士官に供与(下賜)される軍刀(日本刀)が取り替え自在というわけではないので、「百人斬り」が誇張された話であることは事実だろう。
しかし、「百人斬り」なのか「三人斬り」だったのか、士官二人が本当に戦果を競い合ったのかは別として、日本刀で敵をぶった斬ることが英雄的で格好いい行為と受けとめられていたんだろうとは推測する。
そうでなければ、準戦時下に東京日日新聞(現毎日新聞)は、たとえ現地特派員がそのような記事を送ってきても新聞に掲載することはなかったはずだ。
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「百人斬り」事件について投稿者 あっしら 日時 2003 年 7 月 19 日
また、小堀氏は、悲痛な声で、「陸軍は第一線の将兵にその様な殺人の功業を認めてはゐない、といふ意味の訂正申し入れを、新聞社に対してなすべきであつた。何故それをしなかつたのか。軍はその様な殺戮行為を奨励するものではない、と何故声明しなかつたのか。」と言われているが、陸軍首脳は、「百人斬り」が誇張記事だとわかっていても、それは皇軍の強さを印象付け国民の戦意を高揚させるものだと判断したから放置したと考えるほうがスムーズである。
小堀氏は、旧陸軍を擁護する立場から「「百人斬り」が虚構であり、第一物理的に「あり得ぬ」話である」と断じているが、「百人斬り」が虚構というより誇張ではなかったのかという疑念は持たれていないようである。
(敵がどのような状態であったかはわからないので、その問題は除外する)
おかしな言い方になるが、「「百人斬り競争」の汚名から両少尉の名誉を回復するための訴訟」という考えにも違和感を抱く。
両少尉が、一人の敵でもそのようなことを行なっていたとしたら、軍刀で敵を叩き斬るという“度胸と技量を要する行為”にヒロイズムや名誉を感じていたのではなかいとも推測できる。
東京日日新聞(現毎日新聞)が記事を掲載し、陸軍も記事に抗議しなかったという事実から、そのような推測もあながちデタラメとは言えないだろう。
昭和12年の日本には「百人斬り競争」の記事に支配層やある範囲の国民が歓呼の声を上げる価値観状況にあったんだと私は冷静に受け止める。
「百人斬り」だったのか「一人斬り」だったのかといった量を検証することも重要だが、それで両少尉(やったのが事実だとして)の名誉が回復するとも思わないし、当時の価値観が覆るとも思わない。
もちろん、両少尉を人面鬼だとも思わない。
両少尉は、戦前のある時期において豪胆で勇猛だと褒め称えられるべき帝国陸軍士官だったと考える。
参考記事:
■【正論】東京大学名誉教授・小堀桂一郎 「百人斬り」冤罪訴訟を我が事とせよ
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みたま祭に思う“否定せずの罪”
≪蘇る日米戦争の苦い思い≫
ヒュー・バイアスの『敵国日本』が邦訳され、刊行になつたのは漸く一昨年九月のことである。同書には訳者の懇切な解題が付せられてゐるので、原著者と原書についての、おそらく日本では従来極く少数の人しか知らなかつたであらう情報も手短かに知ることができる。
昭和二十年十一月、米軍占領下の日本で「週刊朝日」がこの書の紹介文を掲げ、翌昭和二十一年には雑誌「世界」の創刊号と第二号が本書の抄訳を掲載したが、あまり反響はなかつたらしい。今回の訳者でさへこの抄訳の存在を知らなかつた由である。
この事情は又我々に、ヘレン・ミアーズ女史の名著『アメリカの鏡・日本』が平成七年に恰も本邦初訳である様な形で新訳が刊行された時まで長く世に忘れられた形になつてゐた、あの経緯を思ひ出させる。
その一方で日本の読書界は、一文化人類学者の調査報告書にすぎないといふ程度の『菊と刀』などを、恰も極めて高度な知性の洞察の如くに思ひ做して長くもてはやしてゐたものである。日米戦争は、孫子の兵法に照らしてみても我々の知的完敗だつたといふ苦い思ひが改めてこみ上げてくる。
さて、バイアスが見せてゐる昭和十六年開戦直後の時点までの戦時体制下の日本についての観察、洞見の鋭さと的確さには事々に敬服するのだが、その中に日本の軍人の性格を論じた一節があり、そこで彼は見過ごし難い或る問題にふれてゐる。即ち昭和十二年の秋、日本の支那大陸派遣軍が上海から南京へ進撃してゆく途上に生じたとされる二人の陸軍少尉による「百人斬り競争」事件である。
≪恥を知らぬ「嘘の上塗り」≫
東京日日新聞(現毎日新聞)の記者、浅海特派員が自社に送稿した「百人斬り競争」の記事は要するに作り話である。「事実」を報道することが使命であり、その点で厳しい職業倫理の規制下にあつたはずの報道記者として、この創作記事は実に重大な罪を犯してゐるのだが、実は更に重大なことは、この記事を書いた浅海記者本人が、戦後、あれは創作だつたといふ罪状告白を遂にしてゐないことである。それだけではない。「百人斬り」が虚構であり、第一物理的に「あり得ぬ」話であるといふ事は鈴木明氏の『「南京大虐殺」のまぼろし』を始めとして多くの研究者が十分に論証し尽くしたことである。それにも拘らず朝日新聞の本多勝一記者は『中国の旅』といふルポルタージュの中で浅海記者の「嘘の上塗り」を敢へてして、それを少しも改めようとしてゐない。
バイアスは〈実弾入りライフルを持つ兵士をそんなに日本刀で殺すことなど、だれにもできることではない〉と、正しく判断してゐる。たださうであればこそ、彼の推理は〈この二人の将校は明らかに、武器をもたない中国難民を殺害したのである〉といふ方向に進んでしまふ。精緻を極めたバイアスの日本論の中で瑕疵であらざるを得ない箇所だが、これは彼に責任があるのではない、悪質な虚構報道を流した新聞人の罪である。この部分でのバイアスの結論は、〈こういう人面鬼は日本軍将校の典型ではないが、それでも、陸軍は彼らを否認しなかった〉といふのであるが、この一句に接して筆者はふと気がついた。
≪報道訂正求めなかった軍≫
「百人斬り」の冤罪によつて命を奪はれた向井、野田両少尉の禍の元来の原因は確かに新聞記者の罪深い功名心にある。しかし、バイアスの指摘通り、陸軍は日日新聞の報道を否定しなかつた。−−日本刀とはその様な殺人道具ではない、陸軍は第一線の将兵にその様な殺人の功業を認めてはゐない、といふ意味の訂正申し入れを、新聞社に対してなすべきであつた。何故それをしなかつたのか。軍はその様な殺戮行為を奨励するものではない、と何故声明しなかつたのか。
折から、七月七日を第一回の公判として、「百人斬り競争」の汚名から両少尉の名誉を回復するための訴訟が起こされてゐる。名誉毀損を訴へる資格を有する両少尉の遺族が遂に勇気を揮つて毎日、朝日両社等と本多記者とを訴へたのである。私は、六十年前のバイアスの意見に触発されてのことだが、旧陸軍の人々には全て、この訴訟を支援し、以て日本陸軍全体にかかつてくる恥を雪ぐために尽力する義理があると思ふ。両少尉の霊も戻つてをられる靖国神社では恰度みたま祭も始まつた。旧軍の方々の一考を促したい。(こぼり けいいちろう)
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■ 新たに発見された野田毅少尉の手記
新聞記事ノ真相
被告等ハ死刑判決ニヨリ既ニ死ヲ覚悟シアリ。「人ノ死ナントスルヤ其ノ言ヤ善シ」トノ古語ニアル如ク被告等ノ個人的面子ハ一切放擲シテ新聞記事ノ真相ヲ発表ス。依ツテ中国民及日本国民ガ嘲笑スルトモ之ヲ甘受シ虚報ノ武勇伝ナリシコトヲ世界ニ謝ス。
十年以前前ノコトナレバ記憶確実ナラザルモ無錫ニ於ケル朝食後ノ冗談笑話ノ一節左ノ如キモノアリタリ。
記者 「貴殿等ノ剣ノ名ハ何デスカ」
向井 「関ノ孫六デス」
野田 「無名デス」
記者 「斬レマスカネ」
向井 「サア未ダ斬ツタ経験ハアリマセンガ日本ニハ昔カラ百人斬トカ千人斬トカ云フ武勇伝ガアリマス。真実ニ昔ハ百人モ斬ツタモノカナア。上海方面デハ鉄兜ヲ切ツタトカ云フガ」
記者 「一体無錫カラ南京マデノ間ニ白兵戦デ何人位斬レルモノデセウカネ」
向井 「常ニ第一線ニ立チ戦死サヘシナケレバネー」
記者 「ドウデス無錫カラ南京マデ何人斬レルモノカ競争シテミタラ 記事ノ特種ヲ探シテヰルンデスガ」
向井 「ソウデスネ無錫付近ノ戦斗デ向井二十人野田十人トスルカ、無錫カラ常州マデノ間ノ戦斗デハ向井四十人野田三十人無錫カラ丹陽マデ六十対五十無錫カラ句溶マデ九十対八十無錫カラ南京マデノ間ノ戦斗デハ向井野田共ニ一〇〇人以上ト云フコトニシタラ、オイ野田ドウ考ヘルカ、小説ダガ」
野田 「ソンナコトハ実行不可能ダ、武人トシテ虚名ヲ売ルコトハ乗気ニナレナイネ」
記者 「百人斬競争ノ武勇伝ガ記事ニ出タラ花嫁サンガ殺到シマスゾ ハハハ、写真ヲトリマセウ」
向井 「チヨツト恥ヅカシイガ記事ノ種ガ無ケレバ気ノ毒デス。二人ノ名前ヲ借シテアゲマセウカ」
記者 「記事ハ一切記者ニ任セテ下サイ」
其ノ後被告等ハ職務上絶対ニカゝル百人斬競争ノ如キハ為サザリキ又其ノ後新聞記者トハ麒麟門東方マデノ間会合スル機会無カリキ
シタガツテ常州、丹陽、句溶ノ記事ハ記者ガ無錫ノ対談ヲ基礎トシテ虚構創作シテ発表セルモノナリ
尚数字ハ端数ヲツケテ(例句溶ニ於テ向井八九野田七八)事実ラシク見セカケタルモノナリ。
野田ハ麒麟門東方ニ於テ記者ノ戦車ニ添乗シテ来ルニ再会セリ
記者 「ヤアヨク会ヒマシタネ」
野田 「記者サンモ御健在デオ目出度ウ」
記者 「今マデ幾回モ打電シマシタガ百人斬競争ハ日本デ大評判ラシイデスヨ。二人トモ百人以上突破シタコトニ(一行不明)
野田 「ソウデスカ」
記者 「マア其ノ中新聞記事ヲ楽ミニシテ下サイ、サヨナラ」
瞬時ニシテ記者ハ戦車ニ搭乗セルママ去レリ。当時該記者ハ向井ガ丹陽ニ於テ入院中ニシテ不在ナルヲ知ラザリシ為、無錫ノ対話ヲ基礎トシテ紫金山ニ於イテ向井野田両人ガ談笑セル記事及向井一人ガ壮語シタル記事ヲ創作シテ発表セルモノナリ。
右述ノ如ク被告等ノ冗談笑話ニヨリ事実無根ノ虚報ノ出デタルハ全ク被告等ノ責任ナルモ又記者ガ目撃セザルニモカカハラズ筆ノ走ルガママニ興味的ニ記事ヲ創作セルハ一体ノ責任アリ。
貴国法廷ヲ煩ハシ世人ヲ騒ガシタル罪ヲ此処ニ衷心ヨリオ詫ビス。

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