最近よくテレビで見かける国際政治研究家田中宇氏は「オサマ・ビンラディンとCIAの愛憎関係」という題で、次のように述べている。
「オサマ・ビンラディンといえば、アメリカにとって9月11日の大規模テロ事件を起こした仇敵であるはずだが、そのビン・ラディンが今年7月、中東ドバイのアメリカン病院に腎臓の病気を治療するため入院し、入院中にアメリカCIA要員やサウジ高官などが面会に訪れていたという。…
アフガニスタンに亡命先を変える前の1991−96年にビン・ラディンはスーダンに亡命していたが、当時のスーダンのエルワ国防大臣(Elfatih Erwa)が1996年にアメリカを訪れ「ビン・ラディンを引き渡すから、アメリカの裁判所で裁いてくれ」とCIAに掛け合ったが、断られたという…。
スーダンに頼まれた際、アメリカがビン・ラディンを引き取っていれば、9月11日の大規模テロ事件は防げたわけだが、実はCIAは98年にもビン・ラディンを捕捉するチャンスを自ら逃している。前出のサウジのタラキ王子が98年6月にタリバンの最高指導者オマル師と会い、ビン・ラディンをサウジアラビアに引き渡す交渉をした。オマルは引き渡しに前向きだったのだが、この2ヶ月後、アフリカのケニアなどで米大使館同時爆破テロが起こった。…
これらのことをアメリカの作戦失敗と考えることもできるが、CIAはビン・ラディンを捕まえたくなかったのではないかとも思える。
前出のビレッジボイスの記事でも、アメリカはサウジとの友好関係を重視して、ビン・ラディンの逮捕を見送ったのではないかと考察している。
またCIAは1960年代から、敵の勢力を完全につぶさず脅威として残しておくことで、アメリカ政府にとってCIAが大切な存在であり続けられるようにしてきたことでも知られている。」
これは、常識では考えられないことである。
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ブッシュ父子と秘密結社スカル・アンド・ボーンズ 上 投稿者 エンセン 日時 2003 年 8 月 11 日
アメリカがもしテロに事前に知っており、ビン・ラディンと何らかの関係があったとすれば、今アメリカがビン・ラディンを血眼になって探しているのはいったい何なのか。
同時多発テロは、ブッシュがあらかじめ予期していたことだったのか。
アメリカは、第二次大戦の際にも、日本の真珠湾攻撃をあらかじめ知っていたというし、イラクのクウェート侵攻は、アメリカが仕掛けた罠だとも言われる。
ブッシュ政権をはじめとして、アメリカには、このような不可解な陰謀的行動が多いのは一体何故だろう。
私は、この謎を解く鍵は、ブッシュやアメリカの指導者たちが属しているスカル・アンド・ボーンズ(頭蓋骨と骨)というオカルト秘密結社にあるのではないかと考えている。
スカル・アンド・ボーンズ研究家クリス・ミレガンの記事
http://www.parascope.com/articles/0997/skullbones.htm を参考にこの秘密結社について述べてみたい。
スカル・アンド・ボーンズは、19世紀にイェール大学でできた秘密結社で、現在でも(少数の例外を除き)WASP(白人・アングロサクソン・プロテスタント)中心の徹底した白人至上主義エリート集団である。
数ある秘密結社の中でも、米国社会に最も強い影響力を持ち、CIAやアメリカ法曹界や金融界や学界に巨大なネットワークを持っている。
もともと、イギリスのロスチャイルドの肝いりで阿片貿易に参加し、巨万の富を得たニューイングランドの有力商家が中心となって作られた結社で、メンバーには、ホイットニー、ロード、フェルプス、ワッズワース、アレン、バンディ、アダムス、スティムソン、タフト、ギルマン、パーキンス(第1グループ)、ハリマン、ロックフェラー、ペイン、ダヴィソン、ピルスベリー、ウェイヤハウザー(第2グループ)などのアメリカを実質的に支配している家族が含まれる。シフ、ワルブルグ、グッゲンハイム、メイヤーなど、ドイツ系ユダヤ人移民も近づこうとしたが、ニューイングランドのWASPとイギリスのユダヤ人社会との仲介役として受け入れられるだけで、内部のメンバーにはなれなかった。
中心の中心にいる第1グループの家族は、ほとんどが17世紀に最初にアメリカにやってきたピューリタンの末裔たちで、名門中の名門である。
第2グループは、最も初期の入植者の家族ではないが、18世紀から19世紀に巨万の富を得た名家だ。
スカル・アンド・ボーンズの目的は、国家主義に基づく「新世界秩序」の創造である。
これは、スカル・アンド・ボーンズの創立者ウィリアム・ハンチントン・ラッセルが1831-32年にドイツに留学し、当時流行していたヘーゲル哲学を学んだことに由来する。
当時プロシアにおいて人々は、ナポレオンとの戦争に破れたのは、兵士が自分のことしか考えない利己主義者だったからだと考えていた。
そこで、ジョン・ロックとジャン・ルソーの思想を取り入れた新しい国家中心主義教育が編み出された。
ジョアン・フィヒテは、『ドイツ国民に告ぐ』の中で、「子供たちは国家によって支配されるべきである。
彼らは、何を、どのように考えるかを、国家に指示してもらわねばならないのだ。」と述べた。
フィヒテを継いだのがヘーゲルだった。
彼は、「我々の世界は理性の世界である。国家は『絶対理性』であり、『世界を歩む神』であり、『最終目的』である。
市民は国家を崇拝するときにはじめて自由になる」と説いた。
このヘーゲルの神格化された全体主義・中央集権的国家の実現と、アメリカを中心とする世界秩序の再編こそがスカル・アンド・ボーンズの理念となったのである。
スカル・アンド・ボーンズのヘーゲル主義は、アメリカの各界に絶大な影響を与えてきた。
教育界では、スカル・アンド・ボーンズのメンバーであり、ジョンズ・ホプキンス大学(及びカリフォルニア大学)の初代学長であったダニエル・ギルマンが、ヘーゲル主義者ジョージ・S・モリス博士を招き、教鞭をとらせた。
モリスは次のように述べている。「…教育は、子供中心ではなく、国家中心であるべきだ。ヘーゲルは、『子供は、社会の歯車として機能しない限り、個人としての価値はまったくない。』と考えていた。」
このモリス博士のもとで学んだのが、アメリカ教育の父ジョン・デューイである。
デューイは、「子供は個人の才能を発達させるために学校へ行くのではなく、組織体としての社会の『単位』となる準備をするために行くのである。」と信じていた。
デューイの社会主義、集団主義、国家主義は、モリスのヘーゲル主義に由来する。
モリスは、カーネギー研究所の初代所長になり、ピーボディ・スレイター・ラッセル・サーガ財団の創設に参加した。
このどちらの組織もスカル・アンド・ボーンズの支配下にある。
スカル・アンド・ボーンズのメンバー、アンドリュー・D・ホワイトはコーネル大学の初代学長、及び、米国歴史協会の初代会長で、国際司法制度を確立した1899年の第1回ハーグ会議の米国代表団長でもあった。
アントニー・C・サットンは、著書『アメリカの秘密組織』の中において、スカル・アンド・ボーンズの各界への巨大な影響力について次のように述べている。
「… 彼らは、カーネギー、フォード、ピーボディー、ラッセル・サーガなど、すべての主要な財団を獲得した。彼らの目的は、これらの財団に真っ先に入り込み、その将来をコントロールすることにある(27ページ)。…学術団体の中でも、米国歴史協会、米国経済協会、米国化学協会、米国心理学協会は、すべてスカル・アンド・ボーンズのメンバーか、彼らに近い人々によって設立された。これらは、社会を左右する中心的な組織である。」
ジェームズ・W・ウォードナー博士は、著書『汚れた同盟』において、スカル・アンド・ボーンズの影響を次のようにまとめている。
1. 米国市民自由連合を創設。
2. ボルシェビキ革命を推進。
3. 神学校に影響を与える。
4. 教育を支配。
5. 連邦教会評議会と関係。
6. ジョージ・ブッシュはメンバーである。
7. CIAを支配。
8. 平和研究所を創設、支配。
9. 政策研究所を創設。
10. 「保守的な」共和党員と「リベラルな」民主党員の両方をコントロール。
11. メイソンを支配。
12. 共産主義に資金を提供。
13. ヒトラーに資金を提供。
14. ヨーロッパの類似組織と共に、国際金融をコントロール。
スカル・アンド・ボーンズは、アメリカのすべての主要な分野に触手を伸ばし、彼らが支配する統一世界政府を実現するために人々を洗脳しようとしているのである。
スカル・アンド・ボーンズが世界秩序の再編のために用いるのは、ヘーゲル主義者らしく、「破壊を通しての創造」である。
ヘーゲル思想の子孫であるマルクス主義者やナチズムと同様に、安定した社会の中に問題や事件を起こし、既存の秩序をいったん破壊する。
そして、その問題解決の過程で、自分たちにとって望ましい新しい理想の秩序を作り出すのである。これは、ヘーゲルの弁証法的歴史発展説に則った方法で、既存の秩序にそれに反する力をぶつけることによって、対立を作り、その対立を解決する中から新たな調和を生み出そうとするのである。
マルクス主義者もヒトラーも暴動や騒乱、テロを起こし、社会に揺さぶりをかけ、一度混沌を作り出した。
1880 年代、ロシア革命前の時代に起こった大規模なユダヤ人迫害(ポグロム)の背後には、マルクス主義者の煽動があったことが資料から明らかである(Material dlya Istorii Antievreiskikh Pogromov v Rosii, II, Gosdarstvennoe Izdateljstvo Petrograd, 1923)。
日本においても、松川事件や三鷹事件など、共産主義者によると見られる社会不安を引き起こす事件が数々起こった。
つづく

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