晴耕雨読

淡々と日々の暮らしを立てるために働き続け、木々の緑、雨音、枯れ枝に架かる雪を密かに楽しむ。
老いては老いを楽しみ、若者の成長に目を細め、良い人生だったと感謝しつつ旅立つ。
こんな当たり前の人生が許されない世にはして欲しくありません。

 

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投稿者:加藤 貴史
日本特有の共同体感覚が、国境を超えて、株式会社や金融市場といった利益追求型中間集団に、変な形で根付いてしまった。当然各国の伝統統治体制(国民国家)と衝突し、あるいはそれを「グローバリズム」なる形に変化した上で乗り越えてしまい、「どこへ行っても同じ」なる最悪の事態になってしまっている。アメリカの軍産複合体(国家としてではない)の日本への執着はその典型例。アメリカの売りであった「不確定性」が失われ、「日本に甘えれば、まあ何とかなるっしょ」なる思考しかできなくなってしまっている。当然アメリカの変質は日本にも大きく責任がある。
投稿者:にいのり
あまり見取図的な言い方もどうかと思いますが、内田氏の言い方は、初期近代にあっては、あるいは伝統左翼の立場からは、文化保守主義、文化右翼と呼ばれるような言い方ですが、初期の近代原理主義のようなものを絶対視しないなら、どうしてもそういう点には触れねばならないと思います。
この点において、伝統のない、あるいは、土地のネイティブの伝統を継承しようとせず駆逐して来た米国人が、いたくコンプレックスを刺激されるのは自明の事でしょう。
安倍的なやり方が最悪なだけであって、「伝統」や「歴史」について、忌憚なき意見を交わしながら、それを育み、あるいは自ら育つ事は必要だと思います。
米国型の傲慢は、明らかに非持続性が刻印されているのであり、日本がわざわざそんなものを真似る必要はない。
私は米国発で重要なのは、アメリカンネイティブのカルチャー及びブラックカルチャーのみだと思います。
民主主義の在り方は、欧州に学べば良いことであり、米国にいちいち学ぶ必要はない。

まぁ、私は、ポピュラーミュージックが大好きですので、大衆主義者なんでしょうね。
そこは、きっと手放さないと思います。
投稿者:北斗七星
伝統文化

文化と言うかどうか知りませんが、日本の伝統政治体制がありますが、これも失ってはならないと多くの国民が感じているのでしょう。

>共同体成員の感受性や生活感覚をつうじて受肉している。

のかもしれません。そういう訳ならば、実は、民主主義は日本人にはそぐわない制度なのかもしれません。
日蓮聖人は、明らかに大衆を愚者と位置付けて、智者による統治を目指していました。これは明らかです。もちろん、当時の幕府、宗教者も含めて、まとめて愚者扱いです。「仏の法」だけが「智」であり、この「智」に愚直なまでに帰依する人が智者でした。覚者としての仏陀もまた、この「智」に愚直なまでに帰依する人として存在していた訳です。
仏陀は法を説きますが、ブッダもまた愚直なまでに法を守り、法に帰依する人でした。

涅槃経の第四如来性品に云く
「諸仏の師とするところはいわゆる法なり、是の故に、如来、恭敬(くぎょう)供養す。法、 常なるを以ての故に、諸仏も、亦(また)、常なり」、云云。(本尊問答抄)

神国王御書には「天皇」をその意味合いに於いて「人王」と呼んでいますし、「人王は大体百代なるべきか、その第一の王は神武天皇云々」
・・・中略・・・
更に、
「第三十代は欽明天皇。此の皇は第二十七代の継体の御嫡子なり。治三十二年。此の皇の治十三年〈壬申〉十月十三日〈辛酉〉、百済国の聖明皇、金銅の釈迦仏を渡し奉る。今日本国の上下万人一同に阿弥陀仏と申す此れなり。其の表文に云く「臣聞く万法の中には仏法最も善し。世間の道にも仏法最上なり。天皇陛下亦修行あるべし。」
・・・中略・・・
「第三十三代崇峻天皇の御宇より仏法我が朝に崇められて、第三十四代推古天皇の御宇に盛んにひろまり給いき。」
・・・以下略・・・

天皇と仏教の関係はこの頃から始まるのです。

その理由は、
「其の間の事さまざまなりといへども、其の時の天変地夭は今の代にこそ似て候へども、今は亦其の代にはにるべくもなき変夭なり。」

投稿者:北斗七星
伝統文化を失う

言ってみれば、世界は伝統文化を失ってばかりいました。白人文化によって、侵略者によって、文明的野蛮人によって。

どうしても残したいものがあれば、書物によるしかありませんが、それすら無きものにされてしまうか、利用できる物は盗まれ改竄される。それが人間の創ってきた歴史。凶暴なものが勝ち残る。

仏教経典に限って言えば、口伝伝承から文字化、解説書、解説書の解説書という順を辿って守られてきましたが、それすらも無意味になってしまう時代が末法。一文不通(一つの文字の意味すら解らない、解ろうとしない衆生が溢れる時代)
この末法時代をどのように救うかという課題を背負っていたのが鎌倉仏教でした。法華経の特殊性もここにあります。

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