何気ない時に…。♪悲しいだろう…みんな同じさぁー。吉田拓郎さんの「どうしてこんなに悲しいんだろう」のフレーズである。思春期のころ、吉田拓郎さんはとてつもなくかっこ良く思った。名前が飛び交う割には写真が見あたらない。それがまたカッコ良かった。ギターを始めた高校一年生の頃、拓郎さんの曲を本当に良く歌ったものだった。1976年ベストと「明日に向かって走れ」のアルバムはその頃の宝物だった。冒頭の「どうしてこんなに悲しいんだろう」は前にも書いたが駒沢裕城氏のペダルスチールのイントロが素晴らしく、後にペダルスチールを始めた布石となっていたと思う。拓郎さん自身「ベストトラックでなかなかこの曲の壁を越せない」と語っておられた。いま思いだしてもかなりの曲の歌詞は覚えていて、中でも、「伽草子」のメロディと歌詞、題名は秀逸、「たどり着いたらいつも雨ふり」は、こんな心境の時に自然と口にでたことは数知れず…、ときりがないが…、吉田拓郎さんの詞の世界観にはいろんな(当然メロディにも!)ことに夢を見させてもらった。「まつりのあと」では、もううらむまい、もううらむのはよそう…。「シンシア」での日本の
ブルーズ感…。など書くにはあまた…で…ある。しかしながら79年以降は感性の枯渇と状況にたいしての限界?が感じられたが…、反論もあろう、その頃には洋楽のみを聞いていたせいもあるけど、拓郎さんの曲は私の胸に響かなくなっていた、スーパースターであり、だんだんメジャー、マイナー、アーティストを意識しだした時点で、「数の論理」で大衆に迎合しているような印象を持ってしまったからだったかもしれない。多感な時期だったからだろうか…、というのはというのはたやすいけど…しかしもう一度、声をあげてほしい!と願うのはフアンの願いだけれど、人は変わっていくもの…、私も拓郎さんも、私はそれで良いと思ってる。前にテレビで拓郎さんを観たが…、何よりも「懐かしい」といった感情では絶対に見たくない人の一人である。怒られる人もいるだろうが…。「日本語はカッコイイ!」と感じさせてくれる人である。

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