20代になり、世の中の汚い部分をたくさん感じるようになり、自分の努力の足りなさに後悔しています。なぜなら、こんな無秩序、不条理な世の中で個人の能力をしっかりつけておかなければ、とても自立して飯を食っていけない、未来が待っていますから。
僕は土壌と水質資源の保全、改善などについて勉強してきましたが大学を編入するにあたり、ダブルメジャーにしようか迷っています。
これはめちゃくちゃな話なのですが、、今までどおり同じ専攻で気候の良い場所の大学に編入するか、、もしくは、今の専攻プラス専攻もはっきりとはわからないのですが、新エネルギー開発、研究も含めて編入、勉強してはどうかと迷っています。
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石油、原子力に限界が来ているように僕個人は感じていて、再生産可能なバイオとか他の手段も探してみるのも今後の未来のためになるような気がします。
ですが、、、人類の歴史から考えると糧と資源の奪い合いの繰り返しですよね、それで、強者は弱者をあいまいな法でしばってきた、で、現在はさらに貧富の差が拡大。戦争の繰り返しから、反省して人々の精神、共感レベルが上がっているのなら石油、原子力に代わる新しくできるだけ環境に害のないエネルギーも世に出ることがあるのかもしれませんが、、、実はその新エネルギーの開発は完了していてアメリカや世界の支配層はそれを握っていて、、ころあいを見て世界に出すが利権は暫定宗主国、、もしくは支配者が握っているので貧しい国々や日本はそれを得るために支配者達のいいなりに、、ますます生きにくい世界になるのではないかと思うのです。
それならば、夢見たいな理想を追わないで今やっていることを精一杯勉強して自分の糧道につなげる方が現実的で無理がないのかと、、。
この編入が学生として最後のチャンスなのであっしらさんの意見を聞きたいです。いつも未熟な文章で申し訳ないのですがよろしくお願いいたします。
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いやあ〜、困りました(笑)投稿者 あっしら 日時 2004 年 2 月 12 日
無責任だから、問われれば自分が思うところを書きますが、けっこう躊躇しなければならない問いですよね。
率直に書くと、勉強の間口を広げるのはいいことだと思います。
それ以上に、そのような迷いが生じたのは、小さな留学生さんの興味の対象が広がったことの反映だと思っています。
勉強には、二つの意味があると思っています。
一つは、他の人(先人)が掴んだ知識を手に入れる。もう一つは、自分が新たな知識を得るための認識方法を身に付ける、というものです。
すでに他の人が身体と思考力を駆使して手に入れた知識を他の人がまた同じ苦労をして手に入れるというのは“不経済”です。
それなら、本や学校教育を通じて安直に手に入れたほうが効率的で好ましいことだと思っています。
勉強する意義としてより重要なのは、新しい知識を自分の身体と思考力を駆使して得るための方法を身に付けることにあると思っています。
ずばっと言えば、知識を増やすのは、認識方法をものにするためにもそれが不可欠だからです。
この方法が身に付いていない限り、本や学校教育を通じて得る知識は、断片でしかないいわゆる“知っていること”で終わると思っています。
“知っていること”の集積度を高めることでも、けっこう世間で通用しますし、偉そうにも振る舞うことができます。
(“知っていること”の集積度が高い人は、その過程で知らないうちに認識方法も備わっている場合が多い)
しかし、“知っていること”レベルの知識であれば、本や学校だけではなく、今ではインターネットで効率的に手に入れることができます。
一方、新しく目にする現象や事象がどういうことであるのかを判断する力は、そのような手段では手に入れることができません。そのような力は、まさに個々人に内在するもので、知識のように手軽に交換することができないものです。
体系化された知識(理論)を読んで、そこから世界観や思考過程をたぐり寄せ自分のものにする必要があります。
これにこそ、先人が表したものを読む意義があると思っています。
(書かれている知識は、それ自体でも有用ですが、そのためのダシだと思ってもかまいません)
勉強の間口を広げるのはいいことだと書いたのは、新しい思考(勉強)対象が加わることで、世界観や思考過程をたぐり寄せ自分のものにするチャンスが増えると考えるからです。
学校で教える学問のほとんどはオーソドックスになってしまったもので、世界観や思考過程をたぐり寄せて云々というより、書かれている結論を吸収することに意義があるかのように見えがちです。
新しい分野に取り組むようになれば、それまでに思わず知らずのうちに身に付いている世界観や思考過程とのズレを感じることもあるはずです。
このズレ感が、世界観や思考方法に考えをめぐらす契機になると思っています。
極端に言えば、“知っていること”レベルの知識は忘れちゃってもいいものです。必要なのに思い出せない知識は、本やインターネットで探せば済みます。
そして、現象や事象をどのように捉えるかという方法論は、いったん身に付けると忘れるというものではありません。
不思議なことに、それを身に付けると、それがなかったときよりも、知識を忘れる度合いも低下します。
たぶん、知識と知識の連関性が記憶のなかでしっかりしているからでしょう。
「土壌と水質資源の保全、改善」の分野がよほど好きで、それを極めたいと考えているのなら別ですが、そうでなければ、湧き出た興味の対象にもチャレンジするほうがいいと思います。
たぶんですが、新分野にもまっとうな取り組みをすれば、「土壌と水質資源の保全、改善」分野での“知識”までが増大することになると思います。
物事を考える力は、理系も文系も共通です。物事を考える力が増大すれば、どの分野でも知識を獲得する効率が高まります。
「“知っていること”レベルの知識はそれほど苦労することなく手に入るが、知らない現象や事象を捉える力は自分自身の格闘を通じてしか身に付かない」という言葉を贈ります。

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