晴耕雨読

淡々と日々の暮らしを立てるために働き続け、木々の緑、雨音、枯れ枝に架かる雪を密かに楽しむ。
老いては老いを楽しみ、若者の成長に目を細め、良い人生だったと感謝しつつ旅立つ。
こんな当たり前の人生が許されない世にはして欲しくありません。

 

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投稿者:にいのり その4
このように考えてみると、今や私たちの社会には、かつていたようなエリートなるものは存在していないにもかかわらず、あたかもエリートであるかのような「権限」だけはちゃっかり持ち続けている人間がいる事も見えてくる。
彼らはエリートでもないのにエリートのような「権限」を与えられながら、「権限」の使い方も使い途も知らず、責任の取り方も知らなければ責任を取らなければならないという事も知らない。
可哀想に、エリートではない者というのは、学歴は高くとも、まともな教育を受けられないため無知の自覚もなく、無知であるがゆえの言い訳だとか言い逃れだとかバックレだとかそういう事にだけは世知の取得によって長じるようになる。
そういうエリートでもないのにエリートみたいな「権限」を持たされたりする人間が、社会人の構成上、一定以上の閾値を越えれば、恐らく税収などいくらあっても足りなくなる。
大学進学率が上がる事により逆にエリートが存立し得なくなるように、妙な「権限」を持つ人間が増え過ぎると逆に税が必要な所には適正に配分され得なくなっていく、彼らは「権限」だけで生きて行こうとするから。
では、どうすれば良いのか。
「権限」を量的、時間的に集中させ過ぎない事に尽きる。
投稿者:農婦
岩手県釜石市の市長を務めた鈴木東民の生涯を書いた、鎌田慧さんの著書を読んで涙してます。我が故郷出身の吉野作造の愛弟子だった鈴木東民、是非読んで見てください。「反骨鈴木東民の生涯」。
投稿者:にいのり
(すみません、もう少し続けさせてください)
仮に、そうであってもなおエリートというものが一定の機能を果たしてこそ、「暴走したり、極端に走ったり、狂暴で凶悪なものが横行したりする社会」を阻止する事が出来るはずなのだと主張したいのであれば、
機能するエリートとは、どのような存在なのか明示する必要はあるだろう。
さしずめ考え得るのは、単に能力があるというのみではエリートとしては不足であり、ノブレスオブリージュなどという言葉があるとおり、「高貴である事の自覚」と「高貴であるための責任」を有しているような存在でなければならないという事になってくるだろうが、さて、いったい我が国の石を投げれば当たる程度の官僚や学者や政治家や経営者らに、それほどの人物は存在し得ているのかといえば、存在しないからこそ、このような社会が営まれているのでしょう、と返すほかない。
エリートという名の大衆、大衆の原像を喪失し浮き足だつばかりの群衆、一斉主義・集団主義に予め埋没しておいて相対的で微細な差別競争に明け暮れる知的大衆…そういう者たちに権限だけ与えれは、原発を爆発させて高飛びしてみせたり、突然カジノが日本には必要だと喚き出したりする事になる。
投稿者:武尊
橋下は大企業迎合だから。反核発電を完全に逸脱した時を思い出そう!何がフェーズアウトだ。フェーズアウトまで何年掛かるんだ?リプレイス出来なくても、30年掛かるんだぞ!こっちとら死んでらあァ!!
投稿者:にいのり その2
この、エリートと非エリートとを選別した上での議論の有効性というものは、いわゆる先進国において大学進学率が50%を超えるか同等の比率になった時点で失効している(ナンセンス化している)とみなすべきだ。
それは、政府というあるしゅの"エリート"集団が、もったいぶって選出してみせる"有識者"なる"エリート中のエリート"(?)の「エリート性」というものが到底、実質性と実効性を欠いていると非エリートの大部分に分かられてしまっている(ネタバレしている)時点で終わっている。
(差別で言うのではなく近代の成果として言うのだが)橋下氏のような出自の人物が、ちゃんとした大卒で、資格試験を通ったれっきとした法曹で、大衆(人民)による被選挙権を行使し公的職務をも担ったキャリアを有する"エリート"の一隅に列せられる人物でもあるという時点で「大衆とされる皆さんもお分かりの現実」なのだ。
つまり、大学進学率が半数を越えるという事は、半数以上の国民大衆が「エリートの作られ方」を身をもって見聞するという事にほかならず、"レール"に乗るのか、乗って利用するのか、喜び勇んで乗るのかイヤイヤながらか、それらは個人の嗜好や人生観のレベルにまで解体される時点で、"エリート・有識"なるものの滑稽さが浮上するしかない。
投稿者:にいのり
橋下なる人物の意見も、それに異論を唱える方の論考も、何か冴えない、これまでにも何度も繰り返されてきた、近代初期に「民主主義の政治制度や理念」を作ってみせた人々よりも"劣った"議論ではないかと思われて、「どちらにもつきたくない」と思ってしまいます。
はっきりさせておくべきなのは、「ポピュリズム」という定義不明系の"用語"を賛否いずれにしろ安易に使用して論陣をはろうとするのは、「経済」や「(自称)経済学」のほうに偏りがちな人物たちだという事ではないのでしょうか。
彼らは、「(自称)経済学」が危うくなり始めると、「ポピュリズム」なる意味不明の言葉を頻繁に使用して議論を混乱させようとする。
問題は、エリートと非エリートとの分断や対立なのではなく、エリート相互の、また非エリート相互のなくもがなの分断と対立であり、また、分断と対立を徒らに煽ってみせる言論なのに、
前者は、まるで「エリート」という特別な/特殊な「人種」「新生生物」が存在し存立し得るかのような振り(似非現実の呈示)をしておいて、「大衆の意見を取り入れるべきだ」とか「いや大衆に安易に迎合するのは危険だ」などと(自分たちは"エリート"の側の人間になったつもりで)議論をしてみせる。
ナンセンスと言うべきだ。

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