
さなぶり≠フ田の神にお供えしたホウの葉≠ゥらの連想で、万葉集によく知られる椎の葉≠ノ思いつくのだが、その葉を知らないのでネットに探ってみた。
写真は拝借です。 →(元ページ)
どんぐり≠ェ沢山ついているこのような葉は、やはり見たことがない。濃い深みどりはつばき≠フような常緑でテリのある木の葉のようである。これは中尾佐助のいわゆる照葉樹林≠フ範ちゅうになろうか。
西南暖地の植生ならば、列島のやや北に位置して内陸の魚沼では、やはり見ることなく知らない葉となる。
大きさはせいぜい山栗の葉くらいのようで、ほうの葉にはとてもおよばない小ぶりである。
家にあれば笥(
け)に盛る飯(
いひ)を草枕旅にしあれば椎の葉に盛る
この小さすぎる葉に飯を盛るとした古歌の解釈は、神に供える象徴的な意味と理解するのがもっぱらのようである。万葉集の昔であっても、この小さな葉に飯を盛るのはあまり実用的な所作には思えない。ホウの葉ほどの広さでなくとも、椎の葉よりは大きめな葉はなかったのであろうか。
子供のころの山遊びの記憶で、どんぐり≠拾いながら見上げると、小さなどんぐり≠ェ生る木には小さな葉が、そして大きなどんぐり≠ヘ大きな葉をつける木の下で拾っていた。上の写真の小さな葉の木は、里山ならどこにでも生えているぼよ木∞しば木≠フ雑木である。樹木の正しい名など、子供の遊びの中では覚ようがなかった。
大きめの葉をつけて、どんぐり≠フ大きい木はカシワの木≠ナあろうか?。あまり見かけないのであるが、それでも気にしていると其処かしこに生えている。大方ころ木≠ノして、薪にするのであるから、やや大木となっていた。
栃の木≠フ葉ならもっと大振りである。三郎次在所(
旧北魚沼川口町)辺の里山に見ることがなく、先年津南町の秋山郷を訪れて初めて目にした時、やや遠めにみてホウの葉に紛う大きさと思った。
昨年、在所の里山(
中山のサンゴ山)で漸う栃の木に出会えたときは発見≠ニ思った。


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栃の葉;6月5日、さんご山で )
椎の葉に飯を盛ると詠んだ有馬皇子の旅行きは、熊野古道の悲劇の旅路であった。この南紀の道の辺には、ホウの木とかカシワの木、栃の木などの大葉の木はなかったのだろうか。椎の葉が小さいことを知って、三郎次の思案となっていた。
南紀は黒潮の洗う太平洋に面している。照葉樹林の地域である。照葉樹の椎の木がキットよく育つのであって、大葉の落葉樹などが育つところではなかったのかと、それで小さくとも椎の葉が神に供える器となる象徴的な歌が詠まれたのかと思案になるのであった。

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