天皇陛下「退位」意向 :山崎 雅弘氏2019/4/3 14:04
こんにちは。たびたび失礼いたします。
新しい元号の発表があったそうで、お伺いしました。
発表の当日、特段関心を持っていなかったのですが、世間の人たちが関心あったようで、リアルタイムに知りました。
プーチンさんを見習ったのか、予告時間を遅刻しての発表になったそうですね。
最初人から聞いた時には、「えいわ」とか「ねいわ」とかと聞こえたので、「永和」とか「寧和」とかかなと思ったのですが、「令和」と知り、「和に令す」とは、随分とまた感じの悪い文字面を選んだものだと思いました。
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その後、由来は『万葉集』であると聞き、梅の花のことだそうですよと知らされました。
何でも梅見の宴席のことだという話だったので、自分は「赤坂自民亭」のことを思い出し、本当に俗っぽくて嫌な奴らだなと思っていました。
自分はああいう性格の会に誘われず、参加したことがないのですが、写真から伝わるところでは、選ぶ人たちが、ああいう何か「うぇーい」な感じの人たちなので、どうせそんな雰囲気から取ったんだろうと思いました。
字面は和歌を書いた一節か何かから取ったものなのかなと思っていたら、序文だと聞き、「あれはガチの漢文じゃないか」と思いました。
よりにもよって、日本史上最も漢文実作の水準の高い一時代の作品から、ガチ漢文を選ぶとは、これは一波乱あるぞと思っていました。
そうしたら、瞬く間に、張衡『帰田賦』が引き出されてきました。
どちらもきちんと読んだことは無いのですが、『万葉集』巻第五の「梅花歌三十二首并序」に基づく講釈は日本国行政府だったものから得々となされるでしょうから、自分は張衡『帰田賦』による私見を申し上げようと思っています。
多分自分と同じ所まで下りてきて解説してくれる人もいないと思うので、自分の解釈を家族には話したのですが、あまり興が湧かなかったようです。
そんなもので、「令和」一口話なのですが、晴耕雨読さんにも申し上げておきたいと思います。
ご勘弁いただけるようであれば、おつきあいください。
自分が最初に抱いた印象は上述のとおりのものでした。
しかし、彼の身になって考えてみたところ、自分としては「令和」という元号を佳い文字であると思うようになりました。
そのためには、『万葉集』では物語として不足であり、張衡『帰田賦』こそが「令和」の真の典拠である、「令和」の典拠は張衡『帰田賦』でなければ物語の深みが出ないと考えています。
本命は張衡『帰田賦』であり、国書だ和書だと五月蠅い馬鹿どもを黙らせるために『万葉集』を一枚噛ませたのだろう、実際のところ、『万葉集』など起案の過程では物の数にも入れていなかったのではないだろうかと、自分は思っています。
そう思ったのは、早雲さんが引かれていた
「安部官邸は知らなかったんだろね・・・ 「帰田賦」の作者張衡は「安帝」に召されて役人になるが、愚昧な安帝が側近の専横を許し政治は腐敗、国家は衰退し周辺国の反乱を受けて後漢 滅亡の端緒となる状況を嘆いて 「もうこんな政府やだ!引退する!隠居させて!」 と語る文」
方の文章を拝見していてのことです。
今回の「令和」発表以後の騒ぎを見ていて、上掲の文章を拝見していて、自分は一人、重要な人物を忘れていたことに気づきました。
一人、いたんですよね。
「もうこんな政府やだ!引退する!隠居させて!」
と叫んでいた人が。
その人の叫びが、今回「令和」の生まれる理由になったわけですから、忘れていいはずのない人物なのですが、今回は影が薄いですね。
その人のことを、以下、「親父殿」と書きます。
彼は親父殿の気持ち、志を了として、親父殿の希望を容れ、親父殿の志を引き継ぐことを、「令和」を以て告げたのではないかと思ったんです。
張衡『帰田賦』を、判らないなりに見てみると、御案内いただいた
「愚昧な安帝が側近の専横を許し政治は腐敗、国家は衰退し周辺国の反乱を受けて後漢 滅亡の端緒となる状況を嘆いて」
いる部分は、「令和」の典拠である、
「於是仲春令月、時和気清」
の前の段のようなんです。
ここから、作者は田園、田舎、豊穣な自然の中に帰っていきます。
その文の切り替えが「令和」の位置にあるように見えるんです。
この切り替えの前後で、描かれる情景は一変します。
実にうまく拾ったものだなと思うんです。
大変だったな、親父殿。
ご苦労さん。
長いこと、苦労をしたと思う。
気持ちはよく判った。
引退してくれて大丈夫だ。
隠居して、家で好きな庭いじりや畑いじりをして、今まで行けなかった山水の散策なども、楽しんでくれ。
コンサートに行ったり、好きな楽器を奏でるのもいいよな。
会うことの出来なかった古人、大切な人々に会いに行くのもいいだろう。
後のことは、任せてくれ。
俺が総て、引き受けた。
そうした彼の労りと意志とが感じられる構成になっているような気がするんです。
天皇家と安倍政権が対立!? 護憲姿勢強める天皇・皇后を首相の側近が批判!(リテラ)
2019/4/3 14:05
換言すると、
「愚昧な安帝が側近の専横を許し政治は腐敗、国家は衰退し周辺国の反乱を受けて後漢 滅亡の端緒となる状況を嘆いて」
いた、
「日本のGDPはもうすぐ中国の3分の1になります。 また韓国と一人当たりのGDPがほぼ同じになりました。 平成はかつて世界2位の経済大国を誇った日本が没落した30年でもあります。 世襲議員、既得権に守られた業界、大企業、富裕層の利益、軍拡を優先する自民党政権を倒さなければ日本の再生はありません」
「ここまで見事に「内側から」没落してく姿って、近代社会では珍しいのでは。 自民党はよくある西洋の没落貴族のおとぎ話を国家レベルで体現してるのかな。 このままなら東洋の資源も技術もない虚勢だけはいっちょ前なちっぽけな島国として衰退まっしぐらやね」
そんな「平成」からの切り替えが、「令和」なんです。
「いわゆる「陰謀論」」としては、ひょっとしたら、彼が選んだのではないかとも思っています。
彼は、親父殿の引退の希望を容れたからこそ、この切り替えの位置の句を選んだような気がするんです。
親父殿の苦悩、邦家の衰亡へのやるせない思い、引退を希望するに至るまでを認め、同意し、引継を引き受けることを、「令和」という漢字二文字で表したのではないかと思います。
自分は、この張衡『帰田賦』という作品に対する、「令和」を選んだ人の理解は相当深いと思っています。
文章全体を踏まえて、その核になる部分を取るというのは、あの変わった日本語を使う人たちには出来ないと思います。
親父殿と彼自身の境遇と立場と状況と展望を現す文として、相応しいものは国書には無い。
人生の機微、苦悩、憂愁を解せぬ馬鹿どもは、花見酒にでも痴れていればいい。
そう言っているんじゃないかなと感じています。
令月は陰暦二月の異名でもあるそうです。
二月は彼の誕生月でもあります。
令月、時和し気清きに、一組の夫婦が長男を持ち、そこから家族の物語が始まった。
そんな和やかな穏やかな暮らしのあったあの頃に、老いた親父殿をせめて一時でも戻してやりたい。
そんな彼の思いも、あるんじゃないかなとも感じます。
彼ら家族を含む世間について、この間の経緯と人生の哀歓を表現するのに、これほど相応しい文字も少ないのかもしれないと思うんです。
彼ら家族の物語として、彼の家の文字としては、よく出来ているのかもしれません。
彼は親父殿の志を継ぐ構えでいるのだろうと感じさせる文字面です。
そして、動乱の世界から、山水と田園、孔老・周公・三皇のアジア的楽土を志向するつもりなのかもしれないと思っています。
元号でアジア回帰を示唆しているのかもしれません。
花見酒の痴愚どもは、それを知っているのかどうか知りませんが。
自分がこの元号を使うかどうかは、当分揺れ動くと思います。
親父殿もその節がありますが、ここから見ると、彼もなかなか容易ならざる人物ではないかと思っています。
彼については世上いろいろ言われていますけど、
「この先、おそらく天皇と皇后はますます孤立を深め、何を話しても政権から無視される状態になっていくだろう。だが、そのことは、天皇が政治利用される危険性がなくなるということとイコールではない。たとえば、代替わりをして、次の天皇や皇后が自分たちの意に沿う発言をしてくれるとなれば、改憲をめざす国家主義的勢力は確実に「天皇のお言葉を聞け」と政治利用に乗り出すはずだ。
実際、安倍政権と一部の保守勢力はすでに皇太子、雅子妃夫妻を今の天皇、皇后とは逆の方向に導くべく動き始めているという見方もある」
他人同士の暗闘なので、勝手にやっていればいいと思いますが、相手はなかなか手強そうだぜと眺めています。
こいつあ面白くなってきやがったと思っています。
多分、彼は、かつて彼を負ったこともあるかもしれない親父殿の小さな背中を見ながら、張衡『帰田賦』の系譜にある、様々な田園詩を集めたんではないかと思っています。
帰去来兮。田園将蕪。胡不帰。
自分にとっては久しぶりに感興の乗る楽しい一幕でした。
取り急ぎ、一口話でした。
いつもながらくだらないことをお聞かせいたしまして、どうもすみません。

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