晴耕雨読

淡々と日々の暮らしを立てるために働き続け、木々の緑、雨音、枯れ枝に架かる雪を密かに楽しむ。
老いては老いを楽しみ、若者の成長に目を細め、良い人生だったと感謝しつつ旅立つ。
こんな当たり前の人生が許されない世にはして欲しくありません。

 

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投稿者:花ブナ(banabuna)
(下からの続きです)
時期を得ていない、またまったく戦略のない状況で勝手に狼煙を上げれば、ご指摘のように虎の尾を踏んで、弾圧を受けるでしょう。国民経済主義的な国家の指導層が、(長期的観点でもって)そのような自国内の活動を擁護して欲しいというのが私の‘願望’です。ですが、その願望が叶わなくとも、「開かれた地域共同体」につながる情宣活動や実践例を残しておくことは極めて重要だと思っています。私は、日本において将来「開かれた地域共同体」が実現する可能性があるからこそ、当面の国民経済主義の多数派形成を支持するのであり、その逆ではありません。本質を維持する人々は少数で良いでしょう(平和党が国政に打って出るのは時期尚早というご指摘は正しいと思います)。それを維持し、限られた時間内に早めに到達するにはどういう戦略がありうるかということに焦点をあてて考えています(当然やり方は慎重に選ぶべきでしょう)。

また、最終的には論理だけでは乗り越えられない壁があると感じています。今、多くの人が求めているのは論理より、ある種の「身体性」や「精神性」の復活でしょう。そこが非常に重要だと思っています。そのための火が消えないように風を送り込むこと、それが私の「開かれた地域共同体」「自然主義経済」に拘る根っこです。


http://blog.goo.ne.jp/banabuna/
投稿者:花ブナ(banabuna)
ご返答ありがとうございます。
私も国民経済主義に基づく国家社会の存在意義は極めて高いと思っております。そこに異論はありませんし、現状での「経済的リアリズム」に基づけば、それしか答えはないと思います。

そこを認めた上で、私は(虎の尾を踏まないようにしつつ)「開かれた地域共同体」を国民経済主義の中に内包させる戦略も必要であると思っています。それは私が現時点から演繹される経済的リアルさよりも、将来予想される人口問題=食糧問題の深刻化に焦点をあてて考えているからです。意味なく虎の尾を踏むのは避けるべきですが、「萌芽」を待つための時間も限られていると感じます。

国民経済主義的政策というのは、やはり日本のように「近代経済システムの優等生」が取り得るものだと思います。日本が経済的に妥当な政策をとったとしても、途上国などにおける乱開発や環境汚染が継続すれば、人類の生存に適した環境の維持が難しくなります(CO2による温暖化が本当か嘘かなどというレベルではなく、実際に起こりうる食料・エネルギー問題が重要です。途上国の環境破壊を実際に調べていてもすでに相当の危険水域だと思います)。私は「開かれた地域共同体」というものを経済問題解決のための選択としてみているのではなく、むしろ人と自然の関係を正常化し、資源と食料を持続的に確保するための手段としてみています。

しかし、私の予測では、国民経済主義と同様「開かれた地域共同体」もおそらくまずは先進国からしか発生しないでしょう。「開かれた地域共同体」は、世界全体というより、近代経済システムの先端で、最も行き詰ったところから発生すると思っています。世界同時発生を待っていると地球環境が持たないというのが私の‘予感’です。また、日本自体の生き残りを考えても、そうなる事態を予測して金融・エネルギー・食料生産において、リスク分散型の社会に脱皮する必要があり、それが「開かれた地域共同体」を国民経済主義の中に養うメリットであると考えています。

http://blog.goo.ne.jp/banabuna/
投稿者:早雲

時々刻々衰えているかもしれない日本の“力”を回復させ、現今の価値観のアンチテーゼになりえたり、ポスト産業資本制世界のアルナタティブになりえるために必要なものは何か?と問われれば、「高度経済成長期的価値観ではない国民経済主義による国家社会の確立」だと応えることになります。

“彼ら”がポスト産業資本制の過渡期としてグローバリズム(金融主義的市場原理志向制度の世界化)を打ち出していること、さらには、エロスを急速に失いつつある産業資本制の発展段階にあることを考えると、産業資本制を基礎に国民経済主義に基づく国家社会の存在意義は極めて高いと言えます。

現在の発展段階でどういう政策をとれば、企業も高額所得者も低中所得者もいい目に会えるのか、そして国家財政も破綻しないで済むのかをリアルに示すことで、世界の潮流に棹を差すことができると思っています。

そして、その認識は、さらに進んで「開かれた地域共同体」を志向する萌芽になるとも思っています。逆に言えば、現状の潮流のままで「開かれた地域共同体」を志向する動きは多数派のものにはならないと思っています。

貨幣改革は、“彼ら”の最重点ウォッチ対象であるはずですから、それをかいくぐってやれる改革は限られていると思っています。(虎の尾を踏む改革はできません)

経済成長や国民生活の向上を批判することは“彼ら”もやりにくいでしょうから、現状の制度を利用した国民経済主義政策が、“彼ら”との軋轢も少なくて済むと思っています。

繰り返しですが、地域通貨などの意義は認めていますが、貨幣を「神」とする心性を克服出来ない限り定着はおぼつきません。
その為にも「国民経済主義」時代を通じて徐々に意識の変化を待つ必要があります。
投稿者:早雲
花ブナさま、
まず、貴君の真摯な考察に敬意を表します。その上で、

>グローバルレベルで資本主義経済が行き詰るまで、日本が当面とるべき姿勢として『既存の仕組みをそのまま生かし、「国民経済主義」的運用で乗り切る』というのは適切と思います。

既に「グローバルレベルで資本主義経済は」1980年代には行き詰まっています。

もはや個別経済主体の利潤獲得は他の経済主体からの貨幣的富の収奪以外にはあり得ないのです。

この現実を認識して国民経済の運営をして行こうというのが「国民経済主義」です。

さらに言えば、決して経済や貨幣の「仕組み」自体が厄災を招いているのでは有りません。多数派の意識が問題であることを思い出してください。

お説の内容は実現が可能であれば悪くないと思いますが、現状で賛同するのは少数にとどまると思います。多数派を形成するためには「国民経済主義」的経済運営を通して人々の意識の変化を待つ必要があります。

また、日本だけが単独で「開かれた地域共同体」的社会に移行することは出来ません。
移行するには「世界が同時に」です。
投稿者:花ブナ(banabuna)
(下からの続きです)
結論として、私は地方から徐々に「エコ経済システム(≒自然主義経済or開かれた地域共同体)」へと自立的・半独立的に移行していき、中央ではこれを承認しつつ、都市・工業地域と農業地域の自国内貿易体制を作りなら、日本国全体としては「国民経済主義」で外国と付き合う(外貨を稼ぐ)というハイブリッド戦略が望ましいと考えています。つまり、国民経済主義⇒地域自然主義という段階的な進化ではなく、中央と地方の同時進化により、内外の問題を解決すると言うアプローチであり、その結果、もっとも犠牲の少ない形で、近代の終焉を乗り越えることができると考えています。別の言い方では国内のシーパワーとランドパワーの特徴を上手く調和させ、互いが反目せずに国家(連邦)を運営することで最もリスクに強い国になると思います。

http://blog.goo.ne.jp/banabuna/
投稿者:花ブナ(banabuna)
早雲様、いつも貴重な情報発信ありがとうございます。以下の大坂さんへの答えに関連して一つ質問があります。

以前、ご教示いただきました通り、一通り「国民経済主義」を理解したとは思います。グローバルレベルで資本主義経済が行き詰るまで、日本が当面とるべき姿勢として『既存の仕組みをそのまま生かし、「国民経済主義」的運用で乗り切る』というのは適切と思います。ただ、私がどうしても気になるのは、日本国内の不均質性です。言い換えれば地方の問題です。今後、日本が世界を襲う食糧危機・エネルギー危機を乗り越えるためには地域共同体の崩壊を押しとどめ、地方の自治活動・経済を活性化させ、複数の「共同体」が自立・分散・互助できるようなシステムにしておかないと危険です。「国民経済主義」は基本的には外貨を稼ぐことを目的とした体制ですから、国内で生産できないものは原則輸入によって賄うという考えになるはずです。工業製品や情報・サービス産業はそれでも良いかもしれません。しかしながら、食料・エネルギー(再生可能燃料)の生産基盤というのは基本的には地方にあって、貨幣的な利潤獲得の面から見て、どうしても第二次・第三次産業で稼ぐより効率が悪いわけです。その結果よほど国家が長期的視野にたってその生産基盤を整備・保護をしようとしなければ、持続可能な生産基盤が育ってきません。まずここにちょっと無理があると思っています。がんばって、国家が就業人口を確保し、基盤を整備しようとするほど、保護政策的な悪弊が拭えないのではないでしょうか。私は、これは都会人および地方人の心理(=意欲)に以外と大きな影響を及ぼすと考えています。かといって国家がこの分野(食料・エネルギー生産)を保護しなければ、就業人口が他の分野に流れ、残った人の意欲も低下するでしょうから、これも良くありません。


http://blog.goo.ne.jp/banabuna/
投稿者:早雲
大坂佳巨さま、こんばんは。
こちらこそよろしくおねがいします。

質問の件ですが、このシリーズの最初に断っているとおり、開かれた地域共同体の経済論理は現在の経済論理とはおよそ異なるものです。
ですから、開かれた経済共同体に至る経緯の理解がなければ、混乱を招くだけになります。

切羽詰まっていないと言うよりは、現在の状況、つまり、グローバル化の進展により、世界は「外部経済」を失い、全てが「内部」になった、もしくは、なりつつあるという共通理解が必要です。その結果、個別経済主体の利潤は、他の経済主体の損失である、つまりはゼロサム・ゲームになりました。
言い換えれば、世界全体が江戸時代の日本のようになったわけです。

この様な世界ではもはや今までの経済論理は通用せず、今までの経済論理に基づいた個別経済主体の行動は、他の経済主体にとって厄災をもたらしかねません。

この状況を、他国との軋轢無く乗り切るには、既存の仕組みをそのまま生かし、「国民経済主義」的運用で乗り切るしかないとおもっています。
投稿者:大坂佳巨
こんばんわ。おそらく初めてコメントするのではないでしょうか。いつも読んでばかりですが、本日はよろしくお願いします。

私も早雲様と同様の質問、即ち企業がなくなる、大工場がなくなる、豊かさか実感できなくなる、科学技術が発展しないなどなど、百度は超えない程度ですが、ほとんどこの内容の質問を聞かされています。

その回答としては、「なぜ大工場がないと困るのか」ということで、つまり資本主義そのものが大工場を欲しており、豊かになろうとするための国民生活にとっては、そのようなものは必要ないはずということです。大量生産・大量消費は、生産や消費そのもののためにやっているのではなく、貨幣の流動あるいは貯蓄のためにやっているに等しく、お金のために人々が動かされているために起こる大きな騙しに人類はあっている・・・というのが簡単な説明です。

しかしながら、このような質問が何度も繰り返されるのは、一言でいえば「切羽詰っていない」から出てくるのだろうと思います。破滅的状況でない場合、このような意見がつねに出てくるのは当然であろうといつも考えています。

http://blogs.yahoo.co.jp/heiwaparty
投稿者:早雲
愚樵さま、こんばんは。
>実は人間にとっては“開かれている”ということはかなり辛いことなのでしょう。貨幣はこの「辛さ」を回避させてくれる便利な道具であるがために、これほど広く用いられているのではないでしょうか。
これは、逆なのではないかと思えます。
貨幣によって人間の関係性は否応なく「支配」、「被支配」の色を帯びます。
老子の言う「大道」の廃れる前、つまり「仁義」など無用な「支配」、「被支配」の関係にない人間関係は「辛さ」とは無縁だったのではないでしょうか。
貨幣から蓄積性を取り除き「生きた労働」の交換手段としてのみ機能させることを想像してみてください。

>共同体構成員の意識が大きく変わることが必要だと思っています。
国民一人一人の生活を守るための経済つまり、「国民経済」の視点に立った政策(これは現在の経済制度の中で政策だけの変更で実現できます)を取ることで自然に意識は変わってゆくと思っています。

浮き世さま、こんばんは。
2006/10/23 13:20こんにちは♪
毎日欠かさず記事をUPされているご様子、感心いたしました。また伺わせていただきます。
応援していただきありがとうございます。本当に励みになります。
こちらも、ただの百姓爺のやっているブログです。レベルを下げるなどという心配はご無用ですので気付いたこと、その他何でもコメント下さい。お待ちしております。
投稿者:浮き世
こんにちは♪
レベルの低いブログをご訪問いただきありがとうございました。
私の知識では理解できない難しい内容で、もっと勉強しなくてはと思っています。
こちらのブログのレベルを下げてしまいそうで心配ですが、
勇気を奮って毎日訪問し、せめてランキングのトップ10に
入っていただけるように応援させていただきます。
コメントはご迷惑をおかけするといけないので今回だけにします。
このコメントも迷いながら致しました。
無作法をお許しください。

http://ukiyo.seesaa.net/
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