昨日、沖縄『琉球新報』に「両陛下、
対馬丸の犠牲者悼む」の記事が載った。
⇒記事
沖縄の「6月」は慰霊の月である。69年前の日本の敗戦に先がけて、沖縄には米軍上陸で、熾烈な戦場にされた。多く失われた島民の命の慰霊の月が「
6月」なのである。
私は一度だけ沖縄を訪れている。26年前の梅雨あけの暑い「
6月の沖縄」であった。
その沖縄とのはじめての出会いは69年前に遡る忘れられない記憶にある。それが「
対馬丸」のことです。日本の敗戦は私の国民学校(
小学校)3年生のこと。教材の乏しい学校で、担任の先生が本を読み聞かせながら語った「対馬丸」事件は、米軍の沖縄侵攻を前に、沖縄県学童の集団疎開船
対馬丸が九州に向かう航海中に、米軍の魚雷攻撃を受けて沈没した事件です。沖縄の大勢の学童が海に投げ出されて、冷たい波間に沈んだことを話す先生の声は嗚咽に変わっていた。自分らと同じ年代の子どもたちの悲劇に、教室の中にすすり泣きが広がって、先生も生徒も、学級のみんなで一緒に涙した遠い記憶があるのです。
⇒記憶
両陛下の沖縄ご訪問の「
6月」に、両陛下の深いおこころを感じます。
別のかたちでこの6月の初め、私どもは全国植樹祭会場として新潟県長岡市川口中山に両陛下をお迎えしました。
三郎次の生まれながらの在所である中山の山野は、ここに暮らす私には日常の場です。
「
6月の沖縄」にこころを寄せられる陛下、野と山の川口中山にお出ましをいただいた陛下、
この二つのことはどこでどのように繋がるのかと、我が国の国ぶりに想いを寄せることになった「
6月」です。

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