晴耕雨読

淡々と日々の暮らしを立てるために働き続け、木々の緑、雨音、枯れ枝に架かる雪を密かに楽しむ。
老いては老いを楽しみ、若者の成長に目を細め、良い人生だったと感謝しつつ旅立つ。
こんな当たり前の人生が許されない世にはして欲しくありません。

 

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投稿者:北斗七星
にいのり様

>私の直観的な思いですが

おっしゃる通りですね。

「闘諍堅固」の時代
釈迦滅後の五番目の五百年、つまり二千年を過ぎた時代(末法)の始め頃から教義についての論争が盛んになると言われていました。
世法即仏法ですから、世間の思想においても同様になります。(実際にはもっと以前から始まっていますが。)

移民問題でも同感です。愛と憎がペアになっているように、なまじのヒューマニズムは破綻するのではないかと。

豊洲の歴史はまさにビジネス界の歴史そのもので、政治もその中に取り込まれてしまっているのではないでしょうか。
ビジネスは金儲けの為に平気で出鱈目が出来る世界になってしまっている。

プロミスト・ランドもそのことを描いていると感じました。主人公は聡明な女性に出会いビジネスの世界から大地に還ることが出来ました。ドラマですけれどハッピーエンドは心安らぎます。
投稿者:にいのり
北斗七星さま
改めまして、ありがとうございました。

私の直観的な思いですが、
宗教=宗派の問題にしても
政治=党派の問題にしても

互いの内的論理の正当性にこだわるあまり、
妥協的論理も止揚的論理も構築できず、
「敵対する事が(そしてあわよくば相手を殲滅する事が)自陣営の正当性の証明であり自陣営の共同体性維持の肝」
みたいな議論が延々と続く限り、建設的解決だとか発展的解消だとか、そういうものは生じ得ないのではないかと。
一方で、例えば人道的観点から難民を積極的に受け入れると言っても、欧州が悩まされているように受容可能な社会的キャパシティというか閾値の問題は間違いなくある。
ただ、その場合でも言えるのは、内的論理の原理主義化とでも言うべきか、双方の論理が先鋭化して極端から極端に振れやすくなっているという事。
それでもまだ問題意識を持って議論しているならマシな方で、既得権等に耽溺している連中は、豊洲問題に象徴的なように職業倫理もへちまもなく、あれだけの出鱈目を平気でやってのける。
今、私たちは、こういう状況にあるという「認識のブラットホーム」に立てているか否か、そこに本当は断層(差異線)が横たわっている
投稿者:北斗七星
にいのり様

最初に、早雲様のお計らいに感謝致します。

釈尊は一切文字を残さなかったのですから、信頼できる経典は何処にもないと言えます。

ヤハウェ自身は文字を遺したでしょうか?

モーセは何故たった一人で神に臨んだか?見られてはいけないものがあったのでしょう。

イエスは文字を残したでしょうか?

多くの聖者には精霊が。

マホメットには天使ガブリエルが。

ファティマに現れたのは聖母マリア

何故?ヤハウェではないのでしょうか?!。

心霊現象に現れる名も知らぬ神々。

真理は何処にあるのでしょうか?
他者の悲しみ、苦しみ、喜びに良くも悪しくも反応する心は何処にあるのでしょうか?

一念三千法門 〔C9・正嘉二年〕抜粋

此の妙法蓮華経とは我等が心性、総じては一切衆生の心性八葉の白蓮華の名なり。是れを教へ給ふ仏の御詞なり。無始より以来、我が身中の心性に迷ひて生死を流転せし身、今此の経に値ひ奉りて、三身即一の本覚の如来を唱ふるに顕はれて、現世に其の内証成仏するを即身成仏と申す。死すれば光を放つ、是れ外用の成仏と申す。来世得作仏とは是れなり。
 「略挙経題玄収一部」とて一遍は一部云云。妙法蓮華経と唱ふる時心性の如来顕はる。耳にふれし類は無量阿僧祇劫の罪を滅す。一念も随喜する時即身成仏す。縦ひ信ぜずとも種と成り熟と成り必ず之れに依りて成仏す。妙楽大師の云く「若しは取若しは捨耳に経て縁と成る、或は順或は違終に斯れに因りて脱す」云云。日蓮云く、若しは取若しは捨或は順或は違の文肝に銘ずる詞なり。法華経に「若有聞法者」等と説かれたるは是れか。既に聞く者と説かれたり、観念計りにて成仏すべくば若有観法者と説かるべし。

記号C0は真筆全存、C9は最も信頼性に乏しい遺文で、以下が解説文の一部

これらは源信の『法華即身成仏要記』を土台に作られたものと考えられる。→執行海秀「御義口伝の研究」(『立正大学論叢』第4号・7号)。

以上で終わります。
投稿者:にいのり
北斗七星さま
わざわざ私の思い付きのような質問にお付き合いいただき、誠にありがとうございました。
ただやはり、私程度の仏教理解では到底たちうち出来ない議論になってしまうようで、理解の追い付かないこと、申し訳ありませんとひたすら申し上げるしかない状況です。
本当に申し訳ありません。とはいえ、私の質問のモチーフとして、「"反権力"を気取ってそれを貫けば、それは全て"正しい行いだ"」というような一部の「左翼楽観主義」みたいな考え方にひたすら執着し、かえって"衆生"の信頼を失っているような論者の方に、単に"政治的"ではない問題提起をしてみたい、というようなものがありましたので、北斗七星さまが誠実に御回答下さったことでモチーフの一部は達成されており、そのことにひたすら感謝いたします。
また、流れをご理解いただいた上で、スレッドの内容からは若干遊離する点もあるやり取りをご掲載くださった管理主様にも感謝いたします。

社会的事象に関して"政治的言語"のみで応酬を繰り返すという"貧困な言語環境"に(やむを得ざる面はあれど)時としてうんざりするのです。
社会に余裕がなくなれば益々その傾向に拍車がかかり経済的悪循環と同型現象を生む
投稿者:北斗七星
にいのり様

簡単に申し上げますと、わたしも含めて多くの信者さんに本当の智慧が無い、足りない、戒が無い、足りない、勇気が無い、足りないということに尽きるのではないかと思います。

日有上人の化儀抄、
「法華宗は大乗に宗にて、信心無二なる時は即身成仏なるが故に戒の持破をも云わず、又有智無知をも云わず、信志無二なる時は即身成仏なり、但し出家の本意なるが故に、如何にも持戒清浄ならん事は然るべし、無知無戒にして已上すべからず云々」。

四条金吾殿御返事 〔C6〕
 正法をひろむる事は必ず智人によるべし。

戒法門【C9】
「浄土宗の学者伝教大師の釈を引とも、末法には持戒の者なしと云釈の意を知らずして、人々を迷はす法門なり。恐るへし恐るへし」。・乃至・
外道等も持之天上に生すと教るなり。但持犯計を沙汰して、其上に仏法を聞んことをは知さるなり。仏世に出給て此五戒を持て、人身を受て其上に仏法を聞て、悟を開くと説給なり。然れは此五戒に様様の功徳を備へて、戒として摂せすと云ことなしと説給。此五戒を根本として大乗の諸戒も具足するなり。故に此五戒をは具足根本業清浄戒と名るなり。此五戒若破れつれは一切の諸戒皆破る。五戒は破るといへとも、大乗戒は持たりと云事は無之。根本戒と名るは此故なり。


四恩抄[C6]
「日蓮はさせる妻子をも帯せず魚鳥をも服せず只法華経を弘めんとする失によりて妻子を帯せずして犯僧の名四海に満ち螻蟻をも殺さざれども悪名一天に弥れり、恐くは在世に釈尊を諸の外道が毀り奉りしに似たり」

原殿御返事(日興書)、
「民部、入道の室内にして一日一夜説法して布施を抱え出すのみならず、酒を興ずる間、入道其の心中を知りて妻子を呼び出だして酒を勧むる間、酔狂の余り一声を挙げたる事、所従拳族の嘲奔口惜しとも申すばかりなし、日蓮の御耻(はじ)何事か之に過ぎんや」、と。

諸法実相抄(C6)
『行学の二道をはげみ候べし。行学たへなば仏法はあるべからず。

上野殿御返事(C0)
願はくは我が弟子等、大願ををこせ。去年(こぞ)去々年(おととし)のやくびやう(疫病)に死にし人々のかずにも入らず。又当時蒙古のせめにまぬかるべしともみへず。とにかくに死は一定なり。其の時のなげきはたうじ(当時)のごとし。をなじくはかりにも法華経のゆへに命をすてよ。
投稿者:北斗七星
にいのり様

ご質問有難うございます。

この問題はここのテーマとは無関係なようですので早雲様のおはからい次第となります。
また、1000文字では収まりそうもないので数回に渡ってしまいそうです。

では、
日本国は大乗の機(=大乗を受け入れる精神的基盤がある人の住む国とでもいいましょうか)と言われています。これは日本仏教界の共通した認識とされていますが、実はこの大乗に権大乗と実大乗があり、権大乗(諸大乗経)は仮(方便)の教え、実大乗(法華経)は真実というのが日蓮聖人の立場なのですが、実は聖人の立場は更に深く、相待妙(劣)と絶待妙(勝)の二妙、また、法華経前半迹門〈劣〉と後半本門(勝)の二門、更に更に本迹二門の法華経と題目の五字七字を相対させて本迹二門の法華経(劣)題目一本(勝)と言う法門(思想)なのです。そしてこの最勝の題目は絶待妙で他の勝も劣も一切を含む題目です。また、その文証(根拠となる経文)は、三大秘法稟承事 〔C6・弘安四年四月八日・大田乗明〕に書かれているところの、
「問ふ、仏の滅後正像末の三時に於て本化・迹化の各々の付属(経を広めることを託すこと)分明なり。但寿量の一品に限りて末法濁悪の衆生の為なりといへる経文未だ分明ならず。慥(たし)かに経の現文を聞かんと欲す 如何。答ふ、汝強(あなが)ちに之れを問ふ、聞いて後堅く信を取るべきなり。所謂 寿量品に云く「是の好き良薬(唱える題目)を今留めて此に在(お)く。汝取りて服す(唱える)べし。差(い)えじ(これで成仏なんて出来ない)と憂うること勿(なか)れ」等云云。」・・・となります。
C6と言う記号は信頼度を表わす指標となるもので、私の知るところではC0からC9まであり、争い合う教団の間ではC3クラスしか通用しません。真筆全存から一部現存、身延曾存(かつて真筆が身延山に有ったと認められているもの)くらいです。ここでわたしは思うのですが、いったい法華経の真筆は有るのでしょうか?と。

釈尊は一切文字を残さなかったからです。


投稿者:にいのり
北斗七星さま

コメントありがとうございます。
何のメディアだったか、中島みゆき氏も、どこぞの仏教系統の信者でもあるとか。
中島氏の歌詞から感得できる、勁さと優しさの同時成立性みたいなものは、氏の信仰と無縁のものではないのだろうなぁとその記事を読み、勝手に想像してみたりしました。

さて、私が強調し、北斗七星さまが反応してくださった「個々が自立しようと努力しながらの結果的連帯」の箇所。
原始仏教と言いますか、上座部仏教と呼ばれるものは、そのようなものではないかなと認識しています。
その中心には勿論の事ながら圧倒的覚醒度を誇る釈迦がいたわけですけれど。
で、日本に広まったのは、いわゆる大乗仏教ですね。
私は北斗七星さまに議論を挑めるほど仏教を学んだ事はないと思うのですが、文化人類学的視線からの日本人の「個と集団」という事を考えてみますと、大乗仏教の在り方というものが、日本人の無意識に良かれ悪しかれ影を落として日常性を形成している気もいたします。
これは、批判的に乗り越えられるべき状況だと思いますが、どのようにお考えか、簡単にお聞かせ願えれば。
無理を申し上げて済みません。
投稿者:スバル
こんなの見つけました
りほんプロジェクトの
「戦争のつくりかた」
にそっくり。

【要拡散】
[「アベはウソをついた」と事実を板書した北海道の社会科教諭 処罰]

「アベはウソをついた」政権批判を授業で板書 北海道・道立高校を指導 道教委「中立性に疑い」

http://www.sankei.com/life/news/160929/lif1609290018-n1.html
投稿者:北斗七星
にいのり様

>シールズが画期的だったのは、「個々が個として自立しようと・・・。

今回は私が惚れた『中島みゆき』の歌詞をご紹介します。

中島みゆき 夢のとおり道を僕は歩いている (2000年)
http://www.kasi-time.com/item-18335.html

中島みゆき 心守歌 (2001年)
http://www.kasi-time.com/item-18133.html

中島みゆき 荒野より(2011年)
http://j-lyric.net/artist/a000701/l0269ae.html

中島みゆき 彼と私と、もう一人
http://j-lyric.net/artist/a000701/l026d17.html

中島みゆき 帰郷群
http://www.kasi-time.com/item-57689.html

中島みゆき 走(そう)
http://j-lyric.net/artist/a000701/l026d1b.html

投稿者:にいのり
北斗七星さま
いつも私が言いたい事の焦点的な部分を察知された上でのご意見、痛み入ります。
こういう事を書くのなら小沢氏の欄だなとは思いながら書きましたが、まさに仰せのとおり、小沢氏が「個」(に近い形)で勝負に行った結果発動された「顔なき集団」による「個」への無力化圧力とその手口を、恐怖感を覚えながらもずっと追って来たつもりです。
小沢氏が恐るべき集団的圧力により無力化された…これは既に歴史的象限でしょう。
で、この圧力はどこからやって来たのか。左右双方からやって来たじゃないか。
私はそう感じていますゆえ、左側にいらっしゃる方にもきつい言い方をします。(自分自身は小沢氏よりも遥かに左のポジションにいたはずだと思いながらも)
問題は、結局「左右(の関係性)」にあるのではなく、「個と集団(の関係性)」にあるのだというのが私の見立てです。
私たちを支配している"養生訓"は、「ア・プリオリにある集団の中のポジショニングをしっかり取れ」というものではないでしょうか。「左右」双方にそのような論理が通底してはいないでしょうか。
シールズが画期的だったのは、「個々が個として自立しようと努力しながらの結果的連帯」という姿の一端を示し得た点。
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