>税制・通貨発行量・貸し出し量・利子率を操作することで、個人や企業の収入を変動させ、ひいては政府の歳入を変動させることができる立場なのです。
貴殿のお考えがこの一文に凝縮されていると思われます。
完全な過誤ではありませんが、これらの政策実施が時代を問わず常に通用する永遠の真理であるかのようにとらえられては困ります。
ご案内の通り、90年代から00年代初を通じて減税、公共投資の増強、金融調節・量的緩和、とありとあらゆる政策メニューを実行し、見るべき結果なく現在に至っております。
事ここに至ってようやく一般国民も我々の年来の主張の正しさに思い至ったように見受けます。バラマキ型の政治を良しとせず、構造改革を支持するまでに我が国民はその民度を上げたのです。これはかつては決して見られなかった現象です。
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国家財政が現状のままでは遠からず日本全体が大変深刻な状況になるということに気付いた我が国民はまだまだ捨てたものではありません。
論文では事態が深刻化した場合に想起できることとして「国債のデフォルト」を例示してありますが、過度のインフレ、大増税、超円安など、国民の負担は別の形を取る事もあり得ます。財政の立て直しは早ければ早いほど負担が軽くて済むのです。
無論、緊縮型・増税型への歳出入構造の転換が経済に及ぼす悪影響を軽視するつもりはありません。それが国民の感じる「痛み」の正体であり、我々日本国民はそれを甘んじて受けるしかありません。痛みなしで乗り切れるような魔法の行政手段など存在しないのです。
一部に存在したインフレ・ターゲット論や財政支出増強論が最近ようやく影をひそめてきました。そのスピードが懸念された小泉政権の改革路線も徐々に加速がついてきたように感じます。
このサイトをご覧になる一人でも多くの方が、真にあるべき国家の方向を見極めていただけるよう祈念しております。
-以上-Re: 「デフレ不況」を克服しないで「財政危機」を克服することはできません 投稿者 匿名希望 日時 2002 年 7 月 25 日
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真摯なレスありがとうございます。
無論、緊縮型・増税型への歳出入構造の転換が経済に及ぼす悪影響を軽視するつもりはありません。それが国民の感じる「痛み」の正体であり、我々日本国民はそれを甘んじて受けるしかありません。痛みなしで乗り切れるような魔法の行政手段など存在しないのです。
“痛み”なしで、「デフレ不況」と「財政危機」を乗り切ることはできないと思っています。
しかし、鈍感な方(きちんと経済論理を考えないという意味)であれば“痛み”と感じない“痛み”もある一方で、死ぬ(倒産や失業)ほどの傷ではないのに死に至る“痛み”もあることや、確かに痛かったが短期間で良かったという“痛み”の長さもあれば、もう死んだ方がましだと思うほどの“痛み”の長さもあることを考えなければなりません。
「痛みなしで乗り切れるような魔法の行政手段など存在しない」のは現実ですが、それを捕捉させてもらえば、“痛みをそれほど感じさせないで乗り切れる名医的行政手段”は存在します。
そして、痛みをそれほど感じさせない方法であるほうが、経済論理的にも、「デフレ不況」と「財政危機」を最短で脱却させることができます。
逆に、必要のない痛みを与えれば、痛みだけが残り、「デフレ不況」と「財政危機」はさらに悪化します。
税制・通貨発行量・貸し出し量・利子率を操作することで、個人や企業の収入を変動させ、ひいては政府の歳入を変動させることができる立場なのです。
貴殿のお考えがこの一文に凝縮されていると思われます。
完全な過誤ではありませんが、これらの政策実施が時代を問わず常に通用する永遠の真理であるかのようにとらえられては困ります。
政策の立案及び実施を担当されている方らしく、“手段”を述べた部分に焦点を当てられましたが、政府債務問題=財政危機に対する私の考えが凝縮された一文は、
『抽象的過ぎるかもしれませんので、ざっくばらんに書けば、これまでに積み上がった政府債務を債権者に打撃を与えないペースで薄めなければならないということです。』
というものです。
『“プライマリー・バランスの改善”以上に、“政府債務残高の対GDP比の低下(改善)”や“政府債務の確定利子率の実質ベースでの低下(マイナス化)”のほうがより重要な政策課題だと考えています。逆に言えば、“政府債務残高の対GDP比の低下(改善)”や“政府債務の確定利子率の実質ベースでの低下(マイナス化)”が達成できる国民経済状況をつくり出すことで、“プライマリー・バランスの改善”もできるということです。』
これは、直接借り入れや“やり繰り”による隠れ債務を加算すると750兆円程度と推測できる政府債務残高を現状の価値のまま維持している限り、好意的に表現して、プライマリー・バランスを改善させたとしても“焼け石に水”であり、そうであるならば、行政は、短期的にはプライマリー・バランスを現状水準で維持しつつ、名目GDP成長率のプラス転換と利子率の実質マイナス化の実現に注力しなければならないというものです。
ご案内の通り、90年代から00年代初を通じて減税、公共投資の増強、金融調節・量的緩和、とありとあらゆる政策メニューを実行し、見るべき結果なく現在に至っております。
1)減税
有価証券取引税・地価税の減税はありましたが、世帯の70%ほどを占める勤労者家計については、消費税率2%アップ及び社会保険料負担増により、“特別減税”期間も含めて、公的負担は増加=“増税”になっています。
財務省が公表しているデータをわざわざ示す必要はないと思いますが、「税収/名目GDP」を付加したものなので参照していただければ幸いです。
税制変更に関してはより詳しいはずですから、増税が税の増収につながるかどうかを判断するための一つの資料にはなると思っています。
(*印は、大きな税制変更が実施された年です)
新規国債 歳出 税収 名目GDP 税収/GDP
================================================================
83年度 13.5 50.6 32.4 285.5 11.3
84年度 12.8 51.5 34.9 304.8 11.5
85年度 12.3 53.0 38.2 325.8 11.7
86年度 11.3 53.6 41.9 340.9 12.3
87年度 9.4 57.7 46.8 355.8 13.1
88年度 7.2 61.5 50.8 381.6 13.3
89年度 6.6 65.9 54.9 409.6 13.4 *
90年度 7.3 69.3 60.1 441.9 13.6
91年度 6.7 70.5 59.8 469.2 12.7
92年度 9.5 70.5 54.4 481.6 11.3
93年度 16.2 75.1 54.1 486.5 11.1
94年度 16.5 73.6 51.0 491.8 10.4
95年度 21.2 75.9 51.9 497.7 10.4
96年度 21.7 78.8 52.1 510.8 10.2
97年度 18.5 78.5 53.9 521.8 10.3
98年度 34.0 84.4 49.4 515.8 9.6 *
99年度 37.5 89.0 47.2 512.5 9.2
00年度 33.0 89.3 50.7 513.0 9.9
01年度 30.0 86.4 49.8 500.0 9.9
02年度 30.0 81.2 46.8 496.2 9.4
※ 02年度のGDPは政府見通し。01年度の税収は予算を下回っている。
2)公共投資の増強
ケインズの有効需要原理と乗数理論の組み合わせは、遅れて先進国に到達した日本においてさえ70年代に有効性を失ったと考えています。(有効需要原理そのものは今なお有効ですが)
不況に喘ぐ90年代においても、公共投資が、GDP低落の下支えになったことは間違いありません。
しかし、乗数理論が有効性を失っていますから、翌年のGDPを落とさないためだけでも、ほぼ同額の公共投資を継続しなければなりません。
公共投資の減額は、直接には建設業・鉄鋼業・セメント業・輸送業に打撃を与え、産業連関的に最終消費財メーカーにまで打撃を与えます。
政府固定資本形成がGDPの5.1%(95年ベースで諸外国は仏:2.9%・独:1.8%・英:1.1%・米:1.9%)と大きいのは、“遅れた先進国”として社会資本の充実に国家が尽力してきたことが主要因だと考えていますが、それは同時に、建設業従業者の疑似“公務員化”を進めてきました。
[人口千人当たりの公務員数比較]
1998年データ:政府企業の従業員は除き、国防関係者を含む。但し公社職員は枠外。
日本:34.5(人/千人)
米:74.6
仏:75.0
英:55.6
独:56.9
失業者の増加と財政危機のなかで「公務員の数を減らせ!」という声も散見されますが、日本の公務員数は、人口比で比較すれば圧倒的に少ないというのが実状です。
公務員数4,365千人に建設業従業者5,090千人を加算すると9,455千人となり、人口千人当たり74.7になります。
98年時期の建設業の民間需要:官公庁需要を68%:32%として、その比率で割り振ると、5,994千人となり、人口千人当たり47.4になります。
(建設業における官需は、95年7兆円・99年4兆7千億円・00年4兆2千億円と減少し、官需比率も95年40%・99年32%・00年31%と低下している)
政治家などの利権という問題だけではなく、「建設国債主義」と“遅れた先進国であること”が、日本で公共投資の拡大を必然化させたと考えています。
そして、昨今話題になっている建設業の倒産も、建設需要の低迷に照らせば当然のことです。
このように書いたからと言って、別に公共事業の同額レベルの継続や拡大を主張したいわけではありません。
ケインズ主義の有効性が薄らいだ75年以降の日本は、政府支出の在り方を変えることによって、緩やかに公共事業依存構造を修正しなければならなかったのです。
端的に言えば、建設業従事者を現在のような経済状況で失業させるのではなく、政府支出の切り替えを通じて、徐々に別の業種に移動させる政策を採っていなければならなかったと考えています。
90年代の不況期においてさえ、需要不足を公共投資に依存したことが、大きなツケと罪を生んだと判断しています。
(ここまで書いた後では蛇足になりますが、90年代とりわけ中期の公共投資に関しては、地価下落をくい止めることが強く意識された投資になったことで効果が減殺されたことを否めません)
Re: “魔法”はないが“名医”や“合理的手法”はあります 投稿者 あっしら 日時 2002 年 7 月 25 日
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