HEAT氏のツイートより。
政府は2008年の夏からTPPの勉強会をしてした。
二階経産相がTPPを口にしたAPECは2008年11月。
中曽根外相もAPEC出席者。
野田佳彦がTPPに関する質疑を行なった外務委員会には、中曽根外相、伊藤副大臣、柴山昌彦政務官、西村康稔政務官が出席している。
外務委員長は河野太郎。
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二階俊博が甘利明の後任として経産大臣に就任したのは2008年8月2日。
二階経産相がTPPを進めるべきだと述べたAPECは2008年11月20日。
政府がTPPに関する本格的な勉強会を始めたのが2008年の夏。
二階経産相がTPP発言に至る経緯はわからないが、経産相就任前は党総務会長。
二階経産相のAPECでのTPP発言とは別に、外務省は「TPPへの我が国の関与のあり方について真剣に検討を進めている」「現在のところ、日本として参加するかどうかに関して結論はまだ出しておりません」と野田佳彦の質疑に答弁している。
これ以降、TPPは表舞台から姿を消す。
ウィキリークスによると、岡田秀一通商政策局長が東京の米国大使館の経済担当公使にTPP(P4)に関心をもっていると伝えたのは2008年8月26日。
同年10月13日〜14日、カトラーUSTR代表補が来日、岡田局長と小田部経済局長はP4について日米間の話し合いを進めたいと持ちかけた。
つまり、TPPへのアプローチを始めたのは日本政府であり、米国政府から持ちかけられたわけではない。
しかも、当時は自民党政権。
岡田局長が在京米国大使館の経済担当公使に関心を伝えたのは福田政権、カトラー来日は麻生政権ということになる。
政務三役はこれに関わっていたのだろうか。
岡田秀一通商政策局長が米国にTPP(P4)に関心を持っていると伝えたのは2008年8月26日、岡田が同局長に就任したのは同年8月1日である。
宗像直子が製造産業局から通商政策局に移って通商機構部参事官に就いたのも同年8月4日。
二階俊博の経産相就任も同年8月2日、福田内閣である。
二階俊博は第三次小泉内閣でも経産相をつとめている。
経産官僚として、小泉政権時代の全期間にわたって首相秘書官をつとめたのが岡田秀一である。
福田改造内閣で再び二階俊博が経産相に就任すると、同時に、岡田秀一が通商政策局長に就任し、宗像直子が通商機構部にやって来た。
国会の会議録を検索すると、2008年11月に野田佳彦が外務委員会でTPPに関する質疑をし、伊藤外務副大臣が答弁して以降、2010年まで約2年間、TPPが全く取り上げられていないことが判る。
で、2010年、菅首相がTPPの花火を打ち上げた。
岡田秀一は菅政権のとき審議官に昇格してる。
岡田は首相訪米に随行し⇒
http://bit.ly/Z6Kv5H
宗像は枝野のAPECに随行⇒
http://bit.ly/LNF8oZ
米国要人が来れば同席⇒
http://bit.ly/WAuncg
政権交代しても同席⇒
http://bit.ly/Y73bYm
TPPは明らかに自民党政権時代に始動した。
二階経産相がAPECでTPPを口にしたときは麻生内閣だが、同内閣の誕生は2008年9月24日である。
外務省は福田内閣時代にTPP勉強会をやっていたし、岡田通商政策局長が米国の経済担当公使にTPPへの関心を伝えたのは8月26日。
> 福田内閣の退陣って結局ナンぢゃったのかいのぉ(*^^)イマダニヨクワカラン
岡田局長が米国にTPPへの関心を伝えると、10月13日にはカトラー代表補が来日。
呼ぶのではなく来るところに米国の意欲を感じる。
そして11月、二階経産相がAPECで“TPP推進宣言”をするのである。
二階経産相の“TPP推進宣言”と菅首相の“開国宣言”に岡田秀一の関与は疑いない。
2008年APEC以後、TPPは2年間は話題にならなかったが、水面下では進行していた。
同年APECが終わると、日本は議長国となる2010年の横浜APECを見据える。
そして菅首相がAPECでTPPへの意欲を示し、交渉参加9カ国の会合にも出席、メディアはTPPが主役だったと評した。
2010年11月11日、菅首相がTPP首脳会合に出席したときの写真⇒
http://bit.ly/faDmVT
2010年の横浜APEC、菅首相の後ろに座っているのが岡田秀一である⇒
http://bit.ly/13xDuBN
正面から⇒
http://bit.ly/Z6M4AA
APEC閣僚会議で大畠経産相の背後に写る岡田秀一⇒
http://bit.ly/XLokFe
2008年10月、来日したカトラーUSTR代表補にTPP(P4)への関心を示し日米間の話し合いを進めたいと伝えた岡田秀一と小田部陽一経済局長。
小田部は2008年12月に審議官(経済担当)に昇格し、2011年1月まで審議官をつとめた。
さきほどの写真で、菅首相の後ろ、岡田秀一の隣に座っているのが小田部陽一審議官である⇒
http://bit.ly/ZQbjcP
小田部は2008年12月に審議官に昇格、岡田秀一の審議官昇格は2010年7月30日。
この二人が、TPPが主役と評された横浜APECで菅首相の背後に座っていた。
菅首相がTPPを口にした時からずっと、新聞TVはTPP推進の大合唱。
両審議官はこのとき、日本のTPP参加を確信したと思う。
民主党時代TPP担当だった河相が外務次官をつとめ、横浜APEC時に次官だった佐々江は駐米大使、片上は今もTPP担当だ。
経産省では岡田秀一の後任として通商政策局長をつとめた佐々木伸彦が審議官をつとめ、宗像直子が茂木大臣に寄り添う。
政権が交代しても、TPPを担当する事務方は同じ顔。
TPPは福田政権時代に水面下で動き出し、麻生内閣二階経産大臣がAPECで“TPP推進宣言”、その後2年間は再び水面下に潜り、菅首相が突然の“開国宣言”、野田政権はそれをさらに推し進め関係国と交渉参加へ向けた協議を開始。
現在は、政府会議の民間議員に推進派をビシッと並べた安倍政権。
3月1日のTPP交渉促進議連設立総会。
画像の一番左に座っているのは山内康一議員⇒
http://bit.ly/ZY8Ssm 寺田典城⇒
http://bit.ly/14fTR1T
石破幹事長は愛知県豊田市で講演。
TPPについて、「最初から、『ダメだから交渉参加はやめよう』という考え方は間違っている」と述べました。
NHK⇒
http://bit.ly/XLpgcE ※石破の持論「交渉参加推進論」が出た。
韓国政府は、米韓FTAの交渉過程において、米豪FTAにはISD条項が含まれていないことを理由に、ISD条項を採用しないことを求めた。
しかし、アメリカから韓国は英米法圏の国ではないとして一蹴された経過も明らかになっている。
岩月浩二弁護士⇒
http://bit.ly/YWkBVG

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