「自分は永遠に「叩かれる側」にはならないという楽観的な思い込み「下僕思考の弱者叩き」:山崎 雅弘氏」
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明石元紹「有識者会議の推移をみていますと、国民の気持ちとも違うし、ある意味では、陛下が考えていらっしゃるのとも、かなり違った形で意見をおっしゃる方が多いものですからね」(12月3日放送 TBS報道特集『天皇退位の是非』)
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「これではあまりに陛下が、両陛下がお気の毒じゃないか、という義憤もありましてね」
「(陛下は)明治以前の何十代とある天皇のなかでは、途中で譲位されるとか、女性天皇がピンチヒッターでなさるとか、そういうことは数えられないくらい多いんだ、と。だから、ぼくの代になって元気なうちに譲位をするということを仮に言っても、それは珍しく驚くべきことではないんだよ、と言ってらっしゃいましたね」
明石氏が「義憤の感情」でこうしたやりとりを「国民に向けて」公表したことも、国民の側は真摯に受け止める必要があるように思える。
今の政治状況下では孤立無援に近い、今上天皇の意向に沿うよう情勢を変えられるのは、主権者の国民しかいない。
もしこのまま安倍晋三氏や日本会議の思惑通り、一代限りの特別法という形で譲位問題に幕引きがされるなら、今上天皇は深い葛藤に直面するだろう。
肉体的・精神的には譲位したくても、それをすると「自分さえよければ」という形式になってしまう。
結果的に最後まで在位せざるを得なくなるかもしれない。
つまり、安倍晋三氏や日本会議が望む「一代限りの特別法」という形式には、今上天皇がそれを選ぶことに抵抗を感じさせ、譲位の道に大きな心理的ハードルを立てる陰険な思惑が隠されているようにも見える。
結果的に今上が最後まで在位を続けるなら、安倍晋三氏や日本会議にとっては大勝利の結末になる。
「命令的な人間は、いかに彼らが自分たちの神に仕えていると信じているにしても、自分たちの神に対しても、また命令するであろう」
このニーチェの言葉を、三木清は天皇機関説事件の最中の読売新聞への寄稿(1935年3月20日)に引用した。
神を天皇に置き換えれば、そのまま今の日本にも通用する。
〈時代の正体〉運転士激務に悲鳴 臨港バス 36年ぶりスト(神奈川)
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「16時間拘束も低給与」
「カネじゃない、安全のために訴えている」
「睡眠不足への対策も十分でない」
「働く人の権利を守れ、と言うのはぜいたくではない。特に若い世代がまともに働いて生きていくための切実で現実的な要求だ。私たちが暮らし、生きているこの日本の社会をまっとうに存続させるために絶対に必要な条件だ」「若い世代は『会社と交渉して待遇や労働条件を改善できる』ということ知らない」
「権利の行使は待遇改善を勝ち取れるだけではない。権利を行使するその姿が『待遇は勝ち取っていいのだ』という社会へのメッセージになる」
「(メディアによる)報道の多くは本質を伝えず単にストライキがあるという事実だけを伝える。さらにそこへ消費者や利用者の否定的なコメントを交えたりもする。表面的な報道もストライキや労組への無理解を生んでいる」
>排除アート
https://t.co/H6cq11p2WE 「都築響一氏は、これらの行政のやり方は、悪意があるように見せないことが大事で、排除アートだということを市民に気が付かせないようにするのが“芸”だという。」



>Mami Tanaka 排除アート()は実際問題、路上であれホームであれ、非常時に危険だろう。
>佐藤剛裕 渋谷駅の井の頭線ガード下のアレとか、新宿西口地下通路のアレとかほんと非常時に危ない。
>佐藤剛裕 ホームレスにすら優しくない街を作ってたら、大規模災害で帰宅困難者が都心部にあふれた場合に雨風防ぐ場所も座る場所もまったくなくなるってことだよな。
これは本当にその通りだと私も思う。
ホームレス叩きも含めた「下僕思考の弱者叩き」は、なぜか何の根拠もなく、自分は永遠に「叩かれる側」にはならないという楽観的な思い込みに囚われているが、現実には大震災の後、自分もここで寝る可能性がある。

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