隠しているのか?知らないのか? 福島の汚染水 武田邦彦
2022/3/28 1:53
こんばんは。度々失礼いたします。
「日本が嫌われる理由が、日本が優れているだの、お金持ちだからだのって… いつまでバブルの幻想を引きずっているんだ日本人は…そりゃあこんな上から目線の態度だから嫌われるのは当たり前だよ」
挙げられた画像に、「少数意見」として、「閉鎖的」「まじめすぎる」というのが挙がっているのですけれど、自分が日本をまたは日本人を嫌う理由としては、
1、 思い上がりが甚だしい
2、 思い込みが激しい
3、 不真面目
4、 「礼儀」を押しつけてくる
5、 怠惰
あたりかなあと、順不同ですが思います。
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少しご無沙汰していたのですが、まさかあれからすぐに、あんなに重大な知らせを受けるとは思いませんでした。
他にも知らせがあって、それでいろいろなことに向ける意欲を沮喪しているのですが、たぶん、夢の予告したのはあれだったのでしょう。
「夢を諦めない・夢は叶う 勇気を与える・もらう 元気を与える・もらう という言葉が嫌いです。 わたしは、寝ている時以外、夢は見たことがないし、 勇気も元気も、自分の中から掴み出すもので、与えたりもらったりするものではない、と思うから。」
夢だなんて馬鹿にしたものではありませんね。
夢占いをまじめに考えた人がいたのもよくわかりました。
細かいことはともかくなのですが、簡単な夢占いの本などだと、自分の見た夢に当てはまりそうな項目がなかったりするのが、難しいところです。
今回のものは、比較的わかりやすいものでした。
もう当たったものと答えの出たと思うのですが、まさかあんなに早く答えが出ると思わなかったので、詳細はもう少し先まで様子を見てから書きます。
それにしてもびっくりしました。
「メディアは「村上春樹 原作」という点に囚われ、村上文学の国際的普遍性が…と書き立てているが、普遍性で言えば、すでに古典の仲間入りしているチェーホフの方が桁違いに上だ。映画業界人が選ぶ賞である以上、チェーホフの『ワーニャおじさん』は、選者にとって常識レベルの素養であるはずだ。」
せっかくチェーホフが頑張っているっていうのにね。
「緊張が続く」じゃねえだろうと思うんですけど。
春先になると、ずっと寒ければいいのにと思うくらい、調子が狂うんですよね。
言動がおかしくなったりもするので、発情期かと自分を怪しんだりもするんですが、誰かもそうなんじゃないかなあと思うところがあります。
やっぱり、涼風の立つまではまともではいられなさそうだなと思います。
今回は、情報の洪水があまりにもひどいのですが、結局のところ、露米、そして中国が決めることなのでしょうし、自分の及ぶところではない。
たらこが食えなくなると嫌だから戦争に反対しますとか、言ってみようかと思いましたが、何か空々しい感覚があるので、やめます。
今回は、先日の「パパ活」の話をもう一度棚上げして、社会の様々な話とは距離を置いた、まったくくだらない話をしようと思ってお伺いしたのですが、もう一つだけ。
「大問題ですね、これは。どこが「科学立国」やねん。10年での雇い止めは日本中で大問題になるはず。なのに、大きな声になってないのが不思議です。 理研で雇い止め、1年後に600人 労組が撤回要求「日本の研究力低下」 研究チームの解散、神戸が4割(神戸新聞NEXT) 」
本件があんまり問題にならないのって、やっぱり、何だかんだ言っても、自分みたいに何の取り柄もない人に比べて、専門家って尊重されているからなのではないかなと思います。
だから、10年も保証されるわけで、何の取り柄もない人は、日雇いだったり年度契約だったり、せいぜい3年だったり。
10年もあれば、そのうち何とかなるんじゃねえのと思われていたりしないんですかね。
よくわかんないですけど、よくわかんないし、お理系さんなら特にどうにでもつぶしがきくんだろうと思っています。
だから、あんまり心配していないって言うか、専門家様に対して、自分みたいな下々の取り柄のない人間が、自分の感覚で心配して差し上げたりさせていただいたりしてしまっては、失礼なのではないかと思うところもあり、尊敬の気持ちを持って衷心から遠ざけさせていただいているというのが実情で。
だって、自分と違って、海外にでもどこにでも引く手はいっぱいあるんでしょう。
だから、あまり心配して差し上げたりすると、選ばれた専門家の方に失礼かと思っているんですけど、自分が問題視しないといけないものなんでしょうか、これって。
だって、お前らとは違うのだよって、ずっと言われてきた人たちですから、そんなに困らんのと違うんかと。
いいじゃないですか、自分たちだけで新規性やら何やらを競って、新しい世界の見方を提示して、それで褒め合っていけば。
それで選び抜かれた人々が、新しい世界を作っていくんでしょう。
自分みたいな下々の取り柄のない人のことなんか、馬鹿にするか収奪するかどちらかとしか見ていないくせに。
自分みたいな下々のド素人にどうして問題視させるんですか。
大先生のおっしゃることはよくわかんないです。
人を査定するほどの権力は持っているんだから、自分たちで何とかできるんじゃないですか。
どうせ互助会みたいな形で仕事融通し合って、どうにでもなってくから心配いらないぞなもし、って感じじゃなかとね。
「就職氷河期時代ど真ん中の人間として、でも、もう正直「どうしてほしい」のかが、自分でもよくわからない。でも、ただ、自分が大切にされていない、ということだけはわかる。そういう扱いが、静かに「社会」への「適応力」みたいなのを奪っていくのを、多く見てきた。」
自分も「社会」への「適応力」とか「社会性」とか無くなっているので、よくわかんないです。
大惨事でパニックするエリートと機能しない政府 どん底で助け合う普通の人々と機能する市民社会
2022/3/28 1:55
学がないので何を求められているのかよくわからなくて、また前置きが長くなってしまったのですが、自分の社会性のなさについてまたお話ししたくてお伺いしました。
最近、ちょっとびっくりしたことがありました。
自分、今の労役所で、この3月いっぱいまで受け持っている会議があるのですが、それが出席者を確保するため、前の会議が終わるまでの間、会議室の外で待っていないとならないという、どう説明していいのか判らない形態の会議なんです。
会議が終わった瞬間に飛び込まないと、前の会議に出ている出席者が三々五々出て行ってしまい、招集できなくなるので、とっつかまえないとならないという、なんか変な会議なんです。
これに限らず、立って待っていることが評価されるみたいな、何か理解の出来ないところで体育会系的なところのある労役所なんですが、まあ、これも社風ということなのですかね。
幼稚な話だと思うのですが。
まあ、そんなもんで、会議の前にしばらく会議室の前で待たされるというのに付き合わされるんですが、そんなことを続けていると、ふと不思議に思ったことがありました。
オブザーバーとして来てもらっている人にも廊下で待っていてもらうので、しょうがないから気の利かないなりに気を利かせて、近くの使っていない会議室から椅子を運んできて座ってもらっていたりしていたのですが、「おかけください」とか「すいませんね」とか言いながらとりあえずまた会議室前に戻って、壁に背中を預けると、隣に後輩がいるんですよ。
ち、近い。
近いなあと。
同じ部署なので、何度か同じ会議に出ているのですが、お前、いつもはもっと遠くにいただろうって。
確かに、自分が椅子を出したオブザーバーはその後輩の案件のゲストで、自分の右隣にオブザーバー、左隣に後輩なので、オブザーバーの近くにいた方がいいということなのでしょうが、それならそれで、何故自分を挟むと。
そして、近いわと。
ちょっと会議の様子を確認するために扉に耳を付けに行っても、その間に自分の戻る場所が埋まっているわけでもなく、そのまま空いているので、その場所に戻らざるを得ず、うん、やっぱり何か近いなと。
その近さにびっくりしたので、ちょっと調べてみたら、「パーソナルスペース」というのが、人間にはあるそうで。
心理学とかそっちの方の研究の結果としてあるみたいなことが書いてあるんですが、あるんですかね、そういうのが。
領域、テリトリー、縄張りというやつみたいなもんですね。
満員電車みたいなのは、このパーソナルスペースの侵害みたいなのばかりなので、そりゃ揉め事も起こる、不快感も募る、当たり前のことだということでした。
ただ並んで座っているだけなのに、電車が揺れるたんびに肘を跳ね上げてくる女の人とか、スマートフォンで何かリクルート出身の中学校の元校長先生がやっているセミナーみたいなのを見ながら肘張って人の脇腹に肘突き立ててくる男の人とか、いますからね。
みんな不幸になればいいと呪いながら電車を降りていますが、そういうことなんですかね。
外向的な人は狭く、内向的な人は広い、男女で形態が違い、男性は前に広く横に狭い、女性は円形に近い、みたいな話です。
この中に入るのは敵対的行為であって、親密さが前提でなければ踏み入れることの出来ない距離というのがあるそうです。
学問の殻を被せなくてもなんとなくわかる気がします。
自分は多分、広いんじゃないかなと思います。
後輩は狭い人なのかもしれません。
労役でご一緒するだけで、電話あったよとか資料の文章はこうしたらどうかしらとか、遅くなってごめんねとかはんこちょうだいとか、そんなくらいで、他の話をすることもないので、一年くらい同じ部屋にいますが、どういう人なのか、よくわかりません。
見たところでは礼儀正しく物静か、身ぎれいだけど派手な服装するでもなく、目立つのは嫌い、大過なく時間が過ぎればいい、という感じなのかなと。
そういう人ほど裏で何やっているか判ったもんじゃないというものでしょうが、たいていの場合、自分、無能なので、頭痛がひどくて帰るとき以外は後輩の方が先に帰りますし、どういう交友関係持っているかなんて本人が必要なこと以外殆ど喋らないので知るよしもありません。
外から見ると取り立てて近いものでもないのかもしれないのですが、自分にとってはそんな人がやけに近かったんで、びっくりしました。
外向的な人は狭いというのは、例えばよくボディタッチをするとか、そういうことがあっさりと出来てしまう人、ということみたいです。
異性の友人も多い、すぐに人と仲良くなれる、そういった得な特徴がある人は、そのパーソナルスペースが狭いらしいです。
極私見。小沢一郎という人物は、旧いタイプの日本人なのに、信条と行動はすこぶる近代的。:堀 茂樹氏
2022/3/28 1:55
調べて初めて知ったのですが、ボディタッチというのは、パーソナルスペースを越えて親しくなるかどうかのかかった、親しくなりたいという意思表示でもあるということだそうで。
外向的な人にはそれほどのものではなくても、内向的な人にとってはそれこそ乾坤一擲、死を覚悟しての刺し違え狙いの突撃にも似たようなものであると。
それで思い出したんですがね。
いたんですよ、昔、自分にも。
「お、肩こってるね」とか言って触ってくるんで驚かされていた異性の友人。
誰にでもそうしていたのかどうか、そこまで深く観察していなかったので、知りませんが、当時も自分はどこかぼんやりしているし、他に興味を持っていた事柄があったので、さっぱり気づかなかったんですけど。
結局、その友人も、遠く離れてしまってからは、何か礼状みたいな長い手紙を一通くれて、それっきりになってしまいました。
今では災害があったからと心配して手紙を出しても返事もくれません。
長い手紙をもらったとき、ああ、これでさよならってことなんだなと思ったのですが、自分はそういうことしかわからないんですよね、たぶん。
「サヨナラ」ダケガ人生ダ
違うか。
そういうことなら、殴ってもいいから、わかるように言ってくれればよかったのに、何か、ごめんねと。
本当にごめんねって思っています。
いくつかやりとりあったんですが、自分の側にも将来性がなかったりとか考えが足りなかったりとかいろいろとあるもので、どうもうまく受け答えの出来ないまま、たぶん、向こうの堪えがきかなくなったんでしょう。
なんかよくわかんないですけど、こんな感じで目の前を流れ去っていったものが結構あって、いろいろ惨めな思いをしているのは、そうして流してしまったものに復讐報復されているのかなあとも思いますね。
「自国の憲法を「みっともない」と言い放ち、尊重し擁護する義務を放棄している人たち。そんな彼らが声を上げる改憲が国民のためになるはずがない。ならばその企みがどこにあるのか?興味があればご自身で調べてください、今すぐに。 知らない事があるのは仕方ないですが「知ろうとしない事」は罪です。」
まあ、例によってただの勘違い、ということなんだろうと思っておけば、平和なのですが。
何か頭の疲れがひどいので、こんなことをお話しするつもりだったのではない、というようなお話でお伺いいたしました。
いつもくだらないことばかりお聞かせいたしまして、どうもすみません。

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