晴耕雨読

淡々と日々の暮らしを立てるために働き続け、木々の緑、雨音、枯れ枝に架かる雪を密かに楽しむ。
老いては老いを楽しみ、若者の成長に目を細め、良い人生だったと感謝しつつ旅立つ。
こんな当たり前の人生が許されない世にはして欲しくありません。

 

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投稿者:北斗七星
何故?今、「祈り」なのか?

「祈り」と言えば敬虔な宗教信者のやる事かと思う人が多いでしょうが、そうとは限らないということ言いたいのです。

「祈り」はいわゆる「宗教」とは関係が無い。言わば「想念」とも言うべきもので、困ったときの神頼みのようなもの。
普段は不信仰な者でも、「こんな出鱈目な世の中滅びてしまえ」と思うと、それが、神仏を信じない人々の「想念」であっても、その様な「想念」が増えててゆくと、世の中がその様な状況に成って行く。

革命を起こそうとか、デモに訴えるとか、世の中に騒乱を起こそうとか、その様に考えるな人々は不届き者だ。という風潮が蔓延する様相を呈していますが、まず先に、どちらが不届き者なのかを考えるべきであり、世の中と言うものは科学的に動いているということに気が付くべきなのです。

科学的現象には必ず原因と諸条件と結果という連鎖法則が働いており、それら科学的現象の連鎖が全て「単なる偶然」の産物であると考えるのは「非科学的」な思考方法なのです。

昔の人は言いました。
臭いものは「元から」断たねばならない。

宗教と言うものは、実は科学的なのです。

いつか、気が付く時が来るでしょう。
遠い遠い遥かなはるかな未来においてかも知れませんが。



投稿者:北斗七星
名利と冥利

冥利とするところを名利と間違えました。

ついでに、記事に関係無い「冥祈」について言わせて下さい。
祈りには「顕祈」と「冥祈」とがあって、顕はハッキリと意識して祈る方法で「冥祈」は深層意識での祈りとでも言いましょうか。ハッキリとしない祈りのこと。

この冥祈に応じる形に、顕応と冥応の二種があるそうです。

多くの人々に、この日本(全世界も)の現状に対する不満や不安があり、悲しみや憤りがあれば、それが知らず知らずに「顕祈」「冥祈」となりそれに応ずる形で様々な反応がこの世界に現れる筈です。

それが不可思議な心というもの。

三界に別の法無し唯是れ一心の作(十地経)

の意味もそう言う事で、華厳経の「心は巧みなる絵師の如し」や一念三千(=諸法実相)一心法界の意味も同じこと。

立正安国論の趣旨もこれと同じで、衆生の心が安穏になれば、この世界も落ち着いてくる筈です。王法(政道)と仏法(法華の心)が冥合(融合)すればそれが叶うでしょう。

ただし、「雖讃法華経還死法華心」(法華経を讃嘆すると言っても還って法華の心を殺
す)という警告も有ります。

「法華の心」とは「民草の心を安穏にする」
ということで、これを抜きにして真実の法華経はあり得ないと言う事であります。

こう書くと、在家の分在で知ったふうな事を言うな!この増上慢め!意味が違う!なんて言われそうですが。少しも違う事など有りません。
投稿者:北斗七星
>>著作権継承者っていうのがどうして死んだ人間の書いたものの利用にあれこれ注文をつける権利があるのか、僕にはどうしてもわかりません。

著作者本人は、読んでほしいから書くのだと思う。その著作が売れて売れて、印税が沢山はいってくれば幸運ですが、本来はその幸運が目的では無いはずです。

著作が売れることが目的では無くて、読んでもらう事。
その著作に対していろいろと批評が寄せられたり、肯定的に引用されたり、否定的に引用されたする事は、著作者名利に尽きるのではないか。

ところが、著作権継承者というのは、権利(お金)だけを目的としているだけで、「著作者の意思」までは継承していないからではないでしょうか?。
投稿者:北斗七星
>>人々は「空気」に流されて

この「空気」に流されて行動することと、「和」を尊び行動することが同一になっているのでしょうね。

病的な情念と内なる天皇が融合して「狂気」となり、「狂気」と「狂気」が「和」を中心にして融合し巨大な竜巻状態となり辺りを破壊し尽くす。

病的な情念と内なる天皇
病的な情念と内なる神
病的な情念と内なる仏
病的な情念と内なる日蓮
病的な情念と内なるキリスト

表現は違っていても、その権威(狂気)は同じもの。

色盲という病気がありますが、聞くところによれば赤色が緑色に見えてしまい、熟した
赤いイチゴを取り残してしまうそうです。

赤色を緑色と認識する。どうしようもなく赤色が緑色に見えるのだから、これはもうどうしようもない。



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