晴耕雨読

淡々と日々の暮らしを立てるために働き続け、木々の緑、雨音、枯れ枝に架かる雪を密かに楽しむ。
老いては老いを楽しみ、若者の成長に目を細め、良い人生だったと感謝しつつ旅立つ。
こんな当たり前の人生が許されない世にはして欲しくありません。

 

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投稿者:三毛猫
テレビで竹中平蔵が「日本人は、80歳まで、東南アジアに行って働いたらいい」とテレビで云っていたのを思い出しました。
私の母は、73歳の誕生日を迎えたばかりで亡くなりました。この国は、死人にまで働かせるのか!?と聞きたい。
投稿者:北斗七星
にいのり様

なにか照れてしまいます。

人間は何にも増して正直を求められているようです。
これ程の正直者に何時かなりたいものです。そして、乱れた世に生きる時こそ真価が問われるのだと。

日妙聖人御書 〔C2・文永九年五月二六日・乙御前母尼(日妙聖人)〕抜粋

「而るに法華経は「正直捨方便」等、「皆是真実」等、「質直意柔軟」等、「柔和質直者」等と申して、正直なる事弓の絃のはれるごとく、墨のなはをうつがごとくなる者の信じまいらする御経なり。糞を栴檀と申すとも栴檀の香なし。妄語の者を不妄語と申すとも不妄語にはあらず。」


同生同名御書 〔C6・文永九年四月・四条金吾女房〕抜粋

「かかる乱れたる世に此のとの(殿)をつかはされたる心ざし、大地よりもあつし、地神定めてしりぬらん。虚空よりもたかし梵天・帝釈もしらせ給ひぬらん。
人の身には同生同名と申す二のつかひ(使)を、天、生まるる時よりつけさせ給ひて、影の身にしたがふがごとく須臾もはなれず、大罪・小罪・大功徳・小功徳すこしもおとさず、かはるがはる天にのぼて申し候、と仏説き給ふ。此の事ははや天もしろしめしぬらん。たのもしし、たのもしし。」

投稿者:き
此の集団は主権在民、平和主義、人権尊重の戦後憲法価値を根こそぎ覆滅せんとする或る意味反社会的存在である。
 妥協的に存在を許された天皇を今一度神格化し、カルト的に君臨支配する存在に祭り上げんとする集団。石田とか三好とか最高裁長官まで勤めた地位の人物が何十年もトップとして主導してきたことは民主国家としてあってはならないことだった。腹意が在りながら憲法を守護する地位にあったわけだから。
投稿者:にいのり
北斗七星さま

偉そうなことを言っておきながら、北斗七星さまのおっしゃるとおりかと思います。
北斗七星さまの何がすごいかと言えば、(解釈は百様ありといえども)きちんと古典の原文(テクスト)にあたられている点です。
しかも、いわゆる「原理主義」的なあたり方ではなく、それこそ解釈は百様ありといえども、このような考え方は出来まいかというところを提起される。
多くの人が受け入れるかどうかは別として、大部分の者はその地点に到達することさえ出来ない。
一方、「日本会議」あたりに巣食う「ゴロツキインテリ」連中の何が惨めで恥ずかしいのかと言えば、連中は何かと言えば「近代を超える」だの「近代など要らない」だの大言壮語してみせるわけですが、その偉そうな連中の脳内には「近代的ターム」しかない。
所詮は「近代諸思想」というパラダイムの内側であがいているのみで、近代諸思想の中で「あぁ、これは使えないね、ダメだったね」という捨てられた思想のみをドブ板の下からさらって来ては「脅迫語(ブラフ)」として利用しているに過ぎない。
連中にとって「天皇」だの「神道」だのは、よって反近代を気取るための「記号」でしかない。ゆえに、そこに一欠片の敬意もないのは当然至極のこと。
投稿者:武尊
小堀桂一郎
心臓バクバク状態みたいだね(笑)
投稿者:北斗七星
にいのり様

それぞれの人の解釈の違いと言えます。

「総意」の中に「わたしの意」が入るのか否か?ということです。
少なくとも「わたしの意」は入っておりません。
私は「天皇制」を全面否定する訳ではなくて、「天皇」という権威を悪しげに政治利用する明治以後の体制を腐敗した「天皇制」だと認識しております。
その意味で否定しているかのように書くのです。物事には「時」という制約が付きものだと考えておりますので、多くの人々が「天皇」がお好きならばそれはそれで良いと思います。(急進派ではありません。)

そうであるならば、陛下の「大御心」を大切にするべきではありませんか?、陛下は政治的発言をどしどしするべきです。

「大御心」とは「大慈悲心」と同じものと心得ておりますので、この「大慈悲心」に基づくご発言であればおおいに賛同し実践すべきなのです。

たとえ、民主主義国家であっても、政治を動かす集団が有る訳でありまして、時代性、国民性により天皇を戴く体制を選ぶならば、それはそれで良いと考えております。
ただ、その体制が腐ったものにならないこと「だけ」を願っております。

「自由」も腐る。「共産」も腐る。「民主」も腐る。「宗教」も腐る。
ということです。

先ほど朝の散歩から帰ったところですが、子猫の死骸に出くわしました。数千匹は居るだろうと思われるウジが湧いた状態でしたが、民家のすぐそばで道行く人が気付かない筈はありません。
放置されているのです。
昨年も猫の遺体を一つ葬りましたが、また今年も葬ることになりました。一体何なのでしょうか?、この世界。
投稿者:にいのり
北斗七星さま

余計なお節介かも知れませんが、日本国憲法に天皇の地位は明記されておりますので「違憲状態」というのは現状あり得ないでしょう。
勿論、私、憲法に書いてあるのだから"正しい"という論法を使うつもりはなく、「総意」という言葉も、「一部を代表しない」という意味に過ぎない。
私が言わんとしたことは、「私が勝手に奉じるもの、私が私淑するものは、私の意見にきっと賛成してくれるはずだ」という考えは誤りだということであり、「日本会議」の連中は、「我々は天皇を奉じており、天皇を明治憲法下のような唯一絶対の権限者にしようと頑張っているのだから、天皇がこれに反対するわけがない」という思い込みの中にあるという事です。
しかし、憲法はもとより、今上天皇の日頃の言動からも、国民の"総意"に基づいてあらんとされている事は明白であるという事。この点において「日本会議」の連中の妄想は挫折せざるを得ないだろうという事です。
私たちは、連中が、あたかも天皇の側近ででもあるかのような振りをする事に眩惑されまい、ひるむまいと意志することが大切であると思います。
勿論、天皇制の否定を主張する事も、現憲法は妨げていないはずです。
投稿者:北斗七星
>国民の総意に基づく「天皇」

など現実にはあり得ないこと。

よって、天皇の存在そのものが違憲状態であるか、又は「国民の総意」から漏れ出る国民は非国民となるかのどちらかでしかないでしょう。

と思うところです。

どんな国の現実の政治も「国民の総意」に
基づく良い意味での『全体主義』ではないことは周知のごとくであります。

皇室問題は皇室典範以前に遡る初代天皇の起こりから始める、歴史的な検証が必要となることでしょう。
日本の神社にはユダヤ民族の文化と共通の痕跡が残されていると言われていますから、その辺の研究も公にしてもらいたいものです。

私が思いまするに、じつに天皇は「紛争の種」として存在しているにちがいありません。
日本人がタブーとしているものに、政治信条、宗教、そして天皇について語る事があると思っておりますが、今の日本人にはそれを語るだけの勉強がはなはだ足りない状況にあるのだと思います。(わたしも含め)

それは、積年の愚民化政策の賜物(成果)だと固く固く「信」じております。

ただし、マタイ15-14『そのままにしておきなさい。彼らは盲人の道案内をする盲人だ。盲人が盲人を導けば二人共に穴に堕ちる』と言われるように、今この世界は「盲人達」によって導かれているのだと強く強く思う次第です。

三種の師(新訳仏教聖典p.244 長阿含経)
第三の師は、自ら出家の目的を果たして、弟子たちに教えておるが、弟子たちはその教えに耳を傾けず、師の教えから離れてゆく。この師も、「あなたは丁度古い捕われを切りながら、わざわざ新しい捕われに付くようなもので、それは一種の悪い貪りである。他人が他人に何をなし得よう」と誹られねばならぬ。そうしてこの非難も当たっている。

マタイ15-14「そのままにしておきなさい」

長阿含経「他人が他人に何をなし得よう」

この二句の意味は共通しています。それぞれの力に応じて努力はしても、しょうも無いものはしょうも無い。怒るのだけはやめようと自分に言い聞かせながら、毎日毎日怒っている自分を見つめている。

煩悩は即ち菩提なりとはこの事だろうか?。
投稿者:にいのり
この「日本会議」とやらは、勝手に「国体」だのなんのという言葉を使っているだけで、そこには何ら「正統性」がない事を明示していくべきですね。
この、「日本会議」などと勝手に「日本」という名称を用いている任意団体は、皇室はもとより日本史にも殆んど関係していないその辺のチンピラ人士を寄せ集めた任意団体に過ぎないという事をPRして行く必要があると思います。
公党でもない、宗教法人でもない、シンクタンクというレベルには到底達していない、ただ自我肥大が妄想の領域に達した異様な連中が勝手に「国」だの「天皇」だの騙っているに過ぎない、そういう意味では我々と何ら変わりない市井のゴロツキの集まりに過ぎない。
そういう事をみんなで認識すべきと思います。
あたかも、「俺たちの言うことなら天皇は聞く耳を持つはずだ」みたいな文体をこいつらは用いますが、ちゃんちゃらおかしいと言うべきです。そういう認識を日本人の多くが共有して、決してひるまない事が肝心だと思います。
今、現在、天皇を天皇たらしめている正統性を有しているのは、近代的な常識/良識を併せ持つ私たち普通の日本国民ですよ。
この正統性に歯向かうなら、むしろそっちが"逆賊"なのだ。

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