晴耕雨読

淡々と日々の暮らしを立てるために働き続け、木々の緑、雨音、枯れ枝に架かる雪を密かに楽しむ。
老いては老いを楽しみ、若者の成長に目を細め、良い人生だったと感謝しつつ旅立つ。
こんな当たり前の人生が許されない世にはして欲しくありません。

 

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投稿者:DAKKY
にいのり様

私の個人的な意見ですのでどうかお気になさらないでください
甲子園に関しては私は先ず他のスポーツと同じ扱いに平準化すべきと考えております
そのような意味では「にいのり様」と同じく放送の形態等を変えてしかるべきと思います

ただ少数派かどうかという件に関してはそれこそ同調圧力の問題に絡んできますね
これは甲子園の件に限らずあらゆる日本社会における事象にいえるのかもしれませんが
要は皆声の大きな意見に引きずられてしまうという事なのです

両極に異なる意見があるとして
多くの国民は中間層のグラデーションの中に最初は位置しています
しかし一方の声の大きな意見にそれこそ同調していく傾向が強すぎるのです

そして結果が片方に偏れば残った方は少数派の異端と看做されるわけです
多様な意見を許容しない社会では「にいのり様」がご指摘された「不謹慎狩り」のような
異端者征伐が公然と行われるようになっていくのでしょう

蛇足ながら私は本当に「紅白」にも「甲子園」にも序でながら「五輪」にも殆ど関心がありません
特に高校野球のあり方については沢山言いたい事もありますがそれは記事と関連無いので控えます
ただ世の中には他の選択肢も沢山あるのに同調圧力によってそれを奪われる傾向が強まっているなという危機感を覚えている次第です
投稿者:にいのり
DAKKYさま

細かな事にこだわるようで申し訳ありません。
私は、高校生の全国野球大会が甲子園で開かれる事には全く反対していません。(まぁ更に深堀りしていけば、新聞社が協賛につくのはいい加減やめるべきだとか、いろいろありますが)。
問題は、一回戦からNHKが全試合全国中継するというそのバカバカしさです。
全国中継するにしても、ベスト16かベスト8ぐらいからで十分だと思いまして、地元高校の出場試合は、NHKには各地方局があるのだからそこに任せればそれで十分だと思います。

こういったからと言って、DAKKYさまに同調圧力をかけようとは一切思っておりませんので(笑)、よろしくお願いいたします。

また、必ずしも少数派の意見ではないはずと、自分なりに確信もしています。

プロ野球もJリーグも、広告代理店主導の喧騒と扇動とは裏腹に民放では採算ベースに乗らなくなってきています。

国民はバカばかりではないと思いますし、全然少数派じゃないんじゃないかなぁと思っています。

でも、ホントにへんなふうにお気になさらないでくださいね。
投稿者:にいのり
下記に関連しまして、今や「不謹慎狩り」なる現象が起きているとの事。
パッと聞き、何の事やら分からないのだが、例えば、今度の熊本での大地震で被災者が辛苦を強いられている中、まるで喪に服すべきだ的なノリで、誰かが誕生パーティを開いてにぎやかにしていたとか、そういった事がネットなどで非難されたりするのだそう。
表側で「応援、応援」の大合唱している裏側では、人それぞれの生活をそれぞれのやり方で営んで行くという当たり前の事までが非難の対象になり、「自粛、自粛」の裏合唱になってしまっている。抑圧的同調圧力の広がりは、人々の普通の生活の場に確実に病的な影を落としているのだ。
万事、物事には限度というのはあるものだが、権力や上位者には逆らわない一方で、文句を言えない他人様の生活のいちいちには同調強要の方向で口を出したがる人が増殖しており、ネット環境がそれを容易にしている。
「応援、応援、応援しない者は薄情者」という煽りと、「自粛、自粛、自粛しない者は常識知らず」という抑圧とが、同時にもたらされるストレスは、人を欺瞞と鬱屈に満ちた二重拘束の中に閉じ込めていくだろう。
それは「癇癪玉」となって、爆発する時を待つようになる。
投稿者:北斗七星
>首相らの伊勢遷宮参拝は祭政一致の戦後版

そもそもが、

参拝者は「神」にお伺いをするのでしょか?。
「神」は参拝者に応答するのでしょうか?

先の大戦と復興は「神」の意思によるものだったのでしょうか?
国内300万の戦死者と敗戦は神の意思によるものだったのでしょうか?

『神』をよこしまに信じる者たちの責任を問わずして戦後があり、いかがわしいバカげた宗教全般を信じる者たちの責任を問わずして戦後が有りはしないでしょうか?。

倒錯した人間が創り上げた宗教(=自分の頭)を問わずして明るい未来は無いと思うものですが、自分の頭(=宗教)というものは頑迷、頑固、排他、増上慢、阿修羅的であり、その様な人達が居なくなることで明るい未来が開けて来ると確信している次第です。
投稿者:DAKKY
今回から通りすがり改めこちらのハンドルネームで書き込みさせていただきます

さてサミットに限らず日本国内で国際的なイベントが開催されると
商魂逞しく便乗商品が開催当地などで出回るのはよく聞く話ではあります
だが「XX記念」と「〜を応援」ではニュアンスが異なります

「記念」はあくまで便乗なので開催を必ずしも支持しているわけではない
しかし「応援」は購買者も「応援」している事をある種前提にしている節がある
勿論買う買わないの自由はそれとは全く別に保障されなければならない

とはいえ「にいのり様」もご指摘の通り「応援」には強い同調圧力を感じます
興味が無いからと言えばそれでも日本人かと問い質されるような圧があるような
たかがスナックやビールのキャッチコピーとはいえ引っかかるものがあります

私は「紅白」も「甲子園」もこの世から無くなって構わない派です
しかし世間では未だに随分と御執心な方が沢山おられます
そのような方々からすれば私や「にいのり様」などとんだ異端者なのでしょう

自分が好きなアーティストやアスリートを個人的に応援するのと
一種のマスゲーム的に集団の中において応援という行為に酔うのとは
私は峻別されてしかるべきだと考えます

集団での応援行為は日本以外の国でもあるのですが
興味の無い人や応援したくない人への強要は日本に顕著な傾向です
好き嫌いをハッキリと述べる文化は相手のそれを尊重する事で成立します

一方で同調圧力とは相手の意見を尊重しないところから出発しています
そこに個人への敬意は微塵もありません
敬意に値しない暴言というものも存在はしますが

いずれにせよ卵より壁の側に立ちたい人が一層増えてきたということでしょうか
そちら側に立たざるを得なくなるほど皆追い詰められているのでしょうか
そこから聞こえてくるのは「民主主義なんて糞喰らえ」という言葉です

私は今他の記事を読んで今までここで書いてきたり
日頃色々と考えてきたことに対して戸惑いと混乱を覚えています
この国は実は70年前もそれ以前もそして今もずっとこうだったのかなと
投稿者:にいのり
NHKが「紅白歌合戦」と「甲子園全中継」をやめない限り「戦後レジーム」は終わらない、というのが私の持論ですが、山崎氏の私たち一般の常識的なスタンスの中にある盲点をつく視線によって、大きなヒントというか支えを得たような気がします。
キーワードは〈応援〉だったんだ…。
実際、一時にも増して、右を見ても左を見ても今や応援、応援また応援。
アスリートを見て応援、アイドルを見てはまた応援、被災者と見れば応援、サミット応援、オリンピック応援、企業応援、贔屓の政治家と見れば勿論応援、政府応援、国家応援、応援応援また応援。
〈応援〉という行為に附随している(とみなされている)積極的な良心や善意の発露…「良心や善意や郷土愛の持ち主なら応援して当り前」。ここから「愛国心の持ち主なら、いや日本人なら応援して当然」という同調圧力ならぬ同調強制までは一直線につながって行く。
勿論〈応援行為〉にともなう集団的熱狂は日本のみのお家芸ではない。だが〈応援推奨〉すらがここまで粘着的なのはどうしたものか。
この〈応援推奨〉の同調圧力こそが実は悪質で、「独特の応援、そっと応援」などは認めない。その行き着く果ては「被災者支援せずとも被災者応援しろ」のような倒錯的事態だ。

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