「「飼い殺しにされる幸福より野良犬の自由の方が良い」という価値観が..:拍手コメント」
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「飼い殺しにされる幸福より野良犬の自由の方が良い」という価値観が多数派になれば問題は解決できます
2010/4/25 22:56
こんばんは。度々失礼いたします。
この時間になってくると思うのですが、やはり毎日が疎ましくて仕方ありません。
あとどれだけ、このような下らない生活をしていなければならないのか。勝手のほとんどきかない生活を続けていなければならないのか。
このようなことを思わないときは、今までありませんでした。
友達に会いに行くことも、親戚に会うことも、命日に墓参りをすることも、それどころか、風呂に入ることや食事をすることさえも、何も勝手がきかない。
こんな世界、冗談じゃないと思います。
みんなはどう思っているんだろうと思うのですが、上のようなことを言うと、よくて訝しげに微笑まれ、悪ければ罵倒されることがあり、皆異口同音に、「お前の生きている世界というのは、そういうものなのだ」と言います。
それで納得せよということのようです。
思い出すのですが、ソ連に軍事占領された、ポーランドだったかどこかの国の話で、ソ連のやり方に憤懣を抱くその国の人に、ソ連軍の兵士が、「君たちもいずれ慣れるよ。僕らだって慣れたんだ」と言ったという話を聞いたことがあります。
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共産主義とかスターリン主義のおかしさを示す逸話として紹介されていたのを聞いたことがあるのですが、何のことはない、自分の生きている、この町だって、この国だって、この世界だって、何が違うんだろうと思います。
近代奴隷として生きていながら、自分の首から下がった鎖の色が何色だと自慢したり、他人の鎖の色が何色だと嫉妬したり、もう馬鹿らしい話には事欠きません。
みんな、「慣れ」ているんだなあと思います。
自分もまだ死にたくありませんし、こうした生き方をしなければ、みんなの作った財を受けることが出来ないと、みんなが言っているのですから、仕方がないので、従っています。
自分一人では、どう頑張ったって、生きていかれませんから、仕方ありません。どうしようもありません。
こうした奴隷として生きなければ、「お前に物はやらねえよ」と、みんなして言い合っているのですから、どうしようもないのです。
金がなければ何も受けられないというのは、みんなして、そういうことにしているからだということだろうと思います。
それでいて、喜々として、みんな苦しんでいます。たいそう嬉しげに、「タナトス」の影に怯えています。
何を馬鹿らしいことをみんなしてやっているんだろうと思います。
昨今、「コミュニケーション能力」という話をよく聞きますが、自分は、それには自信がありません。
しかし、この世界に生きているみんな、少なくとも「先進国」に生きている人は、たとえどの国の人であろうとも、まっとうな意味での「コミュニケーション能力」があるとは思っていません。
「お金」を間に挟まなければ、「活動力の交換」が出来ず、挙げ句の果てに、会話の道具でしかない「お金」を、万能の財であると錯誤しているような連中に、「コミュニケーション能力」を語られたくありません。
若い人にばかり「コミュニケーション能力」の必要性を説く人がよくいますが、偉そうに言えば、「コミュニケーション能力」を喪失してきたのが「近代人」であり、みんなの間を取り持つ「言葉」の代わりをするのが、「お金」だったというのが、「近代」なんではないかなと思うようなことがあります。
「『
世界同時大不況』を歓呼の声で迎える人たち」の支配力の源泉は、みんなの貧乏くささやけちくささや相互不信や不寛容や、そもそもの「コミュニケーション」の貧困や不足なのではないかと思います。
自分でも訳のわからないことを申しますが、隣の人と自分と、そのまた隣の人と、それぞれがお互いに命を握りあっていることや、みんなが死にたくはないと思っていること、そしてみんなが死ななくてすむ、楽しく暮らせるようになる条件を、みんながそれぞれ部分的に握っていることなどを、分かり合うために、必要な会話を重ねることに、みんながあまりにも横着であり続けたのが、「近代」なのではないかと思います。
みんなの横着さを利用し助長していたとはいえ、「『
世界同時大不況』を歓呼の声で迎える人たち」は、みんなが形作る世界を支えるために重要なお金を支配していたのだから、責任感もそれなりにあったのではなかったろうかと思います。
みんながお金の力を信じ続けるには、お金もその力を常に発揮していなければならないのでしょうから、そのために様々な策動を巡らすことも、むべなるかなとは思います。
そのために、数え切れないほどの人が死んでますから、傍迷惑な人たちだとは思いますけれども。
今のお金のあり方って、異様だと思います。不気味です。
たかがお金を、まるで高レベル放射性核廃棄物(見たことはありませんしどのように管理されているのかも知りませんが)でも管理しているのではないかと思えるような、手間と暇をかけて管理させられます。
みんなに言うことを聞かせられる力があるのですから、当然といえば当然なのでしょうけれども、馬鹿なのではないかと思うことばかりです。
もう、みんな、「『
世界同時大不況』を歓呼の声で迎える人たち」に頼るのは、やめてあげた方がいいように思います。
みんながみんなの「差異」を認め合うようになってくれれば、少しは自分も楽に暮らせるようになるはずですし、「その時」は自分にとってはもう来ているように思います。
早くみんながみんなで話し合うために、お金をいったん棚上げしてくれないと、楽しく暮らせる時間がどんどん短くなり、過酷な時間がずるずると続いてしまいます。
いい加減に勘弁してはもらえないかなあと思います。
「差異を認め合うとは」におっしゃる、
「「できるだけ楽にパンを得られる状況をみんなで知恵と活動力を出しあってつくる社会状態」が、学園祭や体育祭のようにみんなの智恵と活動力でできるのなら、「カス」の左翼もウェルカムです。
しかし、世界の経済のみならず世界の政治権力を支配し、メディアを通じて狡猾かつ恥知らずの情報操作で人々を誘導している“彼ら”とせめぎあいながら、みんなの智恵と活動力でつくっていかなければならないものです」
という傍迷惑な人たちや、それに引かれているみんなとやり合うのですから、大変な騒ぎだとは思います。
「多くの人が「自分も誰もが、絶対に他とは取替えができない唯一者」であると実感することで、「支配−被支配関係構造」を解消する道を開くこと」
によって、もっと「合理的」な世の中になるんじゃないかと思います。
「支配−被支配関係構造」にみんながもたれかかることによって、むやみやたらな大変さを、生活の中に持ち込む羽目になっているのが、現在の姿なのではないかと思います。
「「支配−被支配関係構造」を解消するためには、そのような唯一者たちが、唯一者として生きるためには合理的な他者関係活動が必要だと理解し、その時々の現実的与件のなかで選択すべき合理的な他者関係活動を議論し決めていく制度が必要」
だと思います。「合理的な他者関係活動」を、今のお金を媒介とせずに可能とすることができれば、自分もきっと少しは楽して暮らせるようになると思います。
いつもつまらない愚痴ばかり申し上げ、どうもすみません。

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