晴耕雨読

淡々と日々の暮らしを立てるために働き続け、木々の緑、雨音、枯れ枝に架かる雪を密かに楽しむ。
老いては老いを楽しみ、若者の成長に目を細め、良い人生だったと感謝しつつ旅立つ。
こんな当たり前の人生が許されない世にはして欲しくありません。

 

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投稿者:うにょら〜
教条を吐きながら襲撃。
必要なのは、こうした襲撃者の下放なのかも知れませんね。

背負いもしない屑による教条を吐きながらの襲撃と依存。お隣の国でやらかしていたことも学習しなかった。

「白猫であれ黒猫であれ、鼠を捕るのが良い猫である」
まともに背負った能力者でないと問題は解決できず、教条を吐く襲撃者は多重に害をなす。
投稿者:
↓国会1週間トンズラして欧米歴訪“外遊び”で
税金使って大聖堂お見舞いプランのハタ迷惑
http://www.nikkan-gendai.com/articles/view/news/252157
投稿者:北斗七星
人間というもの-16

現代社会において、世界中には仏を信じる人よりは神を信じる人の方が圧倒的に多いのだと思う。恐らく皆知っているように、神は人を裁く。ノートルダム大聖堂が火事に遭った理由は何だろう?。よく、よく考えて見たらいかがだろうか?。
本来、聖なる場所から火が出る事の意味はとてつもなく重いのではないか?。全焼は免れたものの屋根は全て焼け落ちたそうだ。
改修工事に原因があるとか言うのは、信仰の無い人間の言うことだろう。初期消火が迅速だったから全焼を免れた?

ならば、初期消火を迅速にするが良いだろう。
天が焼け落ちないうちに!。

この火災が、対テロ戦争の行く末を暗示しているように思うのは私だけだろうか?。
イザヤ書のほんのさわりだけでも読んでみたほうが良い・・・と、思う。

ボケッとばかりしていないで!。
投稿者:北斗七星
人間というもの-15

結局の所、人間は自分が好むものを選んで信じる存在と言えます。法華経に関して言えば、日蓮宗とか日蓮正宗という宗派がありますが、この呼び名は実は間違いなのです。真言宗の日本における開祖は空海ですが空海宗とは言わない、浄土宗は法然宗とは言わないし、浄土真宗も親鸞宗とは言わない。仏教宗派は普通は特定の経典を拠り所とする宗であるので、その名前は経典由来の名前になる。天台宗も実は呼び名としては間違いなのです。

最近になってある論文(日蓮教学の思想史的研究 戸頃重基)を読みましたら、万有引力とその発見者として一般に知られるニュートンの関係を比喩として、諸仏の師とする処はいわゆる「法」と、その「法」の発見者としての教主釈尊の説明をしている。(趣意)

どういうことかと言えば、発見者ニュートンよりも発見された引力の方が重要だということであり、人間ニュートンも万有引力の所持者であり、また引力に支配された存在であるのと同じように、人間教主釈尊も「法」の発見者であり所持者であり、「法」を拠り所とし「法」に支配された存在であると言うことです。
こう言う考えから導き出されるのが、法は優れ人(全ての仏様も含む)は劣るという考えであります。これを「法勝人劣」と言います。もちろん非常に高い次元における勝劣ですから劣と言っても常人の考える劣(善人悪人)などではありません。



投稿者:
全国紙は校閲部があるからまず間違いが無いが
↓夕刊紙やスポーツ紙の記事のデタラメは最悪だ
日刊スポーツ・「マー君KO 序盤のツケ支払う(×)」→〇ツケ払う
(今日付のヤフーニュース記事・マー君は借金でも支払うんか?)
日刊ゲンダイ・証文の出し惜しみ(×)→〇証文の出し遅れ
(証文は出し惜しみするんか?)
日刊ゲンダイ・乾坤の一滴(×)→〇乾坤一擲
(勝手に言葉捏造すんな?)
“記者という職業”やってんなら国語辞書やネットで
調べてから記事を書けというくらいのお粗末さ加減
投稿者:北斗七星
人間というもの-14

2019/4/12東京新聞の書籍広告より
歎異抄をひらく(高森顕徹著)
「人は何故生きる?」
「この孤独、どこから」
「死んだら、どうなる?」
八百年前も今も、人の心は変わりません。
日本人に生きる力を与えてきた古典「歎異抄」の魅力を、
解りやすい意訳と解説で引き出します。

悪人こそが救われる
「善人なおもって往生を遂ぐ、いわんや悪人をや」(歎異抄)

一切の書物を消失しても、『歎異抄』が残れば我慢できる(哲学者 西田幾多郎)

私が死んだら、川に捨てて魚に与えよ(親鸞聖人)

世界のどこに、こんな大胆な表現があるか。
ニーチェでも、トルストイでも、ボードレールでも、これ(歎異抄)を読んだら驚くだろう。(劇作家 倉田百三)

念仏思想は往生思想であります。どういうことかと言えば、この世界はどうしようもなく穢ならしい世界だから、ただ、ただ念仏を南無阿弥陀仏と唱えて西方極楽浄土へと避難(往生)しなさい、という教えです。
この地球上には西へ西へと行けども行けども浄土は有りません。地球外の西の彼方の星に有るのでしょうが、極楽浄土信者はそれを信じている。念仏者無間地獄と日蓮聖人が痛烈に批判したのは、この世界をさんざんに汚したあげくに放り投げて逃げ去ってしまう思想だからです。釈尊をなげうって、阿弥陀仏に仕える思想。今ではそんな浄土思想信者は恐らく居ないでしょうが。
念仏宗に多大な影響を与えたと言われる往生要集は(西歴985年)恵心僧都(源信)が書きましたが、その約21年後(1006年)に一乗要決(法相宗を批判する法華一乗思想)を書きました。、どういう訳か念仏者はそれを無視しているのです。

投稿者:北斗七星
人間というもの-13

12使徒の裏切りについて書きましたが、実は法華信仰にも全く同じことが言えます。
簡単に言えば、神よ!神よ!と言っている人間が最も神を冒涜している人間であるように、ホケキョウ!、ホケキョウ!と言っている人間が最も法華経を冒涜している人間であるという現実が存在している。だから、この世界がとんでもないことになっている。

ぶちまけた話をすると、聖書が神によって書かれた事実は証明出来ないし、ましてや、ローマ国教として採用されたときに聖書は改竄されているのだから全く信用できるものではない。釈尊も自ら文字を書き残した訳でもないのだから、結局の所は自分の頭で良し悪しを判断するより外は無い事になる。ところがその自分の頭がおぼつかないのだから始末に負えない。

予言というものは必ずしも当たらない。物事には必ず原因というものがあるのだから、その悪い原因を取り除けば悪い予言は遠のく。経済学では悪貨は良貨を駆逐するらしいが、その悪貨を造り出すのが人間のこころなのだから、もともと悪貨などというものは実在しないといった方がいい。実際有るのは悪人のこころだろう。
だからこそ、悔い改めよ!、目覚めよ!と言われる。。しかしながら、なかなかしぶとく目覚め、悔い改めることがない人々が政治を独占しているのだろう。「ぼけーっと生きている」のは意外や意外、彼らの方なのだと私のおぼつかないあたまが疑っている。
投稿者:北斗七星
人間というもの-12

聖書原理主義という語を創りたい。
聖書の暗号に沿って歴史を操作する人間(神を詐称する集団)が居るのではないか?。かわいそうなことには本当の神に裁かれる運命にあるのかも知れないし、神の使いなのかも知れない。イザヤ書を読むと微妙なのが解る。いずれにしても神そのものではなくて神の命令で動いているように思える。
聖書は旧約と新約に分かれているので、その意味を解釈するにもまちまちになってしまう。
例えば、「旧い神との契約」と「新しい神との契約」という解釈が一つあって、何処で区切って読むかで神そのものの概念が全く違ってくるので、まず「旧い神」と「新しい神」との契約と読むことにする。
もう一つは「同じ神との旧い契約」と「同じ神との新しい契約」という解釈が成り立ち、この場合は同じ神が全く違う事を言うことになる。後に殺されてしまうバブテスマのヨハネは当時のユダヤ教徒に向かって「マムシの子らよ」と呼びかけているし、イエスは新しい革袋に新しい葡萄酒という比喩を使っているので、旧約、新約の解釈は前者の方が理解しやすい。そうすると、ヨハネの黙示録の取り扱いが微妙になってくる。私はこの黙示録はユダヤ教(旧約)に分類されるべきものであると思っています。この辺は難しいのですが、その実質がユダヤ教徒であるのにキリスト教徒を名乗る人は偽キリスト教徒ですが、偽キリスト教徒だからといって単純には非難できない事情があると私は思っています。その理由は12使徒が始めから偽キリスト教徒であったと考えるからです。あの12人の裏切りの罪はとてつもなく重いのです。
投稿者:北斗七星
人間というもの-11

災難対治抄 (真蹟十五紙完、千葉県中山法華経寺蔵)抜粋

法華経に云く「横に其の殃(わざわい)に羅(かか)る」等云云。此等の文を以て之れを推するに、法華真言等を行ずる者も未だ位深からず、

『信心薄く口に誦して其の義を知らず、一向名利の為に之れを誦す。先生の謗法の失未だ尽きず。』

注:名利=名誉欲と物欲、金銭欲、愛欲など、全てのよこしまな欲望。
投稿者:
「民暴の帝王」著者溝口敦氏の出世作“創価評論”
http://www.kinokuniya.co.jp/f/dsg-01-9784062569620
22年前出版「聖書の暗号」(新潮文庫)の真偽?
(コンピュータによる等距離文字列の解析で暗号解読??)
http://jfn.josuikai.net/semi/koyukai/kitamura/book06.htm
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