晴耕雨読

淡々と日々の暮らしを立てるために働き続け、木々の緑、雨音、枯れ枝に架かる雪を密かに楽しむ。
老いては老いを楽しみ、若者の成長に目を細め、良い人生だったと感謝しつつ旅立つ。
こんな当たり前の人生が許されない世にはして欲しくありません。

 

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投稿者:北斗七星
ノアの洪水伝説

かつて恐竜が滅び去ったことはその化石で信じられる。
勢力を誇った生き物群がすっかり滅び去ることは十分有り得る。それが神の怒りに由るものか、大自然の科学的法則によるものかは意見が分かれるだろうが、一世を風靡した種が滅び去り、その後に新しい種に入れ替わることが科学的に有ったことが判っている。
そのような大きな変動がこの21世紀中に起こる可能性は非常に高いだろうと私は思う。
だから、内心、心穏やかではない。

宗教書を読みかじると、大方、人間は劣化の方向に向かって進んでいると読み取ることが出来る。その事実は、今だけ、カネだけ、自分だけの3だけ主義と3S愚民化政策をセットにした有権者の1/3程度の支持率しか持たない自由と主権在民制度によって支えられている。
自由と主権在民という言葉は耳触りがいいが、その質の悪さを是正できないでいる。
自由とは?民とは?の定義が無い。法治国家と言うが、その法を作るのは人間だ。それも愚民化教育で愚かになった人間が作るのだから出てくる答えは決まって質が悪い。

投稿者:北斗七星
人身牛(にんしんご)

意味は「人の姿をした牛」ということで愚か者を譬えた言葉だという。法華玄義巻第一の上の最後の第六章 観心の章に書かれている。

前文を省略すると・・「聞無く智慧無きは、是れを人身牛と名づく」と。今、聞・慧をして兼修せしめんとして、義・観双べ挙ぐ『百論』に盲跛の譬え有り。『牟子』に説行の義有り。

『華厳』に云わく、「譬えば貧窮の人、日夜に他の宝を数うるも、自ら半銭の分無きが如し」と。偏えに聞くの失なり。下の文に云わく、「未だ得ざるを得たると謂い、未だ証せざるを証せりと謂う」と。偏えに観ずるの失なり。何となれば、視聴馳散すること、風の中の灯の、物を照らすこと了ならざるが如ければなり。但だ耳より入り口より出ことを尊ぶのみにして、都(すべ)て心を治せず、自ら是として人を凌ぎ、見を増し非を長ず。刃を把りて自ら傷つく。解の悪道を牽くことは、その観を習わざるに由るなり。観心の人の若きは、心に即して而も是なり、己は則ち仏に均しと謂い、都て経論を尋ねず増上慢に堕す。此れは則ち炬を抱いて自ら焼く。行の悪道を牽くことは、聞を習わざるに由るなり。若し貧窮を免れんと欲せば、当に三観を勤むべし。上慢を免れんと欲せば、当に六即を聞くべし。「世間の相常住なり」は理即なり。「諸々の過去仏に於いて、若し一句を聞くこと有らば」は名字即なり。「深く信じ随喜す」は観行即なり。「六根清浄」は相似即なり。「実智の中に安住す」は分証即なり。
「唯仏と仏とのみ実相を究尽す」は究境即なり。心を修めて内に観ずれば、則ち法財有り。正しく信じて外に聞けば、亦上慢無し。
眼慧明聞は利益を具足す。何ぞ観解せざるを得んや。
妙法蓮華経玄義巻一上
ここまでは省略無し。

法華玄義(上)菅野博史 訳注 レグルス文庫)より引用。
この玄義には菅野博史氏による現代語訳もあるので少しずつ目を通しているところです。

日蓮聖人つまり上行菩薩に付属された一大秘法とも言われる「唱える題目」は「五重玄の五字」と定義されており、この法華玄義に詳しい説明がされているのですから、これを読まずに済まされる訳が無いのですが、どうも正門から入る人が少な過ぎて少な過ぎて、コネ世襲裏口入学が多くて多くて、国が滅んでしまった過去形の姿が垣間見える。

これも侮辱罪に問われるのか!。
投稿者:北斗七星
「キリスト教と戦争」(石川明人著 中公新書)の まえがき の冒頭に掲げられている言葉

「正しい人はいない。一人もいない」(ローマの信徒への手紙3-10)

この言葉は正しいと思う。

この言葉の前後に続く言葉を以下にご紹介します。

3:9
では、どうなのか。わたしたちには優れた点があるのでしょうか。全くありません。既に指摘したように、ユダヤ人もギリシャ人も皆、罪の下にあるのです。
10
次のように書いてある通りです。
「正しい人はいない。一人もいない。
11
悟る者もなく、
神を探し求める者もいない。
12
皆迷い、誰も彼も役に立たない者となった。
善を行なう者はいない。
唯の一人もいない。
13
彼らの喉は開いた墓のようであり、彼らは舌で人を欺き、その唇には蝮の毒がある。
14
口は呪いと苦味で満ち
15
足は血を流すのに速く
16
その道には破壊と悲惨がある。
17
彼らは平和の道を知らない。
18
彼らの眼には神への畏れが無い。」

以下略。

これもまた人類侮辱罪に問われそう。

そして、終に裁かれるのはどちら側になるのだろうか?。

この書に付いている帯に書かれている言葉全文。

「キリスト教徒も人を殺めてきた」

世界最大の宗教、キリスト教、キリスト教の信者は、なぜ「愛と平和」を祈りつつ「戦争」が出来るのか?殺人や暴力は禁止されているのではなかったか?本書では、聖書の記述やアウグスティヌス、ルターなどの著名な神学者たちの言葉を紹介しながら、キリスト教徒がどのように武力行使を正当化するかについて見ていく。平和を祈る宗教と戦争との奇妙な関係は、人間が普遍的に抱える痛切な矛盾を私たちに突きつけるであろう。
以上。

私見
答は簡単。人殺しを命令するキリスト教徒はみんな偽キリスト教徒だという真理に気が付いていないから。

「殺人や暴力は禁止されているのではなかったか?」ではなくて、「禁止されていた!」でなければならなかった。

だから「偽キリスト教徒は人を殺めてきた」と書くのが正解。

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