「日本の銀行業が置かれている修羅場:銀行の利潤(粗利益)とは何か? 上」
産業主義近代の終焉
■ 銀行の利潤(粗利益)の源泉
商業の粗利益は、産業や農業などが生み出した粗利益の分配であると説明した。
(『
「産業資本主義」の終焉:商業の利潤(粗利益)とは何か?:「供給→需要原理」を理解するために』
その続きとして、自由主義経済を称揚している政府が、その“理念”に反して国策と国費を動員して保護し救済している銀行の利潤が何に由来するかを考えてみたい。
銀行の粗利益の基本も、商業の粗利益と同じく、産業や農業などの粗利益(フロー所得)の分配である。
それに加えるとしたら、住宅ローンなど個人向け貸し出しを通じての家計フロー所得からの移転である。
銀行が保有国債から受け取る利息も、原資は究極的には税金だから、経済主体や家計のフロー所得に依存している。
(クレジットカード事業の収益も商業やサービス業といった経済主体の粗利益の配分である)
銀行の粗利益は投機行為に貸し出しをすることでも得られるが、それがどのような結末になるかは「バブル崩壊」を思い起こすだけで十分だろう。
人気blogランキング <-- クリックしていただくと、より多くの方に読んでいただけます。ご協力お願いします。
「産業資本主義」の終焉:日本の銀行業が置かれている修羅場:銀行の利潤(粗利益)とは何か?投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 29 日
現在の日本政府は、銀行の利益がそのような性格のものでありながら、銀行が抱えている財務問題を解決するために、貸し出し金利の引き上げなどを通じて業務粗利益を拡大するよう銀行経営者に発破をかけている。
要するに、政府は、「デフレ不況」を解消しないまま、銀行に非銀行経済主体や家計からフロー所得を吸い上げろと叫んでいるのである。
(粗利益の増加ではなく、銀行に勤務する高額所得者の給与削減を通じての利益増加なら異存はない)
政府は、「銀行制度は経済の血液循環を担う公共システム」を名目として、超低金利政策・公的資金投入・不良債権の高額買い上げなど国民の負担に基づく「銀行優遇策」を実施してきたが、その上に、恥知らずにも非銀行経済主体のフロー所得をさらに吸い上げろと言っているのである。
仮に、そうやって銀行業の利益が増加したとしても、デフレ下にある日本経済で前向きな固定資本形成への貸し出しが増加することはなく、ただ銀行の財務内容が時間をかけて改善されるだけである。
(たとえ、借り入れで固定資本形成を行ったとしても、デフレが続く限り、外需の縮小を主たる要因とする業況悪化で債務不履行に陥る危険性が高い)
別に、「銀行不要論」を唱えているわけではない。現行の経済システムにおいて銀行の金融機能が国民経済で果たす(べき)役割も理解している。
問題は、「デフレ不況」を放置したまま銀行の利益増大を叫ぶ政府の愚=自国経済破壊策である。
銀行の粗利益が他の経済主体からのフロー所得の“移転”でしかないことを理解していれば、現在の経済状況で銀行の粗利益増大を求めるような愚かなことを言わないはずである。
日本経済に悪影響を与えないで銀行が利益を増加させる手法は国際金融活動のみである。
しかし、89年のBIS規制強化策が日本の銀行を狙い撃ちにしたものであったように、日本の銀行が国際金融活動で荒稼ぎをすることは容認されないし、それができるようなネットワークも“智恵”も日本の銀行にはない。
(自由主義経済を本気で信奉している方には恐縮だが、米国経済の命綱である国際金融活動に日本の銀行がしゃしゃり出るようなことが許容されるかどうかを考えればわかるはずである)
この間の日本の銀行は、財務悪化から“ジャパンプレミアム”という割り増し金利が適用され、外資銀行との取り引きではマイナス金利まで呈上しているありさまである。
日本の銀行が海外拠点で営業していても、そのほとんどは同地で事業展開している日本企業向けの金融活動である。
逆に、この間の日本を見れば、外資系銀行の日本(法)人向け金融活動のシェアが高まっていることがわかる。
このような実状から、日本の銀行が利益を上げようとするのなら、国内の他の経済主体からの“所得移転”を増加させるしかない。
これは、他の経済主体から見れば、自分たちが稼いだ所得が銀行に吸い上げられることを意味する。
緩やかなインフレであれば借り手も債務の実質負担を軽減できるが、現在のようなデフレであれば、逆に、債務の実質負担は増大していくことになる。
日本政府は、そのような経済状況のなかで銀行に粗利益を増やせと号令をかけているのである。
非銀行経済主体の所得が銀行に吸い上げられれば余裕資金は少なくなるのだから、人件費を中心とした経費は削減に向かい、個人の借り入れ負担も増加する。
そして、銀行は、自己の生き残りに必死だから、増加した利益を財務基盤の改善に投入するだけで貸し出しの原資にはしない。
要するに、現在の日本で銀行の粗利益が増加するということは、その他の可処分所得が減少し、国民経済(GDP)が縮小することを意味する。
すなわち、デフレ・スパイラルをさらに悪化させるだけの愚策である。
この間の日本は、建前は別として、「国債サイクル」の維持と「銀行」の救済を第一義として政策が決定され実行されていると言える。
しかも、それが誤った政策によって推し進められているために、国内専業を中心に企業経営は低迷し、国民生活は困窮と不安の度合いを高めている。
「国債サイクル」の維持と「銀行」の救済は、ともに、(実体)経済活動のフロー所得に負うものだから、それを直接の目標としても達成されないという経済論理の基本さえ理解していない人たちが日本の舵取りを行っているのである。
デフレのまま「国債サイクル」の維持と「銀行」の救済を図ろうとすれば、企業の経済活動を阻害し、それを通じて国民生活に犠牲を強いることになる。
財政や銀行業は、緩やかなインフレ状況のなか企業の経済活動が活性化し、それを通じて国民生活が安定的に豊かになることを通じてのみ危機から脱することができるのである。
断言するが、このような経済論理が理解できない人たちは、国家運営に関わるべきではない。
8/1/28

7