「デフレ不況」で付加価値税(消費税)を続けることは自国経済破壊行為であり、「デフレ不況」の真っ只中で付加価値税(消費税)の税率をアップするのは“悪魔の所業”である。
それは、デフレの特徴である名目GDPの減少とは付加価値の減少であることを考えればわかる。
付加価値税(消費税)の税率アップは、ただでさえ減少している付加価値をさらに減少させてしまう“暴挙”であり“経済破壊行為”である。
参考記事:
経団連が消費税に“固執”するわけ
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「産業資本主義」の終焉:消費税(付加価値税)は国民経済を破壊する“悪魔の税制”:消費税なら物品税の拡張適用が本道投稿者 あっしら 日時 2004 年 7 月 30 日
政府(与党)も民主党も日本経団連も、その税率アップにいたくご執心の付加価値税(消費税)は、戦後フランスで“考案”されたものだが、広く採用された課税方式としては史上最悪の税金である。
付加価値税(消費税)は、所得が低い人たちにより大きな負担を強いることから“逆累進課税”と言われているが、それを極めて重要な問題だと認めつつ、それをもって史上最悪だと言いたいわけではない。
なぜなら、物品税が広範囲な財に適用されている状況とは異質のものであり、“逆累進課税”性は所得税など他の課税内容との関係で調整が可能だからである。
(あらゆる財やサービスの購入に5%の課税を行う代わりに所得税の課税最低限を大幅に引き上げたり(低所得者減税)、マイナス所得税や公的扶助額の増加により、“逆累進課税”性を解消することはできる)
■ 消費税は別のかたちでの所得税と法人税の増税策
付加価値税(消費税)のなにをもって史上最悪だと断罪するかといえば、給与所得や法人所得への“二重課税”、すなわち、所得税と法人税の巧妙な増税策だからである。
付加価値税(消費税)が給与所得や法人所得に対する“二重課税”であることは、課税対象である付加価値が「人件費+営業利益」から構成されていることを考えればすぐにわかる。
(ある企業が支払う営業諸経費は、他社の人件費ないし営業利益の構成要素へと順繰り還元することができるから除外している)
付加価値税(消費税)の大まかな算定基礎である「売上−仕入」とは粗利益(付加価値)であり、給料(福利厚生費など人件諸経費を含む)・減価償却費・法人税・配当・内部留保・支払利息などの原資になるものである。
(営業利益は、減価償却費・法人税・配当・内部留保・支払利息の原資である)
付加価値税(消費税)は一般的に持たれているイメージとは異なり、内実は、給料・社会保険料企業負担分・減価償却費・法人税・配当・内部留保・支払利息に対する課税なのである。
多くの人にとって身近な給与に即して説明すると、所得税の適用税率が10%であれば、諸控除があるので実効税率は5%程度である。
(扶養家族の数などで変わるが、総額500万円の年収で多くても23万円程度の所得税)
付加価値税(消費税)が5%ということは、課税対象企業で働く人たちの「年収総額+企業負担分社会保険料」にも5%の課税が行われるということである。
(総額500万円の年収なら560万円×5%の28万円。所得税が非課税の人も、10%以上のの所得税が実質的に課税されていることになる)
付加価値税(消費税)は給与所得者から直接徴収される税ではないので、そのように“自覚”をしている人は少ないだろうが、現時点でも既に、徴収されている所得税よりも多い“所得税”を課税されているのである。
(もっと恐ろしいことに、年収700万円程度以下の家計は、消費性向の関係から、自分の所得に追加的に課税された付加価値税(消費税)よりも多く、すなわち、より所得が多いひとに課税された分まで負担している場合が多い)
追加所得税や追加法人税という性格を薄めてくれるのは、公務員や銀行員の家計などその給与所得に追加的“所得税”が課税されていない人の消費行動や政府部門の消費支出である。
しかし、公務員の所得や政府部門支出の源泉は所得税や法人税などの税金なのだから、結局は民間部門で働く納税者が支払っていることになる。
(これが、ますます付加価値税(消費税)の税収をわかりにくいものにし、消費税の見掛けの増収が実質はたいした増収ではないことにつながっている)
■ 物品税との違いで見る付加価値税(消費税)の“凶悪性”
付加価値税(消費税)は、印象的には物品税と同じと思われがちである。
米国は州税の柱として売上税を採用しているが、それは物品税であり、似ている印象を感じるとしても、付加価値税とは別物である。
確かに、消費者にとっては、5%の売上税を負担するのも5%の外税方式で消費税を負担するのも金額的に同じである。
しかし、物品税は、最終消費時点で負担を求めるのか、それとも、ある出荷段階で負担を求めるのかは別として、ある一つの取り引きに対して課税されるものである。
さらに、粗利益(=付加価値)に課税されるわけではなく、財の価格に対して課税されるものである。
最終消費時点で課税する米国の売上税こそが、その名に値する「消費税」なのである。
売上税であれば、国内産の財でも生産性が上昇しそれが消費者価格に反映すれば税の負担が減少する。
しかし、生産性の上昇は粗利益(付加価値)の増加を意図したものだから、付加価値税(消費税)は、変わらないどころか負担が増加する可能性が高いのである。
売上税は、輸入であれ国内産であれ、課税論理は同じである。
内国産の財を15万円で販売しても、売上税は7500円の負担である。
付加価値税(消費税)は、15万円で販売される内国産の財の国内付加価値の合計が10万円であれば、5000円の税負担になる。
生産性の上昇で、15万円の財が13万円で販売されるようになった。
売上税は、6500円の税負担である。
一方、付加価値税(消費税)は、13万円になった財の国内付加価値の合計が11万円であれば5500円になり、500円アップすることになる。
この論理は、国民経済に対して恐ろしい現実を付きつけている。
何かと言えば、利潤(粗利益)の増大を目的とした生産性の上昇が進めば進むほど、付加価値税(消費税)の負担増につながるということである。
なぜなら、今回のシリーズで何度も説明したように、生産性の上昇とは付加価値の増加を意味するからである。
(付加価値が増加しないような投資を企業はしないと考えればいい)
増加した付加価値を給与や商業利潤そして固定資本形成や配当の増加に追加配分することで、企業は生産性上昇の成果をスムーズに享受することができるようになるとともに、国民生活も豊かになっていった。
たとえば、これまで10万円のメーカー出荷価格の財の原価が3万円だったとする。
生産性の上昇で、その財の原価が2万7千円になった。生産している財の売れ行きはいいので、出荷価格は10万円のままに据え置き、増えた付加価値は従業員の給与アップの原資にした。
この変動によって、付加価値税(消費税)は、(10万円−3万円)×5%=3500円から(10万円−2万7千円)×5%=3650円に増加する。
(最終消費時点で負担する金額の多寡は、現行の消費税制度の場合、実質の付加価値税(消費税)納付額の多寡とは一致しない。最終消費者が負担する金額は、15万円なら7500円で13万円なら6500円であるが、国庫に収まるのは3500円と3650円と逆転し、経済社会に残る金額は逆に減少する)
国民経済の成長を支えている生産性上昇が進めば進むほど、税の負担額が増えるというのが付加価値税(消費税)である。
税の負担額が増えるということは、家計の可処分所得の減少であり、企業の粗利益の減少を意味する。
それは、次なるフロー所得(GDP)の減少につながるものである。
この問題をわずかながらでも緩和できるとしたら、さらなる生産性の上昇と緩やかなインフレ、そして、インフレ率に見合う給与(可処分所得)の増加である。
付加価値税(消費税)は、生産性上昇・インフレ・可処分所得増加という経済条件を必死に実現して目減りする付加価値を補うことで、かろうじて維持できる課税方式なのである。
「デフレ不況」で付加価値税(消費税)を続けることは自国経済破壊行為であり、「デフレ不況」の真っ只中で付加価値税(消費税)の税率をアップするのは“悪魔の所業”である。
それは、デフレの特徴である名目GDPの減少とは付加価値の減少であることを考えればわかる。
付加価値税(消費税)の税率アップは、ただでさえ減少している付加価値をさらに減少させてしまう“暴挙”であり“経済破壊行為”である。
このような性格(論理)を有する付加価値税(消費税)の税率を「デフレ不況」のなかでアップしても、国民経済の成長を図ることができ、財政危機も救えると考える官僚・政治家・経済学者(財政学者)がいるのなら、それだけで完全な無能者と判断できるのだから、全員職を辞して欲しい。
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