日本に「規制緩和」を持ち込んだのは、学者や経済界はとりあえず別にして、政治権力的には「戦後の総決算」を旗印に登場してきた中曽根康弘氏です。
「戦後の総決算」とは、社会主義的国家を新保守主義・自由主義国家に転換させる、“自国破壊”的な政策です。中曽根氏は、日本経済の破壊と乗っ取りを計るグループのインサイダーだと思っています。(新保守主義は、決して保守主義ではありません。どちらかといえば、寡占的自由主義や保守破壊主義という言葉がふさわしいものです)
「小泉改革」も「鳩山改革」も、その流れを汲むものです。
「規制緩和」と「グローバリズム」は、対のものだと思っています。
それぞれの国家内で「規制緩和」を行わせ、その後に「グローバリズム」を旗印にした“国際金融マフィア”が乗り込むという手法です。
「グローバリズム」は、かつての「自由貿易」に変わるもので、金融資本主義になっていくなかで衣替えしたものだと思っています。
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「規制緩和」運動は、細川護煕内閣当時の私的諮問機関であった「経済改革研究会」の「規制緩和について」という中間レポート(1994年平成5年11月8日)から始まります。
当時の新聞は朝日、産経から読売まで、政治家は小沢一郎から社会党まで「政・官・財の癒着を打破し、生活主権の社会を規制緩和によって切り開こう」との大合唱がおこりました。
しかし、平岩レポートの論理が正しいのかどうか、実証的な研究をしていた研究者やメディアはなかったようです。
しかし1995年“内橋克人とグールプ21”が文春文庫より「規制緩和という悪夢」を出版して大論争になりました。2002年1月10日に加筆再版されていますのでぜひお読み下さい。
参考までに「規制緩和」推進派の論客として、一橋大学商学部教授の中谷巌氏、イーヨーカ堂の伊藤隆俊氏、ダイエーの中内功氏、トヨタ会長の豊田章一郎氏が声を大にして推進してきたものですが、中内氏のダイエーが破綻寸前までいくとは歴史のいたずらでしょうか、それとも天罰?なのでしょうか。
「規制緩和」を語る前に当時の時代背景と経済論と言う観点からみると、政府による規制・介入によって、成果の社会的配分の公正、貧困からの解放、失業の解消、また有効需要の増大を目指すというケインズ主義的政策思潮は後退を続けている最中でした。
「政府の失敗」を修復するには「市場の成功」によるべし、と言う考え方は、単なる政策論から経済論の装いをもって語られるようになり、サッチャリズム、レーガノミクス、中曽根民活に象徴される「新保守主義」の時代でもありました。
1970年代、日本経済は第一次・第二次オイルショックに打たれて痛手を受け、国の財政も窮迫しました。非民営事業の経営悪化は深刻な物となったのです。
そこで国有企業に「市場原理」の洗礼を受けさせ、それらを競争場裡に引き出すことが、経営の効率化、赤字構造の解消、財政負担の軽減に繋がると説かれました。
そして、1985年には電電公社・専売公社、1981年には国鉄分割民営化が断行されました。
さらに中曽根政権は国有地の有効利用を検討するよう指示を出しています。
国有地を民間に譲り渡して、新しいビジネスチャンスを創出して、民間企業に利益機会を与えるべしと言う中曽根内閣の考えは後のバブル時代を象徴する「時価高騰」の先駆けとなったと言う事実がありますのでおぼえておいてください。。
アメリカにおいて、早くから規制緩和の必要性を説き、70-80年代の理論的支柱となったのが、経済学者のアルフレッド・カーン(現コーネル大学教授)で当時のジミー・カーター大統領の懇請を受けてホワイトハウス入りし、航空委員会長官に就任します。
そして全米から若く優秀な経済学者や弁護士を集められタスクフォースチームが編成されました。
そしてアメリカ初の規制緩和「航空自由法」が実施されたのですが、実際は、カーター大統領が予測した事態とはまったく違った驚くべき変化が現れたのです。
これはカーンの元に集まった経済学者の予想をも裏切る?ものでした。
そしてカーン自身も予想しえなかった?変化だったと述懐しています。
いやカーン自身は予想し得たのではないのか?またその変化をもたらすために送られたエージェントだったと言う見方も出来るわけですが・・・いまでは闇の中ですね。
「規制緩和」という福音(とかれらは言う)は、まず最初にアメリカ国民が犠牲となりました。
規制緩和の壮大な実験が始まったのは、1978年航空自由法で航空業界が過当競争になったのを皮切りに、78年天然ガス、80年トラック運輸、80年鉄道、82年電信電話、82年金融、84年ケーブルテレビの自由化が実施されました。
これら規制緩和実施後、健全な競争によって、サービス、価格の恩恵を受けるはずだったのに、結果は78年に始まった航空業界の破壊的競争の激化と、それに続く大企業の寡占化の進行でした。
その最も雄弁な証拠が、寡占の進行です。これこそが狙いだったような気がしますが。
当初28社だった航空会社に夢と希望を抱いて次々と新規参入会社が設立されましたが、78-92年の間に117社の航空会社が破産しました。
78年の大手5社の市場占有率は68.8%だったのが92年には79.7%に、これを大手10社で見てみると、78年には88.9%だったものが、92年には99.7%まで上昇しています。
一時的に下がった価格(26%ダウン)も、寡占後は以前よりも高くなったようです。
また運輸自由法によって78年のトラック運送業の上位30社のうち90年には21社が消滅しました。
91年にはトラック業者の倒産件数は2300件に達しました。
この業界も寡占化が進んだわけです。
上位4社の占有率が78年には27.7%だったものが90年には49.2%まであがっています。
つまりアメリカ国民も「没落」させられているわけです。
何故かといますと、アメリカでの70-91年の顕著な変化は、製造業の仕事が減ってきたことです。
1950年代には全労働者の33%が製造業に従事していたのが、1991年には17%にまで激減したのです。
その代わりに増えたのが、小売業とサービス業に従事する労働者です。
これが「規制緩和論者」のいう新産業で、ウオールマート(スーパー)やマクドナルド(外食産業)といったこれまでになかったビジネスです。
しかしよく考えてみてください。この移行した新産業にある程度余剰人員は吸収されたものの、その給料たるや「馬鹿みたいに安い賃金」であることを指摘をする学者やマスコミはいないのです。
例えば1992年の製造業の従業員の平均週給は469ドルですが、小売業の従業員は半分以下の206ドルしかもらっていないのですよ。
大企業の寡占化によってはじき飛ばされた中小企業の従業員は確かに「新産業」に吸収されましたが、そこでは、歯医者にさえかかれないどん底の暮らししか保証されていないのです。
「規制緩和」進行するに連れて、アメリカの終身雇用制が終焉していったのです。
要するに競争のあるところでは労働力の移動の柔軟性は不可欠だったと言うことです。つまり規制緩和と終身雇用は両立しない概念だったということができます。
さらに進んで、富の分配の不均衡が増大したこともあげられます、つまりほんの一握りの非情で、貪欲な人間に、とてつもなく金持ちになる素晴らしい機会を与えることになったことです。
結果として中流の所得者層の賃金が目減りする中で、金持ちはますます富んでいったのです。
日本でもそんな本が出ていたような記憶があります。
規制緩和が進み大企業の寡占化がより顕著となってきた米国経済、同時多発テロ事件後の経済情勢と個人消費の冷え込み、エンロン規模の倒産続出・・・これらを勘案しても、最近のアメリカの経済成長のコメントは変だなと考えさせられるものがあります。
新しい規制緩和としては83年カリフォルニア州が全米で初めて「電力小売り」が自由化されましたが、結果はご存じの通り夏場には大停電に怯える毎日だそうです。
馬鹿のことに日本でもこの流れを受け、電力の自由化は1995年に発電設備を持つ企業が、余った電力を電力会社に入札で売る卸売りなどができるようになりました。
2000年3月からは2000Kw以上の大口需要家への小売りが自由化され、これまでに9社が新規参入しました。2003年から自由化が拡大される見通しだそう
です。
これは芦屋の六麓荘の住民だけが得られる特権、町内会に自前水道設備による六甲の湧き水を各家庭に供給されていることと同じ事になると思います。
この場合は毎月40万円の維持管理費を払える人々のみが恩恵を受けうるということですね。
東京で言えば田園調布地域内で自家発電設備を設置すれば、電力会社が不安定供給になった場合にも、まったく影響を受けないことになるわけですね。
いま日本でも、大企業が規制緩和や不況によって早期依願退職者が募集していますが、かの大企業、松下電器でも10万人の従業員のうち1万人が依願退職に応じたそうです。
それに応じている人々は何を根拠に在籍企業を離れるのでしょうか?
今後の生活の当ては、あなた方が考えているよりはるかに厳しい現実に晒されることになるのに。
もしあなたが会社の悪口を言い、上司に悪態を付く平凡な人生を望む人であるなら、どんなことをしても会社に残りなさい、今後の就職先は皆無、現実はもっと厳しいのです。
最近人気のテレビ東京が、「愛の貧乏脱出作戦」というふざけた番組を放映していますが、あの中でさえ、生き残れるのはほんの一握り(100分の22)だけだと言うことを、肝に銘じてください。
「規制緩和」を例えるなら、大変危険な劇薬を患者に副作用をまったく知らせずに投与しようとしたのとおなじことです。
医療の場合であれば、薬効について作用も副作用も、一人の患者に限って現れるでしょう。
一人の患者がプラスとマイナス効果を得ることが出来るのです。
しかし「規制緩和」の場合、問題なのは、プラスとマイナスの副作用が現れる場所が違うと言うことです。
つまり、権力の決定機構に近い投資家、大手企業グループ、都市生活者といった集団は当面プラスの作用を受けます。
しかし中流層をなしていたサラリーマンを含む勤労者、中小企業、地方生活者、年金生活者といった集団は、激流の中に放り出され、多くの人々が辛酸をなめることになるでしょう。
いやなりつつあります。
今のところ、日本の規制緩和という治療法は、プラスの作用が働くと思われる人々の手によって、一方的に決められています。
これから日本人が嘗めることになるであろう辛酸は、アメリカの人々が80年代に嘗めた辛酸よりもさらに辛く耐え難いものになるのではないでしょうか?
「規制緩和」の進行とともに、新規業者の怒濤の参入、倒産の激増、寡占化の進行。
それにともなう業界伸張の停止、労働者の辛酸、少数の経営者への莫大な富の集中。
そして、経済学者たちが立てた仮説の破綻・・・と言うプロセスは、あらかじめ決められていた通りに誘導されたシナリオだったと言うことも出来るわけです。
「フィラデルフィア・インクワイラー」紙のジェームス・スティールとドナルド・バーレットはこう言っています。
「要するに規制緩和とは、これまで公平な《アンパイア》のいたゲームから《アンパイア》を除いてしまうということだったのです。ゲームは混乱し、何でもありの世界になりました。ところが多くの人々は「規制緩和」と言う言葉を経済学者が振りまいたとき、ルールが変わると言うことに対して無自覚でした。皆が何となく良くなるという錯覚を持ったのです。結局そうした人々はゲームからはじき飛ばされ、得をしたのは、権力の中枢にいて、ルールブックが変わる事を良く自覚していた一握りの人々でした。」
規制緩和という悪夢 文春文庫
「規制緩和」という劇薬を、副作用をまったく知らせずに、投与したのは誰だ! 投稿者 紅梅仙人 日時 2002 年 2 月 14 日より 7/6/10
2007/6/19

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