千田佳生のペダルスチールな日々

 

カレンダー

2020年
← November →
Sun Mon Tue Wed Thu Fri Sat
1 2 3 4 5 6 7
8 9 10 11 12 13 14
15 16 17 18 19 20 21
22 23 24 25 26 27 28
29 30          

過去ログ

カウンター

本日のアクセス
昨日のアクセス
総アクセス数

ブログサービス

Powered by

teacup.ブログ
RSS
投稿者
メール

 
コメント
URL
コメントは新しいものから表示されます。
コメント本文中とURL欄にURLを記入すると、自動的にリンクされます。
投稿者:千田佳生
BURNYヒロ 様

う〜んなるほど、違った側面からのご意見ありがとうございました。

それにしても、もしも住田さんがこの間居てくれたら…。

投稿者:BURNYヒロ
住田さんは、ネイティブアメリカンな人で、陣屋さんは、ネイティブジャパニーズ!ですなーーー。
投稿者:千田佳生
中村 様 陣屋 様

本日高岡市の「おとぎの森公園」でのアコースティックギターの弾き語りの団体のライブを聞いてきました。

皆さん本当に自分のライブを聞いて喜び、弾いて楽しんでいる姿勢に、高校生の頃と、そう変わってない?人びととのふれあいはいつも気持ちを「あったかい気持ち」にさせてもらえました。

「とんが屋ライブ」に集まった出演者の純粋な気持ちの高校生ではなくなんと、中学生、ロックバンドの低年齢化と「M建材バンド」のロックバンド高齢化?(すいません。)『みんながロックであること』に「ウルウルくるなあ…」などと思いながら、「歌える場があること、弾ける場があること」を各世代で感謝です。
「まるほブラザーズ」の宅録音は意外な事実でした、私も機材を使いこなしてデジタルマルチトラックレコーダー(ヤマハの『サウンドスケッチャー』)で作品をまたまとめなければ…。いくらなんでもペダルスチールソロスタイルだけではズボラだし、精神的にあまり前向きではないかなあ…。

まあまあ考えますね。

私自身ギターリスト中村さんから素晴らしい言葉の宝物(もったいなくて書けませんが…。)をもらった『お返し』に77年レスポールを純粋に弾いて欲しいなと思いました。
フェンダーストラトキャスター、ギブソンレスポールに憧れた高校生の頃…。

陣屋さんも中村さんもずっと弾き続けて欲しいギターリストの方です。

今回、住田さんが私の夢に出て来られてなかなか思うところがありました。

亡くなられた住田さん、本当に内灘のストリートで中村さんとセッションしてるように一度セッションしてみたかったですね。

投稿者:陣屋
 何度もおじゃましてスンマセン・・・。
我々(とんが家)は、これまで中学生・高校生を中心にしたLIVEは十数回・・もっと???。前回sendaさんも出演して頂いた時のLIVEに中学生のBANDOにも出演してもらった・・・その他のLIVEでも毎回子供達を参加させています。
 この世代に「ああしろ・こうしろ」と言った事は一度も無い。
この世代は「素材」として「我々のガキの頃」もそうであったようにとりあえずBANDOでも何でもやってみれば良いと思う。
 子供達が「あこがれのBAND・あこがれのミュージシャン」のようにステージで輝きたいと思う事には純粋さを感じる。だから我々は彼らをバックアッブするのです。
 問題はその後で・・・大人になっても音楽を続ける・・・。
私もSENDAさんも、そして中村さんも感じるように。我々が「ガキの頃」あれほど大勢いた音楽仲間・・・しかし、就職だの結婚だの何だので音楽を止めてしまう・・・。
 中村さんの言った「宅録ッカーとしての曲造りのプロセス、バンドでの曲造りから演奏に至るまでのプロセス等にはスポーツ的だったり学問的だったり音楽とはかけ離れた部分が山ほど有ります・・・」はまさにそのとおりなのです。
 宅録であろうがliveでの演奏であろうが音楽を続ける(作り出す事)はそれらも含んでの事だと思いますし、その過程でソロであるかユニットであるかはどその時の判断で良いと思うけど。

 実際、私と亡くなった住田とは「まるほ」というユニットを起動する前、約一年間はお互いに当時の「マルチトラックレコーダー」で宅録で数十曲を作った。
 その間ユニットとして音を出した事は一度も無い。その間上記の中村さんの言ったような問題を彼とさんざん検討した・・・。
 その上でのユニットなのです。
 当時sendaさんには「まるほ」に対してたいへん有り難い評価を頂いた記憶が有りますが、その裏には住田との緻密な計算が有った事・・・。
 今・・・当時を思いながら新たな曲作りに入っています・・・・・・自分の為に・・・ガキの頃のように・・・。
 
 

 
 
投稿者:中村
こんばんは。日中はありがとうございました。

77年LP、改めて弾き倒してみると良い音だなあと痛感しました。近年ものの高価で小綺麗で物欲を満たすだけの(失礼ながら偏見です(笑))上位機種よりLPらしい生音で歌ってくれて弾いていてとても楽しいです。フレット換えればほぼ完璧かと。しばらくの間、お供させていただきます。

ソロとは、バンドとは何ぞや?所謂大衆洋物楽器を握って音楽を創作、表現する人間の至上命題の一つですね。ただ漠然と楽器を弾いているだけの年月を除けば8年程しか音楽に触れていない小僧なので到底答えは導き出せません。

私事ですが宅録ッカーとしての曲造りのプロセス、バンドでの曲造りから演奏に至るまでのプロセス等にはスポーツ的だったり学問的だったり音楽とはかけ離れた部分が山ほど有ります。出来上がった曲に「何やコレ?」と音楽を感じない事もしばしば。陣屋様のおっしゃる通り、何を以て「音楽」なのかを考え、不特定多数にアンケートとって過半数の了解を得られる自分なりの答え持った上で音出さなきゃいかんのでしょう。小生にはまだまだ到達出来ない領域です。

女性シンガーとはジョニミッチェルですかね?ではまた。
投稿者:千田佳生
陣屋 様

ひきつづきうれしい評価を頂きありがとうございました。

そういえば当時、二十歳の頃に住田さんに大変不思議なことを言われたことを思い出しました。

住田さん「バンドなんて組たいと思うか?」

私「えっ?」

詳細は思い出せませんが、ジャコパストリアスとパットメセニー、そしてカナダの女性シンガー、あら?誰だったかな…(ド忘れ)『シャドウ&ライト』を聞かせてもらいながら、その耳を疑うような言葉は住田さんの口から発せられたのでした。

私と言えば「バンドを組んで当たり前。」という頭があったから、住田さんの発言は「???」と全く理解出来ず、当時二十才とは言え、カセットからカセットで多重録音した自分の作品を聞いてもらいながら、住田さんのフレットレスベースで『ブラックバード』を聞かせてもらいながら、「バンドなんて組たいと思うか?」と言われた住田氏の言わんとすることは全く解らないまんま家に帰りました…。

しかし、その夜のジャコパストリアスのサウンドは心に残り、それでなくても世間はフュージョンブーム、私は相変わらずKING氏に影響をモロに受けていたアメリカンロックから頭を切り替えることが出来ず、そのKING氏はパンクロックそして、『PIL』へと傾倒し、私は多重録音デッキを手に入れることを考えてドラムマシンを買ったりしていました。

でも、これはライブではありません、仲間をなんとか集めてウエストコーストバンドやサザンロックバンドを組ましたが傍らで「金沢ミリオンカントリーボーイズ」でペダルスチールを弾きながら、「自分になんの主導権も無いこと」「なんて今ペダルスチールを、いや、カントリーやってるんだろ?」内側から疑問符が出てきて「営業活動」と「表現活動」の違いを悟った瞬間でした。

私自身カントリーバンドの洗脳を受けフォークギターでオリジナルを歌った少年を嘲笑ったことがありました。思いがけず現在は敢えてソロスタイルを取っています。心の自由かあり自身ね感性を見つめられます。

「一人っきりが逆に今のところ武器になってますね。」

「意外性もありますが…」

今は訳けあって「一人単独でしか音楽しかできない状況にあります。」

それはいつかワケを説明します。

つくづく音楽はメンタルなものですねー。
でも再びバンドを組むことはいつかそんな出会いを夢をむてみたい。
投稿者:陣屋
 ソロスタイルというか、一人ででも自分を表現出来るのが本来の形ではないか?。 「バンドでなければ・・誰かと一緒でなければ・・・自分の好きな曲でなければ演奏出来ない!」と言うのは「音楽」が好きなのではなく「形態的にバンド」が好きなだけで、長く音楽活動を続けたり、誰かに何かを感じさせる演奏は難しいと思う。
 その事は住田ともよく話していた・・・。ドラムやベースにしても同じである。これらのパートも単なるリズムセクションだけでなく、個々の考え方・自分にあったスタイルを確立しているミュージシャンは、曲の中でそれだけを取り上げて聴いても手応えを感じる。
 sendaさんのやっている事は「本来ミュージシャンの最も必要な部分」で、更にあらゆるジャンルをこなす能力は俺や住田にとって驚異的だった。
  住田は「まるほ」を起動する前「フラメンコギター」をやっていた。その理由を聞いたら「一人ででも演奏(表現)できるから」であった。彼は歌ったり曲を作ったりしなかったので、そのよう
なスタイルを自然にやっていたと思う。

 バンドを組む事が駄目だとは言わないが、有る程度のキャリアを持つミュージシャンであれば「一人ででも表現出来る何か」は・・・当然・・・。
投稿者:千田佳生
追記。

住田さんが今の私のソロスタイルを見られたらば、どんな感想を言われただろうか?

本当に私の大切な理解者のお一人だった。
投稿者:千田佳生
陣屋 様

早速のコメントありがとうございました。

夢の中でのことですが..。

なぜだか住田さんが夢の中に出て来られて、アパートのドアを開けていきなり「おい千田!貸したレコード返してくれ。」だったのですから、驚きました!(住田さんにレコードは借りてません。一切!)

住田さんはギタリスト、いや、純粋な音楽する純情について夢の中で「安易に迎合するな!」と言ってこられ、夢の中で激論になり、実は泣きそうになってました。

何故住田さんが夢に出て来られたのか不思議でなりませんでしたが…。

私は…「目の前に例えば、お婆ちゃんばかりなのに、聴衆の現場も考えずに難解なモノをやってガマン大会をさせる気はないです!」『時には自分も自分の音楽から離れてリラックスして古い曲の世界観を頼んでも良いのでは?』

と言ったら、「自分の音楽に自信が無いがか?」と言われて、イーグルスの歌詞と世界観の解説をしたら、かなり叱責を言われ、(このあたりは覚えてません。)

ミョウゲン氏と住田さんと私!

実現不可能になりましたが..夢の中でセッション出来たらいいですね。

起きたらまた汗だくになっていそうですね。(笑)

投稿者:陣屋
 住田・・・俺の夢に出てきた事は・・?あまりないな〜〜〜!
しかし、よく鮮明に夢を覚えてますね〜〜〜凄い。

 住田が人前で演奏したのは「まるほ」の一時期だけだったので殆ど知られていないが、彼のギターは素晴らしかったし俺自身彼から受けた影響も計り知れない。
 当時彼のギター演奏を聴いた連中はみな注目した。レーヌ沼田はじめ多くのミュージシャンが絶賛した・・・。彼と一緒に演奏しながらいつも「俺にもこれだけの演奏能力があれば・・・」と思っていた・・・うらやましかった・・・。
 
 アレンジャーとしても優れていて「まるほ」の曲は「住田」無くしてはできなかった。住田は歌詞や曲を作るのが苦手だったが、そのため俺とは「ソングライターとアレンジャー」というはっきりした関係が生まれたが、この事が曲を作る上ではスムーズだった。
 テクニカルな部分は住田に任せ、俺は曲そのものに専念し、原曲として彼に渡すだけだった。
 住田を語ると何時間もかかるのでこの辺りで・・・このBlogを見ている多くの方には全く知らない事でつまらないと思ますので・・。
 最後に・・・いつも思っていたけど「SENDAさん・ベーシストのMげん・そして住田」
 俺にしてみれば「ある意味プロを超越した三人のミュージシャン」が同じ市内と言うか、三人の家が「歩いて数分」の位置関係と言う事には今でも何か凄いな〜〜〜と思っている。
 実現はしなかったけど、この三人がユニットを組んだら・・・
  想像するだけでゾクゾクする・・・。


teacup.ブログ “AutoPage”
AutoPage最新お知らせ