雪の消えの後れたこの春は、田植えも後れた。
ようよう済ませた植え田のコシヒカリは、五月の陽射しを受けて健やかに立ち上がっていた。

いつもなら、コシヒカリの育ちを見ながら、田の畔にたたずんで初夏の陽光を受けていると、気持ちがはずむのであるが、6月に入って今日の心は重い。ともに山田のコシヒカリとかかわってきたムラの先輩が逝ったのである。三郎次が学校を卒えて、ムラの一員となって以来、教えをうけてきた先輩であった。その先輩のことは、いく度か
ここの書き込みでも触れていたのである。
88歳で逝かれた彼は稲の神さまであったと思っている。
若い時の三郎次が生半可な知識をもとに、稲の生育調査などとして、分けつ茎数とか草丈などと唱えて、稲の育ちを確かめようとしても、彼は無口であった。田の畔に立った先輩は、遠く稲を眺め、近く稲を見つめて、手で触れてみる。そして「きれいな稲だのう」と口を開く。「きれいな稲」の意味をまだ理解できなかった若い三郎次は、失礼にも先輩はその年代からして、現代の稲作感覚にはやや疎いのかと思ったこともあったが、やがてそれは己の誤りと悟らねばならなかった。
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生育調査の1本植えサンプル株 ) (
出葉調査と草丈・葉身長 )

良い稲苗をおこして、旺盛な育ちを確保したとしても、それが秋の良い稲になるとは限らないと知ったからである。一株の分けつ茎数をかぞえて、一本の稲の葉をかぞえて長さを計って、稲の育ちを数値化しても、広い田んぼの稲の様子が把握されたとは言い難いのである。魚沼の小さな山田は、田んぼの数が多い。東向きとか西向き、あるいは北向き南向きと、また木陰・山陰に土質の違いもある。さまざまな条件に育つ稲を数ええて計っての調査は、忙しい耕作者にできることではない。
それでも的確に稲の育ちを把握していた先輩農家は、「きれいな稲だのう」の一言に万感の思いを込めていたのである。

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