたのである。子供のころはどんぐり≠ならがま≠ニ言っていた。キット楢の木の実のことであったのであろう。
この芽生えの若木は、楢の木であろうと思い出した。
だが万葉集での椎の葉≠フことは思い浮かばない。知らないのである。

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