三郎次が学校を卒えるのはおよそ60年も前の昔のこと。今度はムラの学校に仲間入りする。ムラの学校では教科書とかカリキュラムなど具体的なことは何も無い。日常の暮らしの中でのつき合いから、相手の知恵を学ぶのである。それは感じとることであり、いわば盗みとることとも言える。
ムラの多くの先輩から学んだことは数えきれない。稲のこともムラの学校で学んだのである。ムラの先輩の知恵を少しづつ受け継ぎながら稲と向き合ってきた。その先輩諸氏も多く鬼籍に入られてしまわれた。
さりげない日常に交わしている言葉にも、引き継がれ蓄積されてきたムラの知恵が込められている。だかそのことの深さに気付くことなく、見失ってしまったことも多々ある。
稲の生育がすすんで立派になることを「おとな(
大人)になる」という。大きくなることは「できる」と言って、大人とは微妙に意味が違っている。
「平らにできる」とか「きれいにできる」のも良い稲の要件である。
今の時期、稲のことはムラの言葉で「できた稲の色をおとし、穂肥をまいて、また丁度よく色を出すように」と、一番の気遣いで田んぼの様子を見ている。
そして究極に目指すのは「ときば色の稲」なのであって、今日一般の言葉にある「黄金色の稲」などは、ムラの先輩の言葉になかった。だか今日、「ときば色」という言葉がムラから消えてしまった。言葉が消えることは、その受け継いできた言葉が意味した感覚・おもい・思想が消えることではないかと、一抹の寂しさも覚えるのである。

(
穂肥を施して間もないきれいな田んぼ、西川口 原田)
ときば色の稲を念頭に、今日の田んぼを見ていると、また先輩の言葉が浮かんできた。いまの時期、嫌う稲の様子に「葉がながれる」ということがある。
一見、平らなきれいな生育をしている田んぼでも、少しの風のそよぎで稲の葉の流れに気付くことがある。 (
上掲写真、田んぼの右下にながれ葉が見える)


上位葉の1〜2枚が直立しないで、斜めに揺れているのは、あきらかに長めの葉である。
気にかかるながれ葉の1本を抜いて、普通の稲(
三郎次にはやや短めとの認識)との写真を並べてみた。(
撮影日は1日違うが、おなじ田んぼの稲)
ながれ葉の
B稲は、止葉先が出始めたばかりなのに草丈100pにもなって、止葉の伸びている
A稲にくらへて随分と長い。止葉の位置から見ると、出穂までの生育が5日ほど遅れているのに、草丈だけはとても長いことになる。
この稲の生育経過を推測すると、6月末ころの大きさを示す
D葉がとても小さい。7月上旬の大きさである
C葉も小さいのである。
ところが7月中旬の
B葉はいっきに伸びて、
A稲よりも7〜8p 長くなっている。この勢いは次の葉にさらに大きく、
A葉草丈が100pにもなっている。
B稲の7月上旬までが小さいのは後出の分けつ茎だからであろう。この
D・C葉草丈がここまで小さいと、通常5節間長は伸びてこないと思えるのだが、この稲では短いながらも1pほど伸びている。これは5節間伸長期が
A葉の伸長期とほぼ重なっているので、
A葉伸長の勢いが5節間長にも動いたのであろう。

茎を割ってみると幼穂が伸びている。およそ13mmていどである。
前日の
A稲は幼穂70mmと先行して伸びていた。
B稲の生育後づれと草丈の異様な伸び、ながれ葉は関係しているのではないかと気づくのである。
先輩の言う 乱れのない平らなきれいな稲 ≠ニなるには、このながれ葉はけっして良い様子ではない。苗質に問題はなかった、茎揃いをどのようにしたのかと、また焦りから不用意な肥料の利かせはなかったかと思い返すことはいくつかあろう。鬼籍の先輩は問うても応ぜず、もはや己に問うことしかないのである。

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