梅雨の中ごろとなる今分、魚沼では
イモチ病(稲熱病)が広まるころであった。今は
農薬による予防で懸念はほとんどなくなっている。
三郎次の若年のときの稲の病虫害は、イモチ病を筆頭に、紋枯病、ごま葉枯、白葉枯病、二化メイ虫、イネドロオイ虫、イナゴ、アオ虫、ウンカと多彩であって、一番こわかったのがイモチ病と二化メイ虫であった。これらの病虫害は、農薬による抑止が効いて、広範な被害を見聞することはなくなった。おそらく被害の実態を知らない農家が増えていることと思う。
コシヒカリは倒伏とイモチ病に弱い。これは導入の当初からコシヒカリについていた評価であった。コシヒカリの普及上の問題点もそこにあったことは間違いない。しかし、そのことが必要以上に強調されていたのである。コシヒカリに芸者稲とか女郎稲などの悪意の呼名をつけたのも、見掛けの生育はよくても、弱い稲、収量性に劣っている稲との認識からであった(
この悪意の呼称と認識は魚沼からのものではない)。
コシヒカリの販売と栽培が全国的に普及するころ、コシヒカリ物語等の書物がブームのように広まる時期があった。そのブームに便乗した出版物に、コシヒカリは病気に弱いので、農薬漬けの栽培だから食べてはいけない、と云うような本まで出て、魚沼の現場での思いとずいぶんかけ離れた主張もみえた。
確かにコシヒカリはイモチ病に弱い。
今日のようにコシヒカリ以外の品種の作付けはほとんど無いとか、農薬の抑止が効いている状態では、コシヒカリがイモチ病に弱いことを、現場の経験で認識している人は、だんだん少なくなっている。
魚沼はイモチ病の多発地帯として知られており、イモチ病防除の技術も魚沼での現場検証の実績で積み上げていた。山の根(
あるいは山の腰)などで、冷たい水の差す所、山陰、土手陰、木陰などの日当たりの悪いところ、特に朝日の当たりの悪いところは、朝露の切れが悪く、そのようなところはイモチ病が毎年発生するところで、ここでの発病が病源となって蔓延するのであった。
田んぼの土壌が痩せているところ(乾田)でも発生しやすい環境(
特に穂イモチ病)で、魚沼の山田の状況と重なっていた。
このような田んぼではイモチ病対策は懸命である。
ここでは、
イモチ病に強い品種を選んで取上げ、コシヒカリを敬遠していた。しかし突然に、これまでイモチ病に強いとしていた品種にイモチ病被害の広まる年があった。このときの研究機関の説明は、
イモチ病菌には複数の種類があり(
これをレースと言った)、その種類で
稲品種ごとの耐病性が異なるとのことであった。
これまではコシヒカリなどが罹病しやすい菌種が広まっていたのに、今度はそれ以外の、イモチ病に強いとされた品種も罹病するイモチ菌種が広まってきたことになる。
イモチ病で強い品種が、一転して弱い品種になる。当時の栽培農家としては驚きであった。このイモチ病の逆転劇で、これまでの耐病の強い品種、たとえば「山ひびき」「秋まさり」(
具体的品種名では記憶違いの錯誤があるかもしれない)などが駆逐されるなどして、相対的に、魚沼でのコシヒカリの立場は強くなるのであった。
三郎次の感覚では、コシヒカリはイモチ病に掛かりやすいが、他の強いとされている早生系品種よりも、立ち直るということでは強い力を持っており、
栽培現場ではむしろコシヒカリはイモチに有利な品種との認識もあった。
8日のパソコンクラブBBSに
コシヒカリILのことが話題として提供されていた。コシヒカリに、
イモチ病の抵抗性を持たせた品種のことである。
私は研究機関にかかわる者でないので、一般的知識しかなく、特別のことを述べることはできない。ただ回顧するなら、イモチ病に弱かったはずのコシヒカリが、菌種の違いによって逆転劇の起きたとき、そこから今日の
耐病性品種への開発が始まったものと、思い当たるのです。あるいはもっと以前のイモチ病菌のレースの発見が基礎研究に当たることも見逃せません。科学研究の成果として評価したいとおもいます。
IL稲については、それぞれで知見を整理して、意見を述べてもおかしくない問題を持っていると思います。三郎次もおいおいに触れたいと思いますが、
科学の成果を、社会的に評価するには複雑なことがでてきます。
(
関係者以外には退屈な記述になっています。もっとドラマチック書ければとも思いますが、努めて追憶の事実を追うことにしています。)

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