またまた国際評論家小野寺光一の「政治経済の真実」メールマガジンからの孫引きです。
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小泉構造改革のモデル特区となる北九州市の市役所によって支払い期限を無期に延長される誓約書を書かされ、支払うことができなかったため保険証をとりあげられ、窓口で10割の負担を支払うようにされた。
そしてついに3月30日に自宅で動けなくなり、救急車で入院し、わずか3日後の2001年4月2日に息を引き取る。まだ32歳だった。
<全身が病気>
病名はバセドウ氏病 糖尿病 胃潰瘍 肺炎 全身出血
死因は衰弱死だった。
文字どうり全身がぼろぼろだった。
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以下
国際評論家小野寺光一
の「政治経済の真実」メールマガジンより転載
以下に紹介する話は、実話である。
最後に紹介する手紙(遺書)もその人が実際に書いたものであり、本当にあったことだ。
手書きの遺書のものは、
国保崩壊という本の26ページにのっている。
国保崩壊13ページ〜26ページより
<武田正夫さんと幸枝さんの結婚>
1992年(平成4年)
北九州 小倉市に住む 武田正夫さんと、幸枝さんは結婚をした。
<整った顔立ちのかわいい女の子だった>
友人によれば幸枝さんのことを
「整った顔立ちのかわいい女の子でしたよ。
何回か二人でたずねてきて楽しそうにしてたけど、わりとおとなしい人で。
ただ、甲状腺の病気があるということだけはきかされてたかな。」
と言っている。
※ 甲状腺 (のどぼとけ)の下方に位置する器官。甲状腺ホルモンのほか、血中のカルシウムを下げるホルモンを分泌する
※
幸枝さんの結婚当時の
1992年
平成4年は、山形新幹線が開業し、
スタジオジブリ宮崎駿監督の
「紅の豚」
シャロンストーンの
「氷の微笑」
そして
「ターミネーター2」
が前年から大ヒットをしていた。
歌では、
バブルガムブラザーズの
ウオントビーロングWON’T BE LONGや
部屋と
Yシャツと私(平松愛理)がヒット。
その歌詞は
<部屋とYシャツと私>
お願いがあるのよ
あなたの苗字になる私
大事に思うならば
ちゃんと聞いてほしい
飲みすぎて帰っても
3日よいまでは許すけど
4日目つぶれた夜
恐れて実家に帰らないで
部屋とYシャツと私
愛するあなたのため
毎日みがいていたいから
時々 服を買ってね。
愛するあなたのため
きれいでいさせて
いつわらないでいて
女の勘はするどいもの
あなたはうそをつくとき
右の眉があがる
あなた浮気したら
うちでの食事に気をつけて
私は知恵をしぼって
毒入りスープで一緒にいこう
大地をはうような
あなたのいびきも歯ぎしりも
もう暗やみに一人じゃないと
安心できて
すき
だけどもし
寝言で
ほかの子の名前を呼ばぬように
気に入った女の子は私と
同じ名前で呼んで
ロマンスグレーになって
冒険の人生
突然選びたくなったら
最初に相談してね
私はあなたとならどこでも大丈夫
もし私が先立てば
おれも死ぬといってね
私はその言葉を胸に
天国へと旅立つわ
あなたの右のまゆ 見届けたあとで
部屋とYシャツと私
愛するあなたのため
毎日みがいていたいから
人生の記念日には
君はきれいといって
その気でいさせて
<武田正夫さんと幸枝さんは住友金属の下請け会社で働いていた>
武田正夫さんと幸枝さんは、住友金属の下請け会社に勤務その会社の社宅で暮らしていた。
<1998年に、会社が倒産>
ところが、
1998年の暮れ、結婚生活6年目住友金属のリストラのあおりをうけて正夫さんの勤めていた会社が倒産してしまう。
社宅は競売に出され二人はその日の暮らしにも困るようになっていった。
この1998年というのは橋本内閣が6大改革を行い、金融ビッグバンという愚行を行い、大会社が次から次へと倒産した年であった。
猪瀬直樹の「日本国の研究」が代議士に読まれ、その内容が政治に反映された年でもある。
いわば、外資の要求に屈し、日本国民を殺す「小泉構造改革」のさきがけとなるものであった。
生活費は二人でともにアルバイトをして稼ぎ出していた。
だが大きな問題は保険証だった。
<年間40万円の保険料>
それまで会社勤めをしていた正夫さんが、新しく健康保険に加入しようとするとやはり前年度の収入を基準に保険料が算出される。
二人に課せられることになった保険料額は、年間40数万円。
その金額は、新しいマンションの賃貸料や車のローンなどをかかえながら
アルバイト生活をする二人にすれば容易に支払えるものではなかった。
正夫さんはその金額を知ったとき「目の前が真っ暗になった」と友人に語っていたという。
<幸枝さんにとって大変な事態>
持病のある幸枝さんにとって継続的な医療を受けられないとなれば大変な事態になるのは明らかだった。
幸枝さんは病気をもっている身だったので長い時間働けない。
そのため正夫さんのアルバイト代だけが頼りとなれば、生活するだけで精一杯だった。
<保険証を入手して生きていくために泣く泣く離婚>
困りはてた二人が考え出した結論はなんと離婚だった。
国民健康保険証は世帯ごとに交付される。
もし離婚して一人だけの世帯となれば、幸枝さんに、正夫さんとは全く別に
新たな健康保険証が交付されることになる。
すきあって一緒になったのだから離婚する気なんて全くなかった。
しかし、保険証を手にいれて死をまぬかれるために二人で泣く泣くそうした。
離婚は、幸枝さんは 泣いていやがっていたという。
そして、幸枝さんは新たな健康保険証を手にいれたが、それまで約一年間
通院を中断し、自らもアルバイトをし、体を酷使していた。
そのため、ますます悪化していた。
新たに算出された国民健康保険料は3万1220円だった。
しかし、そのときに、すでに2年すぎれば無効だったものを北九州市に「2年以上すぎても支払うように」誓約書を書かされている。
結局、彼女は9千円だけを支払ったがそのあとの分割支払いはできなかった。
<北九州市とは>
北九州市は、この後に、小泉構造改革特区の募集で全国でも構造改革特区一番乗りをしたところで、小泉構造改革のもとで、失業などで困りきっている市民に対して情け容赦なく国民健康保険料を徴収し、すこしでも払うのが遅いとちゅうちょせずに保険証をとりあげる「モデル市」となった。この特別区でうまくいったことはすみやかに全国に広げるようにせよと米国から強い圧力がかかっている。
結局、幸枝さんはのちに小泉構造改革のモデル特区となる北九州市の市役所によって支払い期限を無期に延長される誓約書を書かされ、支払うことができなかったため保険証をとりあげられ、窓口で10割の負担を支払うようにされた。
そしてついに3月30日に自宅で動けなくなり、救急車で入院し、わずか3日後の2001年4月2日に息を引き取る。まだ32歳だった。
<全身が病気>
病名はバセドウ氏病 糖尿病 胃潰瘍 肺炎 全身出血、死因は衰弱死だった。
文字どうり全身がぼろぼろだった。
幸枝さんの死後、家の中を泣きながら整理していた正夫さんは幸枝さんがつけていた家計簿のなかに一枚の紙片がはさまれているのに気づいた。
<正夫さんへ幸枝さんからの手紙>
正夫様
いつも具合がわるくてごめんなさい。
正夫ちゃんにはいつも迷惑ばっかりかけてごめんなさい。
今の幸枝の体は、いままでで一番つらい状態です。
自分ではどーしようもないくらいです。
だからインスリンうちました。
もし、正夫ちゃんが、かえってきて幸枝がへんになっていてももうあわてないでください。
はっきりいってこんな風なら「死んだほうが楽かも」と思っています。
結局迷惑かけっぱなしでごめんなさい。
いつまでたっても元気にはなれないし正夫ちゃんにはもうこれ以上めいわく
かけたくないの。
何もしれやれん。
病院にも行けない。
手術もできない。
普通に元気にでいいのに。
何でうまくいかんのやろうね注射打ってもいき続けて私っていったい何者?
人間じゃないよこれからの長い人生ずっとこのままじゃ気が狂うよ。
どんたく楽しかったよ。
ありがとう。
私の出会った人の中であなたが一番いい男でした。
「国保崩壊」26ページより
幸枝さんが最後にみたどんたくとは福岡のお祭りのことである。
彼女が死んだのが4月2日でどんたくが例年5月3、4日ぐらいにやるから彼女は約1年前の祭りのことを「どんたく たのしかったよ ありがとう」といっていたのだろう。
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