ここ数日の春陽に、さしもの雪はその量を一気減らしている。ゆく春を惜しむなどの風流には無縁な三郎次であるが、季節の移りの早さを感じている。
冬さなかの晴れた日、川口落合の眺望である。わが町の象徴的なビューポイントであったのが、その町が消えてからは、わが郷の象徴の景観にとおさえている。
冬の落合は、信濃川も魚野川も流れの水は枯れていた。
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三郎次の幼いころ、春には「雪しろ水」とか「消えしろ水」などの言葉が日常にあったと覚えているが、近年は耳にすることがなくなった。「春みず」の唱えもあって、雪消えときの川の増水は春水であった。
ふりつみし高嶺のみ雪とけにけり清滝川の水の白波
春の日の魚野川が、水嵩をまして濁り水になるとこの古歌が思い浮かぶ。だが峨々たる国境の山並の雪解けは晩いので、まず山麓の融雪が魚野川の春の兆しとなって、川辺の雪の壁を崩して瀬を早めている。
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早春の魚野川、和南津橋の下で
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残雪、飯山線鉄橋の下で
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今日の魚野川、川口橋の上流
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今日の魚野川、野田島と和南津下タ島。まだノッシリとした残雪である。
この雪の下は、昨年7月の水害で荒れた無残な田面である。今夏の作付が危ぶまれる。
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和南津・野田の川辺の残雪とは対照的に、和南津山の頂にみどりが甦っている。春一番の緑はブナの芽吹きと教えられてきた。和南津山のブナのみどりに気づくと、この年の春≠実感するのである。みどりの山野とのかかわりに生を紡いできたわれらの感覚である。それにしても中山サンゴ山のこぶしの花の白さが目につかないのが気がかりである。

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